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知性と品位のからだ


私は31歳なのだけれど、30代になってから年齢を答えた際に年下のこに
「えっ!(31歳に)見えないですぅ!」と言われることが増えた。
社交辞令なのは分かりつつも、ほんのりと嬉しい気持ちと、そんなふうに年下の子に気をつかわせるような年齢になったのだと感慨深い気持ちにもなる。

自分からすると自分の容姿は「しっかり」31歳だなあと思うし、そもそも年齢より若く見えるということは良いことなのだろうか。

男性の加齢はポジティブに捉えられることが多いように思う。
私も年齢を重ねた男性が醸す「やれ感」のようなものに非常に魅力を感じる。
キメの荒くなった肌や、目尻に刻まれた皺などもセクシーにうつったりする。

ルッキズムやエイジズムという言葉も聞かれるようになったが、依然として女性は若さや美しさに価値を見出されることが多い。

なるべく若々しくいなければ、美しくいる努力をしなければいけない強迫観念があるように思う。
自分も例に漏れず、少しでも美しくありたいと願い小さな努力や習慣を重ねてはいる。

石川に移り住んでから、素敵な目上の女性とたくさん出会い、年齢を重ねることをポジティブに考えられるようになってきた。
彼女たちは無邪気で、チャーミングで、うつくしくて、賢くて、さばさばと気持ちが良い。

そんな方々と時間を共にしていると、年齢を重ねたからだ故の美しさってあるよなあと思う。
20代前半までの美しさは親からもらったもので、それ以降の美しさはその人が形作るという。
慈悲溢れる表情に、笑い皺に、皮膚の薄い首筋に、そのひとの年輪が刻まれている。

学生時代、作家の江國香織さんに傾倒していて、文章を誦じられるほど読み漁っていた。
彼女のエッセイの中で、印象的な一節がある。

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 そういえば、以前読んだ井上荒野さんの小説に、おもしろい描写があった。主人公の女性が、自分より若いある女性(フィットネスクラブのインストラクター)の身体を自分のそれとひきくらべ、「彼女に比べれば私の体には緩みがある」と考える。でも、「彼女が身欠きにしんとすれば私の体は天然のブリだ」と思う。「言わせてもらえば、身欠きにしんになる方が簡単なのだ。天然ブリを保つためには、知性とか品位とかそういうものが必要なはずだから」と。
 妙に納得がいく。勿論、ここでの「身欠きにしん」と「天然ブリ」は人間の体型になぞらえた場合の比喩であり、「簡単」なのも「知性とか品位とか」が必要なのも人間で、実際の鰊と鰤の性質を比べているわけではない。魚に罪はないのだ。そして、でもやっぱり、言外にくらべている、と思う。知性と品位。「身欠きにしん」より「天然ブリ」に、それはやっぱりありそうだもの。上手いなあ、と思う。
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江國香織 「やわらかなレタス」より

仕事柄冬場に天然ブリを何本も見るので、よくこの一節を思い出す。
この文章に引っ張られているのかもしれないが、たしかにブリからは知性と品位を感じる。

まるまるとしたフォルム、堅実で賢そうな顔、身の色は他の魚にはない独特の赤色で、うつくしい模様。
生で食べるともちもちとした食感で、火を入れると特有のいい香りが際立ち、ほろりと口の中で解ける。
知的で官能的なお魚だと思う。

さて、私も天然ブリのような女になれるのだろうか。
からだから知性とか品格を感じさせられるようになるまで、まだまだまだまだ、修行が足りない。

大業なようだが、年上の女友達が私にそうさせてくれたように、私も自分の姿で年下の女の子に、私の存在を持って歳を重ねることって素敵なことなんだなって示せるようになりたいと思う。

ほうれい線が気になり始め、目尻に小さなシミを見つけ、体の肉のつき方は変わってくる。それも愛おしい私の年輪だ。
天然ブリを目指す31歳女は、今日もくたくたに働いたからだにジャスミンの香りのボディークリームを擦り込む。

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