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少年時代

こどもは肩こりなんて、知らないと思っていた。母親が「肩凝るー」と呻いてボキボキ鳴らしていても、おとぎ話より遠い次元の話だった。

それなのに、私は小学二年生の頃から、重たい運命を背負った。首、肩、腰。ボキボキ。 ずっと同じ姿勢でいられない。不必要に動かしているように見えるけれど、当人にとってはそのズレを治すのに必死だった。右ボキ、左ボキっ。終わりなく、肩こりは喧嘩を仕掛けてくる。

小学二年生から肩こりに苦しんだ原因は、勉強のやり過ぎでもムシキングのやり過ぎでもない。
ジェットコースターに乗り過ぎたためだ。ジェットコースターというやつは、カーブを描いてグルグルグルグル駆け抜けるとき、なぜだか同じ方向へしかカーブしない。そのせいで、首が一方向からの風圧に負けて、その後一生付きまとう肩こりにヤラれてしまった。きっとジェットコースターが右にも左にも適度に揺れ動いてくれたら、±ゼロで、肩のズレは生じ得なかっただろうに。

そんな経緯につき、今日も私は肩こりに蝕まれながら必死こいて文字を並べている。

けれども小学生の柔軟性は素晴らしいもので、私は肩こりに苦しんではいたものの、心も体も自由だった。

低学年の頃は、「おしりペンごっこ」という、今やったら即警察に連行されそうな遊びをやっていた。
その名の通り、おしりペンごっことは、おにごっこのように「おに役」の子が逃げる子にタッチするのだが、このときタッチする場所がおしりでなくてはならない、というルールがあった。必ず逃げる子のおしりに触れる。というか、叩く。他の体位に触れてもおに役を代わることはできないのだ。ちなみにそれは、無邪気過ぎる私が考案した遊びだ。クラスメイトはノリノリで採用してくれたので、男子も女子もおしりを叩き合って遊んでいた。

中学年に上がると、おしりペンごっこは自然消滅した。
その頃私は、男子とばかり遊んでいた。女体である私は女子と遊ぶこともごく自然にあったけれど、男子とおにごっこ、登り棒、鉄棒、ムシキング、ポケモン、マリオカートなどをやっている方がずっと楽しかった。

登り棒で友達と蹴りあったりぶつかり合ったりしたおかげで、虐待を受けたのかというほど、数えると全身に痣が30個以上あるときもあった。痣を押すのが痛々しくも快感だった。

仲の良い男友達が登り棒にぶら下ったロープを奪うのを阻害するため、(二本のロープを結んでブランコにするのだ。低学年も巻き込んで大人気だった。もちろん先着順なので、登り棒のブランコに乗るためには学校1早く休み時間になったら駆けださなくてはならない)男友達のクツをげた箱の別の場所に隠すこともあった。逆に隠されてスタートダッシュが遅れることも。人生で最速だったのは10歳の頃だったはずだ。

何せ、二回の休み時間だけでなく、朝のホームルーム前も放課後も、登り棒へ駆けていたから。帰りの挨拶もそこそこに、「さよう」、「なら」が終わるより前に一目散に坂道を下って帰宅し、玄関にリュックを投げ出したらまた坂道を猛ダッシュで上がって、校庭の登り棒に集合していた。誇張ではなく、わんぱく少年だった。

私はなんだかんだ成績が良く、先生の言うことはよく聞いて係の仕事もよくやってたし、毎日駆け回っていたおかげで運動神経もいい方で、他のクラスの体育の授業に呼ばれて跳び箱のお手本を見せにいったくらいだったので、めちゃくちゃにヤンチャな振る舞いをしていても、他の子だったら注意されていたことも、先生が見過ごしてくれているような節があった。とても気分がイイ。
帰りのホームルームで「さようなら」の「ら」まで聞かずに教室を飛び出すのはイカン、と注意をされたことはあったが。

小5のとき、友達が格言を言った。ため息まじりに。
「ウチらの年が人生で一番幸せなんだよ」

それは本当にその通りであったのではないかと、大して長生きしていない若造の私だけれど思う。あの頃、校庭を猛ダッシュして友達とぶつかり合った時代が、人生の頂点だった。

高学年にもなると、ややこしい話題が出てくる。恋愛。恋愛。恋愛。恋愛。恋愛。

「あの子が空衣ちゃんのこと好きだって」
嘘か本当かわからないうわさ話が日常茶飯事になる。

男女の差。
更衣室は分けられ、女子トイレには生理用ナプキン。鏡の前でずっとキメてる女子の鬱陶しさときたら!
バレンタイン前後の騒々しさ。
服を着るにもブラジャーが透けないか、肩から見えないかとか。なんだこの不自由は。
男っぽい格好ばかりしていた私がたまにショーパンでも履こうものなら、(自称)オシャレ女子集団の女子が、「空衣がこんなん履いてるー!」と大騒ぎ。男の子の格好、女の子の格好、を意識しなければならない。

かつての、自由。

それは中学校に入り制服に心身が縛られることで、決定的に終わった。
私の輝かしい少年時代は、スカート・ボタンと襟付きのワイシャツ・タイトなブレザー、そして世間、特に男性側からの視点によって、否応無く幕を閉じた。
人生で一番幸せな時代とは、性差に不必要に縛られず無邪気に駆けることこそ自然だった、少年時代のことだ。


#エッセイ

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