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「同じ目を持っている人」

家の近くに花屋がある。大通りに面していて、普段ならたくさん人が通るが、ここ最近は人がまばらにしか通らない。入り口には、A4紙がビニールテープで貼ってあり、感染症対策のために、マスク着用していない人は入室禁止など、いくつかのルールが書かれていた。

その店長であろう、50歳ぐらいの男性がいる。

彼のことを前から気になっていたが、短髪で、ちょっと焼けていて、眼光鋭く、ぱっと見「職人オヤジ」みたいな印象を受ける。なんだか頑固そうだ。僕はそういう人間がとても好きで、色々、仕事の話を聞きたくなる。

「どうやって花って選んでいるんですか」「花屋の格って何で決まるんですか」など、無駄にたくさん聞くのは嫌がるだろうのでやらないが、2〜3の質問を通じて、「何がその人の大事にしているものなのか」仮説を立て、聞くのが楽しいからだ。なんなら、そのやりとりの閃光だけで、相手と自分が通じ合える感覚を感じられるときさえあるからだ。

「琴線に触れる質問」

というものがある。琴線に触れる、というのはここではいい意味で「そうそうそう!そういう質問待っていたんだよ」と質問される側が気づきをもらえて、楽しく話してしまうような質問だ。職人タイプの人と対峙するとき、この琴線に触れる質問ができるかどうか、がその人と一瞬で仲良くなれるかどうかを決めている、とよく思う。

仕事には、こだわりを持って働く人と、こだわりがあまりない人がいるが、長きに渡り素晴らしい物を作る人はベースラインが「異常なぐらいこだわりがある」ことが多い。(そのくせ、「手段には柔軟」であることが多い気がする)

そんな彼らと対峙するとき、話すとき、僕らはある種の「尊敬と恐怖」を感じることがある。自分が適当な仕事をしていると、それが一瞬でバレるような怖さ、それでいて「膨大に積み上げてきたものがたくさんあるんだろうな」と感じされる迫力。その両方に包まれるとき、人は、自分が人間としての格を問われる感覚を受ける。だから尊敬と恐怖を感じる。

「さぁ、お前は、どれぐらい必死に何かを積み上げてきたのか」

「お前は、俺と同じ目を持っているのか」

と問われている感じがしちゃうのだ。結局のところ、何かを学ぶ、何かの領域で賢くなっていく、というのは、目を磨いていくことだ。異常なぐらい細かい差に気づけるようになっていくことだ。そして、その目を自由自在に調整できるか、でもある。ある時は異常に細かく、あるときは、ゆるく心優しくぼんやりとした目でみる。その目の解像度が変幻自在になる、ということだ。

その意味で、職人の人は常に「安易に一般化されるのを嫌う」人種でもあり、そして「その違いに気づく目を持っている人との出会い」を求めている人種でもある。さて、何がいいたいのか。それは、そういう職人気質の人が、僕はとても好きだ、ということであるし、これからも、そういう人とたくさん時間を過ごし、事業や作品を作っていけたら嬉しいし、そういうこだわりをもって働いている人を応援できるように頑張りたい。ということである。



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