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水は天井から滴る 第四話


狂乱の家族

 目が覚めるなり、誰の言葉も聞かずに優奈は庭へと走り出していた。頭から血が流れ頬を伝い、服を汚していくのなど気にしている余裕など無かった。
 奇怪な見た目のあの男が音も無く桑名家へと侵入し、優奈を拳大の石で殴り昏倒させ、愛する奈緒を連れ去って行ったからだ。優奈が倒れる瞬間までは奈緒は泣きじゃくっていたが、床に伏し朦朧とする意識ではその声を確認出来なかった。覚えていないのではなく声がしていなかったと確信し、それは無理矢理に口を押さえつけなければ到底出来ない事だ。口ならばまだしも、もしも首であったなら……あまりに恐ろしい想像が頭を過り、駆け出していた。
 この暗闇では何の手がかりも無いし、見つけるのは至難の技かもしれないが、優奈は懸命に奈緒の名を呼び、少しでも彼女の泣き声が聞こえればと願い続けていた。
 状況を一早く察したのは光輝で、光輝はあの家に向かって走り出していた。優奈も光輝の後に続いて走った。もしかするとあの男がタイミングを見計らって戻ってきているかもしれない。今度こそ現行犯で捕まえる、いや、もしも危害を加えていたならばその時は。
 先に着いていた光輝は、両親と話し込んでいる毅にまたしても詰め寄っていた。優奈もそうしたかったが、それよりも床下にいるかもしれない奈緒が先だった。毅とその島崎両親の言葉を無視して床下を這って進んでいく。ライトに照らされて軒下の物が露わになっていくが、どれもこれも毅が話した内容と違っていた。大量の空き缶、お菓子の袋、砂にまみれた布団と毛布、何冊もの絵本。明らかに誰かが用意しなければ無いはずの物が散乱している。一心不乱にそれらを掻き分け奈緒を探すがどこにもいない。砂に水滴が落ちて黒く固まったのを見て、頭から血が出ているのだとやっとここで認識し、視界が揺らいだ。一体どうしてこんな事に。何故奈緒が狙われなければいけないのか? 体の中に悔しさと怒りが満ち満ちていくのを優奈ははっきりと感じていた。怒りの矛先を向けるべき相手が、奈緒の行き先を知っている。適当なぬいぐるみを握り締め、両人に突き付ける。
「あんた達これどういう事!? 奈緒をどこにやったの!?」
「し、知らん! そぎゃんとが家ん下にあるとか知らんやったわ!」
「白々しい!!」
 優奈はぬいぐるみを投げつけ、長いガラス片の切っ先を向けた。
「奈緒を、どこにやったの」
「優奈さん! 落ち着いて!」
「お、奥さん、ほら、光輝君もこう言ってますし、それを置いて、話を」
「黙って! 大体あんた、警察のくせに何一つ仕事出来てないしそれにここの息子でしょうが。あんたもグルなんでしょ? じゃないとサイレン点けて来るなって言ったのにガンガン鳴らしてきやがって、しかもそのぬいぐるみは何!? 『何も無かった』とかふざけるのも大概にしてくれる!? あんな気色の悪いもん匿ったりして──きゃっ」
 優奈がそう言った瞬間だった。それまでずっと知らぬ存ぜぬで通してきていた筈の島崎ミツが、優奈に奇声を上げながら優奈に掴みかかった。
 掴みかかった拍子に入歯が口から飛び出てしまい、叫んでいる内容は全く分からない。ただ、優奈があの男に対して罵倒したのが気に食わなかったのは間違いない。ガラス片が顔を切ったのも構わずに、優奈の顔を搔きむしろうと曲がった腰と手を伸ばしている。まるで生者に襲い掛かるゾンビの様だ。
 毅も光輝も、そしてミツの夫猛雄たけおも反応出来ずにいたが、優奈の
「何なのよもう!」
 という声で皆が一斉に動き出した。光輝と文則は優奈を、猛雄はミツを押さえようと腕を掴んで二人を引き離していく。優奈は「この老いぼれが! 奈緒が死んだらぶっ殺してやる!」と叫び、ミツはミツで言葉にならないが殺してやると叫んでいるようだ。光輝がどうにかガラス片を奪って捨てさったが、まだ激しく掴みあい今度は髪の毛を引っ張っている。普段力仕事をこなしている文則ですら未だ引き離せていないのは、母の愛ゆえにもたらされる力なのか。島崎夫婦もまた老人らしい四苦八苦加減だが、むしろこちらの方を止めた方が良いのではと光輝は思っていた。
 ミツが口の端から白い泡を吹き始めたからだ。感情と身体は密接に繋がっているし、怒りによって血圧が急激に上昇すれば多少なりとも体に負担が掛かる。高齢ともなれば尚更だ、と光輝はミツの手を掴んだ。
「えっ……おい! 毅は綱藤のとこに行ったんか!」
 その数秒後、光輝が周りを見渡して突然ミツに言いよった。後から聞けば何を言っていたのか理解出来たと言うが、優奈には一つも理解出来なかった。兎に角ミツが叫んでいたのは
ゆうちゃ・・・・を悪く言う奴は殺してやる、毅はゆうを逃がせ、綱藤の所に行け」
 という内容だった。
 優奈と文則が辺りを見回すと確かに毅がいない。ガタイだけは一人前の男が気付かれずにいなくなるのかと驚くと同時に、光輝はまた不覚を取られてしまった事に酷く打ちのめされた。またしても先を越され、事前に止める事が出来なかった。
 綱藤家へと向かわねば。
 しかしここを文則だけに任せてもいいのか逡巡した。ここを収束させずに向かえば、ミツと優奈が何をしでかすか分からない。いや、あるいは全員で向かう方が賢明なのか。
 ここでやっと文則が切り出した。
「タケさん、ミツさん、自分らがなんばしよっとか分かっとぉとですか? あん男が誰かよう知らんばってんですね、人ば攫っとうとですよ。そっば匿うとはそっだけの理由があっとですよね? 事情があっなら話してみらんですか」
 やっと引き離した二人だが、未だミツは興奮して息が荒く今にも過呼吸を起こしそうだ。暴れるミツをなんとか押さえながら、猛雄が痰を吐き捨て文則の問いに答えた。
「家んこつば知らんもんに教える物は何も無か。大体もう、おっどんが赤子はおらんくなっとうわ。あん赤子は儂らのもんた。はっ、シゲがしっかせんけんがこうなっとうとぞ。こんだけで済んどうならたいぎゃまして」
 猛雄の言葉の意味が三人には分からなかった。奈緒が攫われたのは自分達、もしくは一年前に失踪した繫巳のせいだと言う。更には桑名家には、桑名家の人間が知らず近所に住む人間が知っている事実があるのだと。それは島崎家のみならず綱藤家も知っている。
「ひゃっ、ひゃっ、ひっ、はひゃっ!」
 ミツが窪んだ口で不格好に笑う。さぞ嬉しそうに、勝ち誇った様に笑っている。思わず光輝は拳が出そうになったが、それよりも先に文則がミツに殴りかかっていた。綺麗に顔に入ってしまった拳は、入歯の無いゆるゆるの頬を揺らし、ミツの頬骨と左下顎の骨を割った。数分前から興奮しっぱなしだったミツは、その衝撃と痛みに一瞬耐え文則を睨みつけたが、ぐるんと白目を剥き泡を吹いてその場に昏倒した。
「ばっ……ぬしゃなんば……このっ!」
「タケさん、今までたいがな世話んなったばってんが、こぎゃん仕打ちは無かとじゃなかですか。今から救急ば呼びますけん、付いとってください」
 猛雄は文則に詰め寄ろうとするが、怒りとミツへの心配を天秤に掛けミツを取った。それを見て文則達は救急に電話しながら島崎家を後にした。

 綱藤つなふじ家。花掌村を襲った地震で被災した小学校校舎と地割れした運動場、更には桑名家のある下河区の道路の修繕費まで手出ししたと言われている富豪の一家である。一昔前には県議会議員まで出した事もあり、その影響力はそこらの家とは桁違いだ。ただ孫の祐輔の葬式からの十年に関して言えば、当代の八悟朗はちごろうを含めて殆ど姿を見ていない。村で何かを決定しなければならない際には電話か、息子の和成かずなりがまれに出て来るくらいだった。
 しかも会議に参加すると言うよりは、最終的に彼らからのオーケーを貰う為に来てもらっている感覚だ。
 金と土地によって齎される権力と、それに準ずる暗黙の了解。一度でも会議に参加した親達であれば、そうした状況を見聞きしいずれ納得する。納得の仕方はそれぞれ違うようだが。
 その綱藤家にミツは行けと言った。同じ区内に住んでいるのだから交流があってもおかしくはないが、それが綱藤家であれば話は変わってくる。心なしか文則の汗も多い。
 光輝達は綱藤家の正面入り口に到着した。敷地や屋敷の様相は他の民家となんら変わりがない、至って普通の民家だ。この家が村一番の金持ちだとは誰も思わないだろう。
 生垣に囲まれた敷地内を歩いていく。砂利が敷き詰められているが、誰かが走った様に等間隔に凹みがある。その凹みは三和土まで続き、先には開いたままの玄関が見えた。閉め忘れた可能性も頭を過ったが、この日に限って偶然開いているなんて事はないだろう。靴の形に付いた泥が、毅が開けたままにした証拠で間違いない。
「電気点いてないね」
 光輝がぼそりと呟いた。玄関も縁側もどこも点いておらず、物音ひとつ聞こえてこない。確実に人がいるはずなのに気配が全くしない家を前に、嫌な妄想だけが膨らんでいく。せめて一声泣き声が聞こえれば。
「入ろう」
 言うが早いか優奈は小さくお邪魔しますと宣言して、止める間もなくずかずかと家の中に入って行った。靴を脱いでいるのは人の家だからだろうが、そもそも断りも無く上がり込んでいる時点で正常な判断が出来ている訳ではない。二人もそれは例外ではなく文則も光輝も続き
「綱藤さーん! お邪魔しますよー!」
 と、文則は家の奥まで届く様に挨拶して中に入った。
 文則の考えとしては綱藤家が関わっている証拠が無く、推定無罪、あるいは協力してもらえるかもしれないと思っていた。島崎と綱藤の関係性は不明だが、不明なだけに犯罪に手を貸しているとは考えたくなかった。基本的な人としては正しい思考だが、結果として最悪の事態に繋がってしまう事も往々にしてある。
 玄関を入ってすぐの短い板張りの廊下を進み、右手の古い磨りガラス戸を開ける。昼間に訪れれば、欄間に装飾が施してあるのが拝見出来ただろう。 
 電気を点けようと壁のスイッチを押すが、ブレーカーが落ちているのかパチパチと手元が鳴るだけだ。大抵風呂場の近くにあるからと、文則は懐中電灯を頼りに一人で探しに行ってしまった。
 十畳の和室に一枚板のテーブルが置かれ、上にはまだ食べかけの夕食が二人分残されていた。味噌汁が冷めきっているとか、海苔の蓋がちゃんと閉まっていないだとかの違和感に気付くには時間が無かった。何故なら大きく四回

ズパァン! ズパァンズパァン! ズパァン!

と轟音が鳴り響いたからだ。
 実際に耳にしたことが無くても、ニュースで映画などで聞いた事があるあの音。明らかに何かが起きたと分からされる音。
「今の……銃声?」
 毅が誰かに向かって発砲したのだ。まさかこんな間近で銃声を聞くとは夢にも思わない。高まった緊張感の中での銃声は思考を吹き飛ばすには効果的だったようで、光輝はあっけにとられたまま音の方角を向いて固まった。
 光輝は無事だ。しかし文則はどうだろうか。一人でブレーカーを探しに行ってから連絡も無い。綱藤家の誰かしらが撃たれたのか。奈緒は無事なのか。
 返答出来ない光輝を前に先に動いたのはやはり優奈で、娘の名前を呟いて音の方向へと走って行った。
 優奈は光輝に共に来て欲しいとは微塵も考えていなかったし、この時着いて来れなかったことを責めるつもりは一切なかった。当たり前だ、奈緒を心配しているのと同様に光輝の身も案じているからだ。幼い頃から事ある毎に遊びに行き、盆や正月も共に過ごした事がある可愛い従弟なのだ。奈緒もそうだし、繫巳の失踪に関連するあの不気味な男の件でも光輝は「自分が一番近くてすぐに帰れるから」という理由で、ずっと捜索し続け危ない目にも遭っている。一緒に探してくれるのは嬉しい反面、他の人に任せたっていいから安全な所にいて欲しいと思っている。あまりの事態に甘えている自分がいる、そう重く感じる部分があった。あのままあそこにいてくれるならそれでいい。
 廊下にある扉を片っ端から開けていくが、寝室や仏間には誰もいない。
「叔父さん?」
 廊下の先に文則が立っていた。どこかの部屋を見つめているが、優奈の呼びかけに反応しない。優奈がゆっくり近づくと文則は少し驚き
「あ、いや、どぎゃんしたもんかと思ってな……」
 と中を指さした。その部屋の中を覗くと洗面台と洗濯機があった。ここが風呂場のようだが、ブレーカーは無かったのだろうか。
 一歩中に入って上を見ると古い仕様のブレーカーが設置してあり、スイッチはオフになっている。文則が何を言っているのか分からないが、事は急を要する。優奈はスイッチをオンにした。
 パチパチッと音を立てて家中の電気が点いた。電灯のカバーと蛍光灯自体に埃が溜まって薄暗い。それなりに片付いてはいるものの、雑に置かれたままの衣服や洗剤、汚れの溜まり具合からはとても富豪の家には見えない。どこにでもありそうな民家だ。
 しかし文則はここに踏み入るのを躊躇した。
 優奈は文則の足を止めた何かを確認しようと、脱衣所を過ぎて風呂場に入った。
「……お、叔父さん、これって」
 湯舟のすぐ左の壁がぽっかりと口を開けていた。穴には丁寧に木の扉が備え付けられ、電灯に照らされたその穴は地面に向かって斜めに掘り進めてある。更に今しがた飛び散ったと思われる血が、壁面や風呂場のタイルにこびり付いていた。
 ピチャン、と天井から水滴が落ちたので見上げると、天井にも放射状に付いていた。
 あの銃声はここから聞こえたのか。そうでなくても異常な光景には違いない。
「──────」
 穴の奥底からぶつぶつと低い音程の声が、小さく木霊して優奈の耳に入った。文則が躊躇するのも無理は無いし、流石の優奈も悩んだ。前々からとんでもない事件に巻き込まれているとは感じていたが、失踪、奇形の男、誘拐、銃声ときて、富豪の家にお経の聞こえる不気味な穴が現れたとあれば、一気に気分が悪くもなる。
「うわっ……これってもしかして血……ですか?」
 いつの間にか光輝が優奈の横に立っていた。一面を見て青ざめており、まさに血の気の引いた顔をしている。あまり見過ぎて貧血でも起こされたら困るが、光輝がふと訝しげに顔をしかめ、木霊するお経に耳を澄ませた。
「どうしたの?」
「これ、どっかで聞いた事ある……多分だけど、爺ちゃんがあの時唱えてたのと同じだ」
「あの時っていつ?」
「爺ちゃんが初めて仏像見た時に急に祈りだして……」
「いなくなる前日の話?」
「そうですね……あっ」
 光輝の顔に閃きと困惑の表情が映った。
「そうだ……この家、小さい頃によくお経を読む声が外まで響いてて、そう言えば爺ちゃんがいなくなった日もこの家から……同じのが聞こえてきてて……今のこれも」
 二人は顔を見合わせ、そして穴の方を見た。さっきよりも、より闇が暗く黒く瞳に映る。ごくりと唾を飲み込む仕草をしてもカラカラになった喉が鳴るだけで、緊張がほぐれも喉が潤いもしない。
「俺が見て来っけんがお前らはここおってよか……何があっか分からんけん」
 文則が後ろから声を掛け、二人の肩を掴んで後ろに下がらせる。その手が震えているのを感じ、光輝は恐ろしくなった。このまま一人で行かせたら父が死ぬ、そんな気がした。
「いや、俺も行く」
「でけん」
 と文則は語気を強めて断ったが、優奈もまた行くと言って聞かなかった。このままここで言い争っても確かめられないし、逆に残すのも危険になるかもしれない。優奈の言う事ももっともだが、そもそも二人には外で待っていて欲しかったのが文則の本音だった。もしもの時に守れない可能性がかなり高い。いざとなれば身を挺して守るつもりはあるけれど、咄嗟に動けるかはわからない。
 苦肉の策として、文則を先頭にして優奈を挟む形で穴の奥に進む事に決まった。
 土の中は年中を通してあまり気温が変わらない。地下十メートル地点の平均気温は十五度前後。四季や地域によって若干の差はあるが、基本的に気温の上下が少ない。
 ひんやりとした土の壁が階段を下りる三人の足音を吸収する。体感で一階半程降りた地面に一筋の光が落ち、不規則に明滅を繰り返している。備え付けられた扉は二重になっており、内側の扉は格子状になっており、どこからどう見ても檻にしか見えない。一体何の為に。そこから見える不規則な明滅と規則的なお経の声。不安を煽るには良い組み合わせと言えるだろう。
 声を極力落として文則が言った。
「俺がさしより中ば見るけんが、良かて言うまで動いたらいかんぞ。良かな」
 二人が頷いたのを確認し、文則はギィと軋んで開いた隙間から顔を覗かせた。その瞬間
「うっ…………」
 思わず出そうになった声を、辛うじて押し殺したのが光輝から見て取れた。明らかに何かを見て固まっている。未だ聞こえるお経を唱える主を見たからなのか、それともそれ以外の何かがあったのか、光輝の位置からは確認が出来ない。
 初めに全貌を見てしまったのは文則だったが、少しばかり中が見える位置に居てしまったのが優奈だった。誰よりも中の様子を知りたい優奈は、気持ちを抑えられず身を乗り出していて、地下室の左の壁に誰かが寄りかかっているのを目にした。
 白髪の女性……この家の住人らしいその女性は力無く壁に項垂れている。白い寝巻を着ているようだが腹部が赤黒く染まり、口元から同じ色の液体を垂れ流していた。撃たれたのは彼女か。まだ息があるのか小さく肩で息をしているようだ。助けに行った方がいいのだろうが、まだ文則が良しと言っていない。老婆ではない物を見て固まっているのなら、死にかけの老婆よりも衝撃的なはずだ。私達に見せられない何か……
 奈緒。
 娘の顔が浮かんでしまうともう駄目だった。弾け飛ぶように優奈は扉を開け放った。手を添えていた文則はその拍子に尻餅を着き、背中から地面に転がったが優奈はお構いなしに地下室に飛び込んだ。
「あ……ああ…………いやぁあああああああ!!!!」
 優奈の絶叫がお経に代わって響き渡った。慌てて光輝も中へと踏み込んだが、地獄絵図そのものの光景が広がっていた。

 薄暗い地下室には更に三つの小部屋に繋がっており、内二つには木で出来た檻が備え付けられていた。その檻にくの字になって顔をうずめる白髪の男性が倒れており、後頭部に開いた穴から血とそれ以外の物が流れ落ちている。その丁度向かいの壁際には同じく倒れこむ老婆がいた。
 部屋の中央で毅が掌を背中で合わせたまま、こちらに驚きの表情を見せていた。毅のすぐ左には例の三本腕の男がおり、不自然に生えた右腕を地に付け一心不乱にお経を唱えている。唱えている先には家を解体した際に発見された仏像が、無数の腕を模った台座の上に鎮座していた。台座と相まって悪趣味ここに極まれりと言った見た目だが、優奈には最早そのどれもが視界に入っていない。
 胡坐をかく仏像のその脚の上、両足と股の窪みに奈緒が横たわっていたからだ。
 彼女の小さな心臓が彼女の小さな胸の上に置かれている。どういう訳か未だ脈打ち、胸元と心臓から流れ出す血は仏像へと染み込み、枯れた仏像がしっとりと息を吹き返している様にも見える。
 儀式めいたそれも、死に体の老夫婦も、全てが常軌を逸していた。
「こっ……ここで何ばしよっとかあ!!!!」
 先に我に返った毅が叫びながら突進してきた。特徴的なドタドタ走りと必死の形相がちぐはぐに見えて仕方ないが、この状況下で咄嗟の判断など出来ず、優奈はもろに体当たりを食らってしまった。ほぼ二倍の体格差がある毅とぶつかり、壁に吹き飛ばされ
「うぐっ!」
 と呻き声を上げて床にうずくまった。それを見た光輝は無謀にも毅に組みかかった。
「何してるはっ、てめえの方だろうが!!」
「せからしい! ぬしゃあぬくぬく育った癖してからっ! 何が分かっどか!!」
「知らん!! 何があった所でこれはやったらいかんて、くっ……警察なら分からんのか!? ふざけたこと抜かすな阿保が!!」
 普段特に何もしていない光輝と仮にも警察学校を卒業している毅とでは、体格の差はあまりなくても力が拮抗しているとは言い難い。
 その隙を伺っていた三本腕の男が、光輝達が入って来た入り口に向かって逃げ出した。
「おい!! あっ、このっ!!」
 光輝はまだ組み合っていて防げそうになく、優奈もまだうずくまったまま。残る文則に任せたいが、まだ尻餅をついたままなのか壁に隠れて姿が見えない。
 ここで逃がしたらまた誰かが被害に遭うかもしれないし、何より、報いを受けさせられない。
「お父さん!」
 姿が確認出来ないまま光輝は叫び、その警告はしっかりと文則の耳に届いていた。
 逃げようとする男の姿を二重扉の柵越しに確認していた文則は、男が入り口に来た瞬間を狙い、その柵を自分側に引き寄せ体重を乗せてぶつける事に成功した。男は真正面から柵にぶつかり、組み合う二人の方へ吹き飛んでいった。その際、不自然に生えた腕が枠にはまって折れ、骨が肉を突き破った。その突き破った骨が毅の太腿をざっくりと引き裂いた。
「あぁ……んんん!! んあぁあ! いあぁぁいいいいあいぉおにいはぁああん!!」
 床でのたうち回る男が声を初めて発した。余りに舌足らずで麻痺した様な、まだ声変わりを果たしていない幼く不安定な発音だった。
 光輝は自閉症患者を思い浮かべたが、それだけでは足りない耳障りな音が混じっているのも感じていた。本人から発されているが、どうにも本人の物とは思えない。カラオケのエコーかリバーブが掛かっているのかと錯覚を覚える奇妙さがあった。
雄二ゆうじ!!!」
「んああ! ほえがぁ、ほえがあああ!!」
 毅は男を抱き寄せて名前を呼んだ。島崎家と関係があるのは明白だったが、旧知の仲以上の物があったようだ。泥だらけになり血に塗れても気にも留めず、男の……雄二という名の付いた不気味な男を介抱しようとしていた。ざらつく悲鳴と刻々と変わる状況の中、ふらふらと優奈が立ち上がり奈緒の元へと駆け寄った。
「ああ……そんな、奈緒……奈緒! いや……そんな」
 胸から心臓が落ちない様抱きかかえ、震える手で心臓を胸の中に押し戻す。切れた無数の血管に圧力がかかり血が止めどなく溢れてくる。辛うじてあるらしい意識は敏感に痛みを感じさせ、奈緒の身体をびくびくと痙攣させた。
「駄目っ、いやなんで……お願いお願い死なないで、いやだぁ」
 口や胸から血を垂れ流しながら痙攣し、心臓を戻されてから数秒して全く動かなくなった。
 奈緒が死んだ。それをどうやって受け止めればいいのか優奈には分からず、ずっと張りつめていた緊張がプツリと切れた。目を開けたまま屍と化した我が子をただ茫然と抱いてるだけ。涙が頬を伝い奈緒へと落ちていくが、拭く余裕はほんの少しも残っていない。
「…………ふへっ」
 放心する三人を異常な現実へと引き戻したのは、一つの笑い声だった。
 雄二が二本の腕で折れた腕を持ったまま引き攣った笑みを見せている。
「こっ、こえでおうちたすかるねぇ、うれ、うれじいね、おにいひゃん」
「そうだなぁ! ようやったぞ雄二! 流石自慢の弟だ」
 何を一丁前に家族ごっこをしているのか全貌が分からないにしろ、一人の命が消えた事を喜び称賛する、さながら悪魔のいけにえのソーヤー一家のようだ。
 家を助ける為にやる儀式が、幼い子供の心臓を抉って仏像の上に供える事だと言うのだだろうか。
 一昔前の言い方をすれば人柱だろう。迷信の中でも群を抜いて信ぴょう性の無い物の一つだが、この科学が進んだ世の中で盲目的に信じ、実行する人間がいるなどこの部屋を見ない限り信じられない。
 だが、今ここで重要なのは奈緒が死んだという事実だけだった。
「こっ……こ……し……やる」
「……優奈さん?」
「こ……殺してやる」
 動かなくなった奈緒を地面にゆっくりと下ろし、優奈がゆらりと立ち上がった。泣き腫らし怒りで血走った目で、家族ごっこを興じる二人を睨みつけている。
 鬼子母神を彷彿させるその表情と気迫に、光輝は何も言えなくなってしまった。虫も殺せない程温厚な彼女の人相が、別人かと思う程歪んでいる。
 目線が動いた。優奈は地面に落ちているそれが何かを理解すると、それ目掛けて駆け出した。
 それは一丁の銃だった。
 毅が警官として携帯し、つい数分前に老人二人に向けて二発ずつ弾丸を放った。その後毅はホルスターに戻してはいたものの、留め具を掛けるのを失念していた。文則が雄二を扉をぶつけ突き飛ばして組み合う二人に倒れこんだ際、銃はホルスターを飛び出し地面に転がった。それに気付かない頭の弱さが毅が毅たる所以なのだろうが、瞬時の判断を鈍らせる材料として雄二の存在も大きかったようだ。
 数舜遅れて銃を取り戻そうと動き始めたが時既に遅く、銃は優奈の手に収まってしまった。
「そぎゃんこつせんでええ止めろ!!」
 文則の声は全く耳に届いていない。愛する我が子の笑顔や涙を見る事も、成長を感じ言い争う事も出来ない。人の子を攫い、更には家を助ける等とふざけた名目で娘を殺した人間など、一秒でも早く死んだほうがいい。夫だけでなく子供まで奪うのか。
 優奈は夫のわたるを事故で亡くしていた。
 今はドライブレコーダーの普及によって多少防げるようになったが、法が整備される前に、白いバンからの執拗な煽り運転の末亡くなっていた。渉は優奈と同じく温厚な人物で、常日頃から世話好きの苦労人というイメージを持たれていた。そこに優奈は惚れこんだ訳だったが、温厚とは裏を返せば気が弱いこととも繋がっている。
 そして気性の荒い四十代の男に難癖を付けられてしまい、5キロ程煽り続けられた後、ハンドル操作を誤り斜面から転落。救急が駆け付けた時には意識があり、優奈も急ぎ病院へと駆け付けたが
「人に優しくして、奈緒をよろしく、愛してる」
 と途切れ途切れに伝え、その言葉を最後に二時間を経たずして命を落とした。
 二日後、多くの目撃情報と監視カメラの映像が証拠となり、犯人の男は逮捕された。法整備がなされていない事もあり、現在よりも軽い刑罰となったが、それ以上を優奈は望まなかった。勿論、どれだけ正しい事を示したとしても、一切響かない人間がいると知っている。だからこそ重い刑に処されるべきだと思うが、それで夫が戻って来る訳ではない。
 しかし辛く押し潰されそうな心を奮い立たせ、優奈は夫の最後の言葉を自分なりに大事にしようと誓ったのだ。犯人についての情報はそれ以上聞かない様にして、奈緒への愛情へと転化させた。
 その矢先だった。優奈は毅か、あるいは雄二と呼ばれる奇形の男に向けて銃弾を放つ事しか頭に無かった。
 優奈は引き金を引き、数分前に聞いた音と同じ爆音が地下室内に響き渡った。
 警察が使用する拳銃はリボルバー式で、装弾数は五発の物が一般的だ。日本の犯罪は銃を使用しなければならない程危険性の高い物が、アメリカやその他の国に比べて少ないと言える。アメリカは特に銃社会でもある為、犯人が銃を所持している可能性があり、その場を制圧する為に装弾数の多いセミオートが使用されている。
 簡単に言えば、リボルバーは携帯と取り扱いがし易く、セミオートは取り扱いが難しいものの、複数回射撃に向いている。ここで付け加えるならば、日本の警察が使用する拳銃は引き金が固く、銃身長が短い為反動も大きいのが特徴でもある。
 訓練していない一般の、しかも非力な女性がこれを撃つとなると相当な力を籠めなければ発砲は難しいだろう。
 ところが火事場の馬鹿力とでも言うべき力を出した優奈は、ややあって引き金を引く事が出来てしまった。力を込めた際に照準が上がり、かつ、銃の反動によって銃身が大きく上に逸れた。結果、銃弾は本来なら当たるであろう毅と雄二の腹部辺りではなく、それから20センチ程上に向けて発射された。
 驚く事に発砲する寸前に雄二が毅を守る様に上体を起こした為、雄二の右頸動脈を貫通し、毅の右鎖骨と第一胸骨の間に着弾した。
 銃の反動で背中から倒れた優奈は「だめだ!」と叫んだ光輝の声を聞き逃していたが、すぐに訪れた短い沈黙によって自分が何をしたのかはっきりと理解した。
「……ぐぷっ……えぁっ」
 音にならない雄二の血を吐く音を皮切りに、地下室にまた騒がしさが戻って来た。
「ゆ、雄二!! 雄二!! おい! ああ、いかんいかん死ぬな! こっ、このくそ女が! なして雄二ば撃ったつや!!」
 そう叫びながら雄二の首元を押さえ、どうにかして血が流れ出るのを止めようとしている。
「な、なあ光輝! 救急ば呼んでくれ! 早う! こんままじゃ雄二が死ぬる!!」
 毅は光輝に向かってそう言った。しかし、光輝は何を言っているのか一文字たりとも理解出来なかった。純粋にこいつらは頭がおかしいのだと、偶然日本語を話すだけで別の生き物なのだと思った。
 後ろで佇む文則は半ば俯瞰した気持ちで見ていたが、別の要因で我に返った。
 倒れこんでいる優奈の右側の檻、そこから皺だらけの腕がぬうっと現れたからだ。綱藤家の老夫婦、八悟朗とユメは地面に伏している。息子夫婦の所在は不明だが彼らではない。では一体誰が監禁されているのか。
 現れた皺だらけの左手には、大きな怪我の跡が痛々しく残っていた。
「親父……?」
 その傷跡は震災で付いた物にそっくりだった。失踪前と肌の色も変わり痩せ細っているが、あの傷跡は見間違いようがない。
 悶える雄二と毅を横目に、途中放心状態の優奈を起こして檻へと走り寄る。
「………せからしか……せからしか……夕飯はまだ来んのか……」
 そこには口元に泡を溜め、同じ台詞を呟き続ける繁巳の姿があった。頬がこけ痩せ細り、焦点の合わない虚ろな目、髪や髭も整えられず全身から悪臭を漂わせていた。再会の喜びと誘拐監禁への怒り、早く見つけてあげられなかった自責の念。様々な思いが文則の中に渦巻いていた。
「すぐ出してやっけんが……あと少しだけ我慢ばしとってくれ」
 息子が目の前にいるのに認識出来なくなっている。失踪するまではまだそれなりに働いていた頭も、長い監禁生活で駄目になってしまったようだ。
 だが、それで見捨てる選択肢が出て来はしない。
 振り返り、悶え苦しむ二人に向かって言った。
「今から救急ば呼んでやるけんが、この牢屋んごたっとこの鍵ば渡しなっせ。じゃなきゃあ助かるもんも助からんし、おっどんにゃあ聞かないかん事がたいがあっけんな」
 毅は反論しようとしたがそれを遮るように雄二が血を吐いた為、無言で鍵を指さした。鍵が掛かっている場所には小さめの古いキッチンがあり、空になった食器類、血濡れた包丁、何に使用したのか考えたくも無い工具が並べられていた。
「光輝、毅ば見張っとけ、なんすっか分からん」
 檻の錠を開け、立ち上がるのすら困難な身体になった繁巳を連れ、出口へと向かっていく。肩から感じられる体重や、これまであった繁巳の強さがすっかりと無くなってしまっていた。命に別状は無さそうだが、一刻も早く病院へと連れて行かなければならない。
 改めて文則は雄二の姿を上階への道すがら観察した。全裸で修行僧の様に痩せ細り、奇妙に生えた腕。毛は上から下まで一本も生えておらず、どこからどう見ても異質で、有り体に言って気持ちが悪い。取って付けた様なアンバランスさが心をざわつかせる。
 その雄二の体を見たからだろうか。あの仏像を見ると完成されている・・・・・・・と感じてしまう自分がいる。あるべき頭が無く替わりに腕を生やし、初めて見た時にはおぞましく奇妙でしかなかった。だが、あの台座と合わさると妙にしっくりくる。
「俺が今から電話ば掛くっけん、お前はお母さんに連絡し。優奈ば出してから、話ばするばい」
 それから十数分後、聞き慣れたサイレンが下河区の住人を野次馬へと変え、一連の事件を収束へと導いた。

 新たな情報として、地下室にいたのは老夫婦と島崎家の兄弟、繁巳だけではなかった。繁巳の隣にも同じく監禁されていた人物が二人いたのだ。
 その人物とは綱藤八悟朗の息子と娘である光成みつなり光子みつこだった。光成と光子は一卵性の双子であり、とても良く似ていた。彼らは何かしらの薬を使用されており、保護されてから禁断症状に苦しんだが、数か月の後に回復する事が出来た。
 更に、銃で腹部を撃たれ項垂うなだれていたユメは辛うじて命を取り留めていた。残念なことに術後に一度目覚めたが、一言だけ残し死んでしまった為に重要参考人にはならなかった。また、救急が到着した時点で雄二は事切れており、こちらからも何一つ聞く事は出来なかった。
 あの地下室で生き残った人物、島崎家夫婦、桑名家の全ての証言を合わせた事実は衝撃的な物となった。中でも一番の重要参考人は、桑名カネだった。
 取り調べにも応じず家族にもだんまりを決め込んでいたカネだったが、地下室の惨状と病院で点滴を受ける繁巳、綱藤兄弟の姿を見てやっと口を開いた。
「あっが見つからんなら、それで終いだったとばってんね」

 事の始まりは今から約60年前に遡る。当時、花掌村近辺において絶大な力を持つ家があった。
 花村はなむら家と言った。花村家は江戸以前からの大地主であり、花掌村周辺の田畑のほぼ全てを所有し、現在は草スキーなどで地元民から愛される高原など広大な土地すら持っていた。時代が進むに連れ規模は縮小していくものの、それでも莫大な資産と土地、権力は健在だった。
 しかし戦後GHQ指揮下に置かれた日本は、農地改革を行い、地主から小作人に破格で田を売らせた。これにより自作農家が増えた訳だが、如何に権力を持っている花村家も逃れる事は出来なかった。
 それを良しとしなかったのが当時の家長である花村ヤツデだった。彼女はGHQが農地改革を実施するという噂を聞くや否や、家を複数に分裂させた。つまり分家を設けたのだ。
 その分家に土地を売り渡すことで、被害を最小限に納めたのである。
 また、ヤツデは分家を作る際に家名を変更した。それが綱藤家だった。綱藤家を本家とし、桑名家、島崎家が誕生した訳だ。分家を作る以前にもこれ以降にも、時代の多様化などの影響もあり親戚が増えてはいたが、やはり大本は綱藤家になる。
 勿論これだけならば無い話ではない。
 問題なのは、花村家のおこりとなった人物が、中国から渡って来た密教の信者の一人と親交があった事にある。
 その密教は背掌教はいしょうきょうと言い、蠱毒こどくや呪術といった物を研究し、政敵の排除や家の繁栄を目論む宗教だったのだ。
 古くから神や仏は人の形で描かれてきたが、大抵は腕や顔が複数ある異形の場合が多い。有名どころでは、千手観音や阿修羅、ヒンドゥー教のヴィシュヌ神などがそうだろう。神性は力であり、力があれば邪な考えに飛躍してしまうのもまた人間だ。彼らの様な異形、言い換えれば奇形に神性を見出したのだ。
 背掌教もまたその内の一つだった。彼らは奇形の人間にこそ力が宿ると考えた。奇形の子供が産まれればそれを祀り上げ、祈りを捧げた。
 ある時、結合双生児の子供が産まれた。肋骨の下辺りから細い腕が生え、本来の腕は背中側にしか曲がらない。胸部が異様に膨らみ、胸毛らしきものが見えていた。
 昨今話題になっているアニメの元ネタとなった、両面宿儺りょうめんすくなという都市伝説のモデルにそっくりな見た目をしていたという。
 これまでは手が無い、頭が大きいなどの子供ばかりだったが、この子はまさしく神仏を模した異形だった。背掌教の信徒は歓喜し祭壇に祀り祈った。
 こういった子供は得てして短命である。ほどなくして亡くなった際、胸の毛が実は毛髪であると発覚したのも、信仰を歪めていく大きな原因の一つとなった。
 偶然は重なるとは良く言ったものだが、祀ったその年は近年稀に見る大豊作となり、流行り病に掛かっていた人々が次々に治ってしまった。それからはもう歯止めが効かなかった。
 四本腕の仏像を作り崇め、山に捨てられた子を拾ってきたり、痣がある程度の子でも攫っては祀った。数年の豊作が花村家と背掌教の地位を押し上げてしまった。縋る人々も次第に増え、お布施や「要らない」と捨てられる子供も増えていく。
 そして時が経つにつれ教義も変化していった。
 教祖の子孫にあたる人物が奇形の子を産んだ。それはあってはならぬ近親相姦の果てにこさえてしまった子供で、世間一般に於いてはタブーもタブーだが、ここに限ってはそうではない。むしろ推奨する様になってしまったのだ。
 その結果、近親者のみで背掌教を続けていくようになり、事情を知らない世代はただ権力のある家なのだと認識するようになっていった。
 奇形の子が産まれるまで家族間での性交を繰り返し、普通の子が産まれれば人柱として仏像に捧げる。それを百年以上も続けて来たのが花村の一族だった。勿論全ての子供を人柱として殺してしまえば後が続かないので、必要な分だけは生かして育ててはいた。繁巳や島崎家両人、綱藤家の双子がそうだ。
 では何故、仏像は本家である綱藤家ではなく分家の桑名家が隠し持っていたのか。カネは何故桑名家へと嫁いできたのか。
 真相を知っているのが当人のカネだった。
 農地改革が終わって暫くすると、別の問題が一族を襲った。近親相姦を続けて来た結果、子供が中々生まれない状況が続いてしまったのだ。このままでは家そのものが途絶えると心配した三家は、他所から相手を探す事を画策する。その内の一人がカネだ。
 事情を知りはしないが、綱藤家に多大なる恩があり、何か不始末が起きた所で口封じがしやすい元背掌教の信徒の家だった。
 繁巳とのお見合い結婚で来たカネはある日、繁巳から一族に纏わる話を聞かされる。初めは信じられなかったカネだったが、仏像と大量にある奇妙な形の遺骨や即身仏、家族間で性交している人間達を見て驚愕した。如何に田舎だろうとこんな歪み切った因習があるのかと恐れ戦いた。しかし、この縁談を断わってしまえば実家がつぶされてしまう。しかし教えに沿いたくなどない。
 そこでカネは思い切った方法に出た。
 まだ発展途上にあった花掌村を含む御粕會町に記録的な大雨が降った。粕會川が氾濫し、広がる田畑を泥が覆い尽くした。この時に死んだ田畑は多く、御粕會たる所以が復興には人力で挑むしかなかった訳だが、カネはこれを利用した。
 村中の人間が出払っている隙を見計らい、仏像を綱藤家から盗み出したのだ。
 カネには五人の兄弟がおり、その中でも歳が近く信頼している兄を手伝いに呼んだ。兄は警察に通報すべきだと頑なに言っていたが、家の存続が天秤に掛けられていると聞かされ渋々手伝うと決めてくれた。土台まで運ぶのは時間が無かったので諦めたが、一輪車や農耕用の機械を使って桑名家の二階へと移動させ、計画は成功した。問題は物置として使用している二階へ誰かが上がり、仏像を発見して綱藤家へ報告される事だが、そこは兄が一計を案じた。
 二階に部屋は無く、階段をぐるっと囲むように板張りの床があり、一階の仏間方面へと広い造りになっている。天井を見上げれば太い梁が五本通っている。仏間側の梁二本の下には、耐震と収納を兼ねてか互い違いに壁が設けられていた。仏間側の最奥に行くには、「己」の字を通っていく訳だが、そこに目を付けた。
 元々収納用として棚が複数置かれており、最奥にも不必要になった物を置く為の棚があった。壁に備え付けではなかったのが功を奏し、棚を手前にずらしてその奥に仏像を安置した。
 普段から頻繁に作業しているならば違和感に気付けたかもしれないが、桑名家の人間も血眼になって捜索に来た綱藤家の人間も、まさか棚の裏に隠されているとは思わなかったようだ。そして何食わぬ顔で作業に参加し、容疑から逃れたと言う。
 それから数十年、そこに存在する事を押し黙ってきたのだと、カネは語った。このまま何も知らない世代が増え、知る世代が消えさり、例え見つかったとしても何の記述さえ見つからなければ因習は消えて無くなるだろう。そう考えていた。
 ゆっくりと時間をかけ繁巳を正常な倫理観に戻していく。子供達には宗教にははまらせない。そう強く決めていた。
 だが、カネの預かり知らぬ所で物語は歩みを進めていた。
 島崎家だ。ここからは猛雄の証言になる。
 島崎家がやっていた問屋がバブル崩壊を機に倒産し、多大なる借金を負った。倒産は当時の日本ではよくある話ではあるが、元々綱藤家の分家故に綱藤家は見切りを付けるべきか悩んだ。立て替えるくらいの金はあるが、タダで立て替えるのは癪に障る。
 死を間近に感じていたヤツデはある条件を元に、借金の立て替えを了承した。その条件とは信仰すべき者を産む事。つまり奇形の子供を産めと言ったのだ。仏像が消えたとて未だ信仰を失わぬ綱藤家。新しい神を信仰して更なる富を得ようとした。島崎家は躍起になって子供を授かろうとした。ヤツデ自身は雄二の誕生を見ずして死んでしまったが、度重なる死産の末、毅が産まれ、翌年雄二が産まれた。何の偶然か、雄二は生き延びた。
 そして借金を肩代わりして貰ったのだが、ヤツデの実子の八悟朗とユメはヤツデ以上の性格に難があった。分家であり借金を肩代わりして貰った身で、彼らに逆らうなど出来ない。村内で綱藤家への批判があれば、猛雄とミツを使って脅し言う事を聞かせた。その他にも地下室で監禁されているユメの子供の世話をしたり、殺した後の処理を任せたりなどと、とにかく汚れ仕事は何でもさせた。毅も手伝ったが、両親への扱いを良く思っていないのは明らかだった。雄二を特別扱いしてくれることだけは、唯一嬉しく思う部分ではあるが、タイミングさえあればと心に秘めていたのも無理は無い。
 そんな状況を一変させたのが、御粕會町を襲った地震だ。
 桑名家から仏像が発見されたのを契機に話は加速した。
 まず仏像の奪還。次に桑名家の当主だった繁巳を監禁し、何故盗み出し隠したのかを聞き出すこと。更に産まれたばかりの赤子、奈緒を最初の生贄として捧げる必要があると島崎家に言明した。島崎家はそれに従うしかなかったし、自分達が不幸な目にあったのは仏像を盗んだ桑名家にあると信じて疑わなかった。
 そして誘拐は実行され、今に至る。

 助け出された繁巳は暴行や少ない食事により身体機能が低下、認知症もかなり進行してしまった。
 光成と光子は近くにいると性交しようとするため、別々の療養施設に入れられた。信仰心自体が消え去るまではまず出て来れないだろう。議員にもなりまともだと思われていた他の兄弟も、恐喝、監禁や死体遺棄などの罪で起訴されている。彼らが生後間もなく殺された赤子と何が違ったのかは、ヤツデのみ知るところであるが、何らかの基準があったは間違いない。
 毅も二人の殺人容疑と誘拐と共謀罪、私情での発砲で同じく起訴されている。
 後に執行猶予無しの実刑が下されているが、毅は獄中にて自殺。猛雄とミツは現在も刑に服している。
 誰もいなくなった綱藤家は規制線が張られたまま誰も住まない土地となり、荒れ果て草木が生い茂り、野良猫が住処にしているようだ。毎年のように子供が幽霊屋敷と呼んで中に入ろうとしているが、人影を見たと言って逃げ出すのが風物詩となっている。

 これが十年前に田舎の村にあった、狂乱の一族に纏わる話だ。


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