ゲイじゃないけど。

よし行きたい、と寝ぼけた頭が目覚めたのは、たまたまバーの広告にLGBTQの文字を見つけたからだった。

背景の色は自明のごとく6色のレインボーだった。こう、恥ずかしくなるくらいにモチーフをこじつけなくては世間に認知されることもないのだから、自らを大多数と信じていられている人々が少数派と見込んだ奴らに一瞥をくれるにも、長い忍耐期間が求められるしかないことの証明らしい。

その日限りLGBTQメインで開催してくれたって、普段の新宿二丁目ほどマイノリティーがマジョリティーに成り代われる場ではないことを承知で、それでも行きたかった。

今夜そのバーに行く、と告げたら友人の中には、LGBTQイベントあるよねと知っている人もいた。驚いたけれど、だからこそ怯えちゃならない。

そうやって流暢に会話をしておいて、終わりに言うセリフは大抵決まっている。

「まあ、ゲイじゃないけど。」

あ、そう。別に聞いてないけど。とは言う気も起きないから、へえとも言わず、時間が水に流すのを待つだけ。

私がそうした関連イベントに行きたがることと、あなたがセクシャルマイノリティーであるかどうかは、微塵も関係ない。

黙っていたら勘違いされる、と思うのこそ勘違いだ。大丈夫だよ、別に何かを決めつける気はないから。

便宜上、見た目で生物学的性別を二分しなきゃトイレも行けないし、ドイツ語で人称Er/Sie (彼/彼女)が使えないから、そこは勝手に判断するはめになっても我慢し合う必要はあるけれど。

私はそのときだけ日本が羨ましくもなる。性別で区別しなければならない主語、を必ずしも使わなくても日本語は扱える。多目的トイレはもっと増えてくれると助かるのだけど。

ゲイバーの話が出たら、私は女の体をしているから男メインのゲイバーよりはレズビアンバーに行くことの方が多かった。そう話すと、だからといってレズビアンではないから、レズなの?と好奇の目で聞かれれば、違うよと言うだろう。

それで、ああソッチじゃないんだと勝手に安心されても意味がわからない。私は私なんだけども。

でもバイセクシュアルではあるし、というかきっとそれ以上、男女二元論に則っていなくても私は誰かを好きになるだろうし。

そして性的指向だけでなく性自認について言えば、私はXジェンダーってところなんだろう。

男に生まれた方が自然でいられたとは常々感じるが、だからといって女の身で満たされることもなくはないのだから、このズレにもどかしくなってさっさと肉体を捨てたくなる。そのくせ他者の肉体までも渇望して飢えている。馬鹿馬鹿しいアンビバレンス。

ゲイじゃないけど、と断言できる人間は本当はいないのではないか。と、論破したくなる。

なぜなら、これまでの性別や恋愛遍歴は、ただの反復に過ぎないから、今後変わりゆくことはあるだろう。最初から一箇所に居座ってそれを信じ続ける方が、あまりに悟りすぎて、あるいは無知すぎて、末恐ろしいのではないか。

本当は自分は男だったのだ、と思う瞬間が来るかもしれない。それまでの過去を投げ打って、ああ自分は男だけが好きなのだ、と覚醒する可能性だってある。
そうしたら、自分は男で、恋愛対象が男であれば、ゲイなわけだ。
可能性はどこにでもあるんじゃないの。

うん、私だって、シスジェンダーでヘテロセクシャル(異性愛者)だと信じていた。それがどうやら、違ったらしい。いつからかはわからない。

不動の地面の上に立っているのではなくて、大気中や、水中に、当てもなく彷徨っている、我々は旅人かもしれない。その無限の選択肢の中で、ココが落ち着くと思ったところに、定住したければすればいい。それもまた落ち着くだろう。幸せになれるんだろう。

私は、まだ旅の途中だから。明日は何者かわからないけれど、自分の普通通り、自然に従って生きていきたい。それだけです。

#セクシャルマイノリティー #LGBT

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