「さかなのこ」はホラー映画だったかもしれない

※ネタバレを含むのでお気をつけください




「さかなのこ」をみてきた。
言わずとしれたあのさかなクンさんの自伝をもとに、フィクションを織り交ぜた映画。
主役はのん。冒頭に「男でも女でも関係ない」という一文が表示される。うん、関係ない。違和感なく、のんの「ミー坊」役がはまっている。

ミー坊はお魚が大好きな小学生。大好きすぎて、水族館からなかなか帰らない。買ってもらった魚介図鑑を読みながら登下校。晩御飯はおさかな。テーブルに並べられたタコのお刺し身、タコときゅうりの酢の物、たこ焼きを見て、「たこさん、かわいー!!」と叫ぶ。兄弟は「かわいいも何ももう死んでんだろ」と普通のツッコミをいれる。
ミー坊はまだまだお魚さんたちを知りたい、食べたい、描きたい。お魚さんへの常人外れの偏愛をいだきつつ、毎日楽しく暮らしている。

両親はミー坊が発するどこか「普通」の子どもたちとは違う雰囲気に気づいている。お父さんは不安そうだ。お母さんは、「ミー坊はこれでいいの。」といつもいつもいつも許容する。

近所にはギョギョおじさんという変人が住んでいる。小学生の間では「ギョギョおじさんに出会ったら親指を隠して帽子を褒めてから逃げないと捕まえられて解剖されて魚に改造される」という噂がまことしやかに流されている(なんとこのギョギョおじさんをさかなクンが演じている)。
ギョギョおじさんとは話してはダメと知りつつ、お魚好き同士はふとしたきっかけで話し出す。ミー坊らギョギョおじさんの家に遊びに行く約束をしてしまった。お父さんは反対する。「知らない人の家に遊びに行ってはいけません。いたずらされたらどうするんだ。」お母さんは許容する。「ミー坊はギョギョおじさんが好き?なら、行ってきていいわよ」

もう、ここらへんからわたしはお母さんが怖くて怖くて仕方がなかった。決して怖く描かれているわけではないのに。許容されるということがミー坊の人生にとってはとても大事なことはわかる。ただ、なんにでも手放しで許容していいかというそうではないと思うのだ。お母さんが全てノールックで許容してくるので底しれない不安がある。そんな気持ちが、お母さん以外の大人の顔にもにじみ出ているようだった。

ミー坊は高校生になる。勉強ができないから、底辺高だ。ありえんくらい短くした学ラン着たリーゼントの不良どもに絡まれるけど、お魚好き、釣り好きパワーで不良と仲良くなっちゃう。ミー坊すごいぞ。

でもやっぱり勉強ができるわけじゃない。
三者面談で先生に怒られてしまう。「ミー坊、おまえお魚大好きなのはいいけど、受験どうすんだよ」。
お母さんがいう。「みんながみんな勉強できなくってもいいと思うんです。」「みんなおんなじ、みんな優等生、ではつまらない。」「ミー坊はこれでいいんです。」
先生が言う。「でもね、困るのは本人なんですよ。」
お母さんがいう。「いいんです。

この即答には鳥肌が立った。なんなの、お母さん。もう怖い。

この頃、家での食卓を囲むのはミー坊とお母さんだけ。お父さんとミー坊のお兄ちゃんはいない。小学生時代は専業主婦にみえたお母さんが働きに出ている。明言されてはないないけど、別々に暮らしているような雰囲気。

ミー坊、大人になっても「お魚博士になりたい」という夢を持っている。いい年して、いい大人がそんな…といって笑う女もいる。でもミー坊はそんなこと全く気にならない。幼馴染は「ミー坊ならできるよ」と優しい。

お魚をお仕事にしたいけど、水族館で働いてもお寿司屋さんで働いてもうまく行かない。どうしたらいいのかわからないままだったけど、転機をもたらしたのは仲が良かった高校時代の不良の総長。
かつての不良仲間がやっている寿司屋の壁に得意なお魚の絵を書くことになり、その絵が話題をよんで絵のお仕事がもらえるように。とうとうお魚を仕事にできるようになってきた。

もらったお金で当の寿司屋でお母さんにお寿司をごちそうすることにした。
そこでお母さんから衝撃のカミングアウト。
「実はお母さんね、いままでミー坊に隠していたことがあるの。」

実はね、お魚、苦手なの

怖っ。
「お父さんも、お兄ちゃんも。お魚苦手なのよ、でもミー坊がお魚好きだったから一緒に楽しみたくて、でも、無理させちゃってたかな。」

怖すぎる。お父さんとお兄ちゃんがしれっといなくなっていたから、なんかそういうことなのかなとは勘づいていたけど。お母さん、あなたも相当無理してたのね。

お母さんの底知れなさに恐怖を感じる。そして薄ら怖さ以上に、天才を支える周囲の人の負担というのもバカにならないのだろうなというリアルが突き刺さる。

全体的にファンタジーなのに、このカミングアウトが衝撃的すぎてずっとかんがえている。
お母さんがいたから、ミー坊はお魚博士になれたのだ。
ではギョギョおじさんは?どうして彼は無職で、他人からも敬遠され、挙句の果てには警察署に任意同行させられなければならなかったのだろう?
ミー坊とギョギョおじさんの運命を分けたのはなんなのだろう?
ギョギョおじさんの人生は描かれてないので推測の域を出ない。でもおそらくは周囲の献身、犠牲があってこそなのだろうと思う。
さっきからぐるぐる、考えているがまとまらない。


すごい映画だ。
終わり方は別の意味ですごかった。
ぜひ見てみてね。

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