見出し画像

弘一大師とその歌

弘一こういつ大師

(1880年10月23日 - 1942年10月13日)
本名は李叔同。中華民国の詩人、音楽教育者、芸術教育者、僧侶。中国近代美術の初期の先駆者の一人であり、 中国に油絵、ピアノ、戯曲を伝えたほか、書道、詩、中国画、音楽、篆刻、文学、金石などに秀でた。39歳の年に出家。法名は演音、号は弘一と晩晴老人。南山律宗第十一代祖師。


三寶歌

太虛法師 作詞 
弘一律師 選譜

人天長夜,宇宙黮暗,誰啟以光明?
三界火宅,眾苦煎迫,誰濟以安寧?
大悲大智大雄力,南無佛陀耶!
昭朗萬有,衽席群生,功德莫能名。
今乃知,唯此是,真正皈依處。
盡形壽,獻身命,信受勤奉行。

<仏を讃える>
人間界と天界でさえ夜明けにはほど遠く、暗闇に包まれる宇宙に光をもたらすのはどなただろうか。
まるで燃える家屋の如く様々な苦しみに逼迫される三界に、安寧をもたらすのはどなただろうか。
大いなる慈悲、智慧と力を持つ仏陀に帰依する。
万物に光を与え、群生を慈しみ、その功徳は言葉では言い尽くせない。
今になってはじめて、真に帰依すべき所はここしかないことを知る。
寿命が尽きるまで身を捧げ、信じ受け入れて勤勉に実践することを決心する。

二諦總持,三學增上,恢恢法界身。
淨德既圓,染患斯寂,蕩蕩涅槃城!
眾緣性空唯識現,南無達摩耶!
理無不彰,蔽無不解,煥乎其大明。
今乃知,唯此是,真正皈依處。
盡形壽,獻身命,信受勤奉行。

<法を讃える>
真俗二諦を悟り、戒、 定、 慧の三学を修め、大いなる法身を得る。
功徳が完成し、煩悩を断ち切り、蕩々たる涅槃の世界へと至る。
因縁によって生滅変化するものの本質は空であり、それを認識する心の表れのみが存在する、と説く仏法に帰依する。
真理を隠されることなく明かし迷いを解くその光は燦々と輝く。
今になってはじめて、真に帰依すべき所はここしかないことを知る。
寿命が尽きるまで身を捧げ、信じ受け入れて勤勉に実践することを決心する。

依淨律儀,成妙和合,靈山遺芳型。
修行證果,弘法利世,焰續佛燈明。
三乘聖賢何濟濟,南無僧伽耶!
統理大眾,一切無礙,住持正法城。
今乃知,唯此是,真正皈依處。
盡形壽,獻身命,信受勤奉行。

<僧を讃える>
戒律と威儀に従い、「六和敬」を持って集団生活を送り、 釈迦仏時代の教団伝統を守る。
修行を積んで悟りの果を得て、法を広めて世を利し、仏法の明かりを継ぐ。
三乗(聲聞乘、 緣覺乘、 菩薩乘)の聖人と賢者たちはどれほど輩出していることか。僧伽に帰依する。
大衆を率い、何事にもとらわれず、正法の城に安住する。
今になってはじめて、真に帰依すべき所はここしかないことを知る。
寿命が尽きるまで身を捧げ、信じ受け入れて勤勉に実践することを決心する。

参考リンク


送別

長亭外,古道邊
芳草碧連天
晚風拂柳笛聲殘
夕陽山外山

天之涯,地之角
知交半零落
一瓢濁酒盡餘歡
今宵別夢寒

長亭の外、古い道の辺りに
地の果てまで野草が青々と生い茂る
柳の枝が夕風にゆれ、笛の余韻が残り
夕陽は山の彼方に沈む

天の果てへ、地の角へと
友人が半ば散らばった今日この頃
一瓢の濁酒を飲み干して君を見送り
今夜も寂しい夢を見るのだろう

情千縷,酒一杯
聲聲離笛催
問君此去幾時來
來時莫徘徊

草碧色,水綠波
南浦傷如何
人生難得是歡聚
惟有別離多

入り混じる思いを、この一杯に託そう
出発を促す笛の音が何回も耳に響く
君よ、次はいつ帰ってくるのか
帰る時は迷ったりしないでね

草は青、漣は緑
別れはいかにも悲しいもの
人生には相逢う喜びは得難く
別離ばかり多いのだ


憶兒時 (子供時代の思い出)

春去秋來,歲月如流,遊子傷飄泊。
回憶兒時,家居嬉戲,光景宛如昨。
茅屋三椽,老梅一樹,樹底迷藏捉。
高枝啼嗚,小川游魚,曾把閑情託。
兒時歡樂,斯樂不可作。
兒時歡樂,斯樂不可作。

春去りて秋来る、時は流れるが如く、故郷を離れた我が身の漂泊を悲しむ。
子供の頃を思い出すと、友達と戯れる光景がまるで昨日の出来事のようだ。
茅葺きの小屋と古い梅の木、木の下で鬼ごっこ。
高い枝で鳴く鳥や、小川で泳ぐ魚も良い遊び相手。
子供の頃の楽しさ、二度とない。
子供の頃の楽しさ、二度とない。


清涼歌 

『華厳経』の一語 「無上清涼」

1929年頃のある日、旧友の夏丏尊と教え子の劉質平が弘一大師を訪ねた。夕食後の会話の中で、二人は時折、当時の音楽教育について言及した。良い作詞者がなかなか見つからず、欲望を掻き立てる歌ばかりが流行っている現状を劉が嘆くのを聞いて、大師は新たに歌を作ることを承諾し、1931年9月に浙江省慈渓市白湖の金仙寺で、「清涼歌」五首の歌詞を書き上げた。

清涼

清涼月,月到天心光明殊皎潔。
今唱清涼歌,心地光明一笑呵。
清涼風,涼風解慍暑氣已無蹤。
今唱清涼歌,熱惱消除萬物和。
清涼水,清水一渠滌蕩諸污穢。
今唱清涼歌,身心無垢樂如何。
清涼,清涼,無上究竟真常。

清涼

清らかな月が天中に昇り、皓々と照る。
今、清涼歌を歌い、心の中も明るくなり笑顔になる。
清々しい風が吹き、暑気がおさまる。
今、清涼歌を歌い、悩みが消えて万物が和む。
清い水が流れ、汚れが落ちる。
今、清涼歌を歌い、身心が洗われて安楽を得る。
清涼は、この上ない尊い本来の姿である。


山色

近觀山色蒼然青,其色如藍。
遠觀山色鬱然翠,如藍成靛。
山色非變,山色如故,目力有長短。
由近漸遠,易青為翠,自遠漸近,易翠為青,時常更換。
是由緣會,幻相現前,非唯翠幻,而青亦幻。
是幻,是幻,萬法皆然。

山の色

近くで山を見ると、その色は蒼々として藍色に近い。
遠くから山を眺めると、鬱々としてみどり色に見える。
山の色が変わったわけではないが、見方によって違うように見える。
近くから遠くへと、青がみどりになり、
遠くから近くへと、みどりが青になり常に変わる。
因縁によって生滅変化する幻だ。
みどりだけでなく青もそうだ。
全てのことも、また幻なのである。


花香

庭中百合花開。
晝有香,香淡如,入夜來,香乃烈。
鼻觀是一,何以晝夜濃淡有殊別?
白晝眾喧動,紛紛俗務縈。
目視色,耳聽聲,鼻觀之力,分於耳目喪其靈。
心清聞妙香,用志不分,乃凝於神,古訓好參詳。

百合の香り

庭に百合の花が咲いた。
昼間に薄かった香りが夜になると強烈になる。
嗅ぐ鼻はひとつなのに、昼と夜で違いが出るのはなぜか。
昼間の喧騒で、心がいろんなことへ散ってしまい、
色を見る目と音を聴く耳に分けられ、鼻の力が鈍ってしまうからだ。
ほんとうの香りを知るには、心を一つにしなければならない。
古訓にもそのことを説いたものがあったのだ。


世夢

卻來觀世間,猶如夢中事。
人生自少而壯,自壯而老,俄入胞胎,俄出胞胎,又入又出無窮已。
生不知來,死不知去,蒙蒙然、冥冥然,千生萬劫不自知,非真夢歟?
枕上片時春夢中,行盡江南數千里。
今貪名利,梯山航海,豈必枕上爾!
莊生夢蝴蝶,孔子夢周公,夢時固是夢,醒時何非夢?
曠大劫來,一時一刻皆夢中。
破盡無明,大覺能仁,如是乃為夢醒漢,如是乃名無上尊。

浮生夢の如し

覚めてから人生を振り返ると、まるで夢を見ていたようだ。
人は生まれて子供時代を経て大人になり、老いて死んではまた生まれる。それをいつまでもいつまでも繰り返している。
生まれた時はそれまでのことを覚えていないし、死ぬ時は次はどこへ向かうのかもわからない。
蒙蒙たる、冥冥たる、千生万劫の間、自覚することなく。
まさに夢を見ているのではないか。
寝床の上での束の間の夢で、数千キロ旅をしたりすることがあるが、
必ずしも寝床の上だけではなく、名利を貪り、山を登り海を渡る今も夢の中なのだ。
荘子は胡蝶の夢を、孔子は周公の夢を見たというが、夢は夢だとしても、覚めてまた夢の中にいるのかもしれない。
これまで生死を繰り返してきた無尽の時間の中、夢から覚めたことは一度もない。
無明を断ち切り、大いなる悟りに至ってはじめて、夢眼が開き、無上尊となるのだ。


觀心

世間學問義理淺,頭緒多似易而反難。
出世學問義理深,線索一雖難而似易。
線索為何,現在一念心性應尋覓,試觀心性。
在內歟?在外歟?在中間歟?過去歟?現在歟?
或未來歟?長短方圓歟?青黃赤白歟?
覓心了不可得,便悟自性真常。
是應直下信入,未可錯下承當。
試觀心性:
內外、中間、過去、現在、未來、長短、方圓,青黃、赤白。


心を観る

世間の学問は道理は浅いが、端緒が多いため易しそうで実は難しい。
出世間の(涅槃に向かう)学問は道理は深いが、端緒が一つであるため難しいようで実は簡単なのだ。
その端緒を開くには、
今この瞬間の心を観察することだ。

さあ、心を観てごらん。
体の内側に、外側に、あるいは内外の間にあるのか。
過去に、現在に、あるいは未来にあるのか。
何色、どんな形をしているのか。
心はどこにもないと悟れば、常にある何かに気付くはずだ。
それこそ本来の自分だと信じ切れるかどうか。

さあ、心を観てごらん。
内外、あるいは中間にあるのか、
過去や現在、あるいは未来にあるのか、
何色、どんな形をしているのか。


絶筆 「悲欣交集」