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boat

夢のなかへ

恋人はいつも先にすいすいと漕ぎ出してしまい
わたしは、ひとり取り残されてしまう。

同じ布団に隣り合って
手を繋いで眠っていても 
眠りの世界へ旅立つときには、同じボートには乗れないようになっているみたいだ。

いくら愛し合った夫婦でも
大事に育てたこどもでも
いつも元気がない時なぐさめてくれたペットでも
みーんな、
死ぬときはひとり。というのに似ている。

それはとても寂しいようで、でも想像するとすこしだけ甘い気持ちにもなる。


死へと漕ぎ出すボードから、離れていく対岸にあるこのありふれた日常は、どれだけ美しく見えるんだろう。

わたしは残されるのか、それとも恋人より先に漕ぎ出していくのだろうか。



そんなことを、考えていたらまぶたが重くなってきてしまった。





目が覚めると、わたしは知らない場所にいた。

月がでている。とても静かな夜で、場所は湖のほとり。
隣には、先に夢の世界へ旅立って行ったはずの恋人がいた。

わたしたちは木でできた桟橋を渡っている。

渡り終えると、
ボードが一隻、岸に繋がれている場所についた。

とぷん...とぷん...
湖面の波が
ボートの底にあたって
不規則にゆれている。
この波はどこからくるんだろう。
湖の向こう岸は霧がかっていて見えない。
相当おおきな湖のようだ。

そのとき。水面に吸い込まれるように体がふわり、と前に進み出した。

わたしだけが、ボートに乗り込むようだ。


わたしは振り返るように、それまで繋いでいた手を、丁寧に丁寧にほどいていった。恋人は優しく微笑んでいた。
わたしの髪に愛しい視線が残っているようなのを感じながら、切ないような、でも幸福なような気持ちで。私はボートの方へ向き直った。

言葉を交わさなくても、その仕草が全てであった気がした。 

この瞬間、ただただ穏やかに。
ほんのすこし微笑みあってさよならをするために。
私たちが出会ってからの全ての時間があったような気すらした。

ボートに乗り込むと、重みで一度ぐっと沈みこんだ。
星の美しい夜だったので
わたしは、
いつか美術の教科書で見た、オフィーリアの絵のように
ボートに横たわる。

不思議と寂しくはなかった。

たっぷりとした満月からさす光が
湖面に真っ直ぐな道をつくる。

その光は道のように空へと続いていた。

波に、揺られているうちに
だんだん力が抜け、重力を感じなくなった。
体すらもないみたいに、ふわふわとしている。

ボートはついに浮き上がり、水面をはなれ
月の光に導かれるように空へと登っていく。

夜空へと近づくと、星たちはひとつひとつ
控えめにささやくように、けれども美しい声で歌っていた。
どこかで恋人もこの音楽を聞いているかな。
わたしたちも、いつかこの星の一つになるのかな・・・
そうぼんやりと思いながら、
空へと吸い込まれていった。

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