スプラトゥーン3が楽しみの話し

何年前だろう、Nintendo Switchを購入してからずっと、スプラトゥーン2をやっている。時々やらなくなっちゃった時期もあるしヘタだけど。なんか中毒性が高いのだ。

スプラトゥーンはキャラクターを操作して自分のチームの色を塗り拡げる陣取りゲームだ。4対4のオンライン対戦型。ブキで地面を塗るだけでなく、相手チームのキャラを倒すこともできる。
色を塗った面積を競うルール以外にも、相手を倒すチカラやチー厶ワークを要求されるその他のルールもあり、異常にたのしい。

わたしはいつもわかばシューターという初心者向きのブキを使っている。敵から逃げるのも色を塗るのも味方に加勢するのもなんでもできるブキだ。
敵をキルする能力は低いけど、敵を倒すだけがスプラトゥーンじゃないからいいのだ。

オンライン対戦のときは、よく家族とペアを組んで戦っている。そうするとだいたい「なんでこっち警戒してないんだ」「早く死ぬな」「スペシャル貯めろ」と口喧嘩になっていらいらする。でもやめられないスプラトゥーン。

対戦で負けると画面を殴りたくなるほどくやしい。勝つとやばいくらい嬉しくなっちゃう。勝とうが負けようがもうあと一回やりたくなってしまう。絶妙なゲームバランスがそこにはある。

任天堂は「ヒトが没頭できるゲーム」が何であるかわかっている気がする。プレーヤーの心を上方向にも下方向にもかき乱しまくって縛り付ける。もう逃れられない。ヒトの心を煽りまくって闘争心を沸き立たせて大儲けするって、まるで戦争ビジネスといっしょだな。

逆になぜヒトは闘争を求めてしまうのか?なぜ他人に勝ちたいと思ってしまうのか?
あまり触れられていないけど、人間には「他者をボコボコにしたい」という恐ろしい潜在的な欲求があるのではないだろうか。

スポーツもそうだし、トランプゲームもそう。大であれ小であれ、勝ち負けを決めて勝者には優越感を、敗者には屈辱を与える仕組みだ。

ギリシャ時代にはコロッセオで奴隷たちの殺し合いがショーとして楽しまれていたというが、その野蛮さを現代人も笑えないんじゃないかとときどき思うのだ。


というわけでスプラトゥーン3は9/9発売。
みんなも絶対やろう。


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