そのへんの雑草を食べて生きている人

実家の隣は公園なんだが毎年父が生えてるキノコ食べようとするので母が止めている。今年こそは食うかもしれないと我々子供たちは思っているが毎回母がうまいことやってるのかギリギリ食べない。子供の頃道端で死んでた鳥を触っただけでめちゃめちゃ叱られたのにいま父はキノコを触るどころか食おうとしてて納得いかない。人間は歳を取るにつれて子供に戻っていくということなのかもしれない。

先日たまたま実家に寄った際、やはり親としては近くに住んでほしいのか「★★(実家あるとこ、地元)に住むのはどうか」と父が提案してきた。
★★で育った私は地元がいかに田舎かをよく知っているため不便だから嫌だと激しく拒否し、娘を懐柔できないと察した父は旦那さんにターゲットを変更した。

私の目を盗んで旦那さんに近付いた父は、彼なりに色々と地元のPRポイントをいくつか述べたがネタが尽きたようで、最後の方は「★★には色々と食べられる物が落ちている」と言いながら道で拾った木の実を見せてきたらしい。
そんなの、★★が田舎であるということを自ら逆説的に肯定しているじゃん。母によると、阿斗か?と思うほど大事そうになんか抱えて帰ってきたから何かと思ったらとちの実を拾ってきたそうだ。旦那さんに見せたそれがそうだ。三大欲求である食に訴えてくるのはいいのだがもうちょっとこう、なんか、こうさあ……あったろうよ。

旦那さんは木の実を見せつけてくる男を前に、私が以前ラッコの物真似をしながら「石見る?! 石見る?!」と詰め寄ってきたことを思い出し、石見せてこようとするラッコ(嫁)の親だなあと思ったという。
ラッコは貝を割る石を適当にその辺から拾っているわけではなく、ちゃんと吟味した上でこれと決め、大切に使い続けるのだ。
仲間に石を自慢する行動も見られ、無くすと本気で落ち込む様子も見られると図鑑で読んだ。

「そういえばお父さんに食べられる木の実を見せられたよ」といきなり私に打ち明けてきた旦那さんの背後のテレビでは「そのへんの雑草を食べて生活している人」という激レアさんが放映されていて、絶対これ見て思い出したんだろうなと思った。父親が激レアさん認定されたようだが正直異論はない。

旦那さんに対する攻勢は続いており「★★の不動産屋さんが近所の大型商業施設にあるからそこ見たらどう」と地元の不動産屋を紹介した翌日「閉店していた」という連絡がくるなどして、日常にかわいい笑いを提供してくれている。
父かわいいと思ったことなかったので旦那さんには感謝している。変な人だなとしかほんとに思ったことなかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?