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菜食を勧め、命の平等を説く百年前の漫画集 『護生画集』

「護生画集」とは

豊子愷氏の漫画スタイルの代表作品。弘一法師の指示に従い、1929年から毎10年ごとに50、60、70、80、90、100枚の計450枚の絵が集められ、46年間をかかって制作された。

「護生」(命を護る)とは、実際には「自分自身の心を護ること」であり、「残忍な心を取り除き、慈悲の心を培い、そしてその心を持って人に接し世にあたる」という思想を指す。この生命を大切にする思想は、現代においても積極的な意義を持つ。 「護生畫集」は、仏教界や文学界の先達や大師たちの協力によって制作された芸術的な傑作であり、仏教哲学を超えて、詩、文章、書、画など多様な分野で特別な芸術的地位を占める。

豊 子愷ほう しがい
(1898 - 1975)
本名は「豊潤」。中国浙江省桐郷市石門鎮出身の画家、散文家、美術教育家、音楽教育家、翻訳家であり、多岐にわたる分野で成果を上げた芸術家。また、『源氏物語』を最初に中国語に完訳した人物でもある。

弘一こういつ法師
(1880 - 1942)
本名は李叔同。中華民国の詩人、音楽教育者、芸術教育者、僧侶。中国近代美術の初期の先駆者の一人であり、 中国に油絵、ピアノ、戯曲を伝えたほか、書道、詩、中国画、音楽、篆刻、文学、金石などに秀でた。39歳の年に出家。法名は演音、号は弘一と晩晴老人。南山律宗第十一代祖師。



親與子

今日爾吃他,將來他吃爾。
循環作主人,同是親與子。

親と子

今日は食べる側だが、将来は食べられる側に回る。
交代で強い者になり、親子共に受けるのは同じである。


兒戲 其一

干戈兵革鬥未止,鳳凰麒麟安在哉。
吾徒胡為縱此樂,暴殄天物聖所哀。
唐 杜甫

子供の遊び その一

戦いと殺戮が続く限り、鳳凰と麒麟(繁栄、吉祥と幸福の象徴)はどこにもいないのではないか。
私どもはなぜこのようなことを楽しみとし、天に授かった命を塵芥のように粗末にするのか。

唐 杜甫


兒戲 其二

教訓子女,宜在幼時,先入為主,終身不移。長養慈心,勿傷物命,充此一念,可為仁聖。

子供の遊び その二

子供の教育に関しては、幼少期に教わったことは一生変わらないため、幼いうちに思いやりの心を育て、他の生命を傷つけないように教えておくと良いでしょう。
そのような心を持てば、仁徳ある人間になるはずである。


吾兒!?

畜生亦有母子情
犬知護兒牛舐犢
雞為守雛身不離
鱔因愛子常惴縮
人貪滋味美口腹
何苦拆開他眷屬
畜生哀痛盡如人
只差有淚不能哭

我が子は!?

動物にも母子の情がある
犬は子を守り、牛は子を舐める
ニワトリはヒナを離さず
鰌は子を愛するあまり、常に怯えて身を縮める

美味を求める人の気持ちはわかるが
他人の家族を引き裂いてまで、自分の口や腹を満さなくてもいいのではないか
動物の悲しみと苦しみは人間と同じ
涙を流して泣くことができないだけなのだ


醉人與醉蟹

肉食者鄙,不為仁人,況復飲酒,能令智昏。
誓於今日,改過自新,長養悲心,成就慧身。

酔っ払いと酔っ払い蟹

肉を食う者は愚かで、慈しむ心が欠ける。
ましてや酒を飲むと、知性をさらに昏らせてしまう。
今日から過ちを改めるように誓おう。
慈悲の心を育み、智慧を成し遂げよ。



蘆菔生兒芥有孫

秋來霜露滿東園,蘆菔生兒芥有孫。
我與何曾同一飽,不知何苦食雞豚?
宋 蘇軾

大根とカラシ菜

秋になり、霜の時期になると、庭の畑で大根やからし菜がたくさんとれるようになる。
これらの野菜で十分お腹いっぱいになるのに、わざわざ鶏や豚を食べる人がいるのは、不思議なことだな。

蘇軾


仁獸

麟為仁獸,靈秀所鐘。
不踐生草,不履生蟲。
繄吾人類,應知其義。
舉足下足,常須留意。
既勿故殺,亦勿誤傷。
長我慈心,存我天良。

仁徳の獣

麒麟(中国の伝説上の瑞獣の一種)は霊秀で仁徳ある獣で、歩くときは伸びる草や小虫を踏みつけないという。
私たち人間も、その道徳を知り、歩み方に気をつける必要がある。
わざと殺さないのはもちろん、誤って傷つけないように注意しなければならない。
思いやりの心を培い、人間らしさを保つのである。


雀巢可俯而窺

人不害物
物不驚擾
猶如明月
眾星圍繞

雀の巣

人間が動物に危害を加えないのであれば、動物も人間がそばにいても怖がったり驚いたりすることはないはずだ。星々が、一輪の明るい月を囲むように、(人間とその他の生き物との調和が実現できたら理想的ですね。)


拾遺

鉤簾歸乳燕
穴牖出痴蠅
愛鼠常留飯
憐蛾不點燈
宋‧蘇軾

拾い物

ツバメが帰って来れるように簾を上げたままにし、
誤って入ってきたハエを家の外に逃がすために障子紙に穴を開けた。
ネズミのために常にご飯を残しておき、
そして、蛾が火に飛び入ったら可哀想だから、夜は明かりをつけないで過ごしているのだ。

蘇軾


繞池閒步看魚遊
正值兒童弄釣舟
一種愛魚心各異
我來施食爾垂鉤
唐 白居易

二種の心

池の周りを散策しながら魚を眺めていたら、ちょうど子供たちが釣り舟を楽しんでいた。
魚好きという気持ちは同じだが、こちらは餌やりに、向こうは命取りに来たのだ。

白居易


平等

我肉眾生肉
名殊體不殊
元同一種性
只是別形軀
宋  黃庭堅 「戒殺詩」

平等

私の肉と衆生の肉
名前こそ異なるが中身は同じ
元々一体だったものが
別々の形に現れただけの違いだ

黃庭堅


懺悔

人非聖賢,其孰無過?
猶如素衣,偶著塵涴。
改過自新,若衣拭塵。
一念慈心,天下歸仁。

懺悔

私たちは聖賢ではないため、普段、過ちを犯しているはずだ。
まるで、白い服がたまに埃で汚れてしまうようなものである。
しかし、過ちを改めて反省すれば、服の塵を拭き取るのと同じように、自分自身を清めることができる。
そして、一人ひとりが慈愛の心を持っていれば、世界中が仁愛に満ちたところとなるのであろう。


楊枝浄水

楊枝淨水,一滴清涼。遠離眾苦,歸命覺王。

楊枝淨水

生き物を放す際には、楊の枝で清めた水をかけ、その生き物の業障を消し去り、善根を増やすようにすべきである。

「放生儀軌」

楊枝淨水をかけると、その一滴でも清涼を与えることができる。
放生される生き物はあらゆる苦しみを離れ、仏様に帰依する。


解放

至誠所感,金石為開。
至仁所感,貓鼠相愛。

解放

真摯な心があれば、
金や石など堅固なものも開く。

慈悲の心があれば、
敵同士でさえ仲良くいられる。