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水は天井から滴る 第一話


あらすじ

 桑名光輝くわなこうきは自身の地元である御粕會町みはくえまちを何するでもなく散策していた。三十を手前に兄弟達からはしっかりしろと喝を入れられ、上司からは企画を作れと圧を掛けられる。
 うだつの上がらない日々を体現するように地元を練り歩く途中、ふと通りかかった小学生達に
「学校で流行っている怪談は何かないか」
と尋ねた。
 すると御粕會小学校には、生徒達の間で語られる怪談があると言う。
それは、校舎の三階にある開かずの廊下から少女の声がして、何故か赤い上靴が落ちている、というものだった。
 その声を聞き少女の姿を見た生徒は、開かずの廊下の先にある教室に連れ込まれて帰って来ないらしいのだが……

お伝え

一話の文字数が多い為、①~を区切りとして使用しています。
本来は「サブタイトル」「一、二~」のみです。
ご活用ください。

手出し

 1時間に1、2本出る市営バスは、夜の7時には最終便が出てしまい、市内まで繋がる電車までは車で15分。むしろ電車など使用しない方が早く市内に着くだろう。近くの町のスーパーは車で10分。標高が50から100メートルの連立する小高い丘をぐるっと取り囲むように、延々だだっ広い田んぼが広がっている。その田んぼを3キロ弱真っ直ぐ突っ切る農免道路は、小学生の持久走大会に使用され、変わらない景色の中息せき切るのが冬の恒例行事となっている。
 その農免道路から丘の方へ入ると鬱蒼うっそうと茂る森、竹林、生活排水を溜める汚い池が古臭い匂いと共に歓迎してくれる。大抵の道路は離合が出来ない程狭い為に、一旦隣家に入るかバックして脇道を探す必要がある。基本的に二階建てまでの建物しかなく、唯一高い建物と言えばそれは間違いなく小学校校舎である。小学校は何故かわざわざ丘の一番高い所に建てられており、小学生達はお菓子に群がる蟻の様に、そこに向かってえっちらおっちら歩いていくのである。
 そんなそこそこに辺鄙な場所が私の地元、御粕會町花掌村みはくえまちはなごころむらである。田んぼが多いのは説明したばかりだが、一昔前まではその取れた米で酒を造っていたらしく、酒粕がよく手に入っていた。そして稲作と酒造のおかげで人が集まる。つまりかい(會)するという字を合わせて御粕會となったそうだ。残念ながら今はその酒蔵はどこにも無く、ただ田んぼが広がるばかりである。町中に名産といえる名産は無く、草スキーが楽しめる高原と更に山奥へと向かえば幾つかの滝がある程度だ。
 観光の名所になるかと言われれば賛否あろうが、私はなるとは思わない。何せ辺鄙へんぴな所にあるし、出店の一つもないからだ。それらの手前にゴルフカントリークラブがあるが、未だに訪れた事は無いし私自身は全くの興味が無い。等々書き連ねてみたのでもしかすると地元が嫌いなのかと思われるかもしれないが、別段嫌いではなく、むしろ何も無いが故に落ち着けるとも言える場所である。
 花掌の由来はヤツデが大量に自生しているからだが、掌の形をしているのは本来葉の部分だ。しかし葉掌よりは花とした方が、「はな」と「たなごころ」を掛けられると言うので、花掌としたとの説が一般的だ。職員室前の掲示板によればだが、誰が書いたのかは定かではない。
 高校までは実家から自転車で通っていたのでこのだだっ広い村の不便さを憂いもしたが、卒業後、他県の専門学校に通い始めるとその不便さがまた良く思えたのだった。
 さて、土地の話もほどほどに私の話であるが、あまり人と関わるのが得意でなく、友達は片手で数えられる程しかおらず、その友人達ともこの数年連絡を取ったのと言えば年末年始の挨拶くらいなものだった。小中高専門と良い関係性を築けたかと思えば、私のデリカシー皆無の言葉によって関係を悪化させることもしばしばあり、殆どが疎遠となっている。専門学校の同級生に関して言えば、大半が夢を追って上京している。それでも付き合いを続けてくれる友人達には感謝してもしきれないが、私がお気楽な思考をしているだけかなとも思う。
 その友人達とは基本アニメなり映画音楽なりのサブカルを話すことが主で、その延長として声優を目指し専門学校に進学した次第である。そして分かりやすく挫折し、自分で劇団を立ち上げたはいいものの、そちらも大した理由も無く断念したのだった。今はぼちぼちテレビ番組の仕事を続けながらホラー小説を書くに至っているが、それもまたどうなるかは分からない。如何いかんせん、自分の飽き性には溜息が出るばかりである。
 地元を落ち着くと言ったが、それは逃げる場所があるというだけの事であって、本当は何もせずに生きていければそれでいいし、可能な限り親のすねを齧り寄生していければと浅ましく考えているのもまた事実でもあった。しかし、それでもこれからの人生何かを成し遂げられるのではと激甘な夢を抱えているのだから質が悪い。そして今もこうやって自分の「卓越した感性」に刺さる何かを探して町を練り歩いている訳だ。
 つい先月の事だったが、弟が彼女にプロポーズしたと連絡があった。兄、私、弟と三人兄弟の内誰が先に結婚するかと家族内で茶化しあったが、一抜けしたのは弟だったようだ。まあ順番などどうでもいいし、何だったら無理に恋人を作り結婚する必要も無いと考えているし、子供を作らないのかと言われても正直ピンと来ない。もしその気があればその時でいいし、何だったら孤児の子を養子にするも一つだろう。まあとにかく弟のプロポーズは大変喜ばしく思うし、末永く幸せでいてくれと人並みに願っている。
 兄はウェブデザイン関連の仕事をフリーでしており、それなり成功している。兄はまだまだと言うが、私からすれば大変な成功だ。
 名前を忘れたが、二人乗りで車高が低く、キャリーケースを一つ入れれば満杯になるトランク備え付けの車を購入していた。それも昨年に請け負った大きな仕事が無事に終わり、断続的な契約が取れたからだと言う。家族親戚一同鼻高々だ。
 彼らは努力の人であり、大きな挫折や苦難を乗り越えて勝ち得、それを鼻高々に自慢する事も無い謙虚な人物だと言える。
「もう三十近いんだよ? そろそろちゃんとしたら?」
 故にちゃらんぽらんに生きている私がそう釘を刺されても仕方ない。反論の余地は一寸たりとも存在していない。どんなに言い訳を並べても勝ち目がない。一しきり有難い言葉を頂いて、そして性懲りもなく現実逃避の為に町へと繰り出すのが常だった。何も無い町に、一人。
 地図上、今いる場所は御粕會町上粕會みはくえまちかみはくえに位置しているが、町の人はただ御粕會町と呼んでいる。
 雰囲気のある店やトンネル、森の入り口、頭の欠けた地蔵などをそこそこ写真に収め、公園でストロングゼロのレモン味を開ける。実家からこの町までは車で十分だが、車など持ちようもないので歩いてきた。その時点でもう大分疲れてしまっていたので、夏の暑さと相まってよく喉に染みる。公園では小学生達がボール遊びをし、明るい未来を夢見ながら汗を流している。
 もしも頭が風船なら叩き割ってやろうかな、と物騒な妄想がはかどりつつ大きな溜息を吐く。
 携帯の画面には「夕方から公園に遊びに行きます」とバナーが出ていた。市内に住む従姉弟とその息子が暫くすればここに来るらしい。私が帰省した際に都度遊んでいたおかげで、すっかり懐いてくれていた。やって来るまでまだかなり時間があるし、どうやって時間を潰したものか。
 ふと、狙いを外したボールが私の方へとボトンボトンと音を立てながら転がって来た。
「すいませーん」
 と、若干緊張した面持ちの少年が走ってくる。軽い立ち眩みを覚え苦い顔をしてボールを蹴って渡す。
「ありがとうございまーす!」
 恥ずかしさを出すまいとする顔をして走り戻る少年。
 彼の向かいから一陣の風が吹き、青臭さの残る土埃と共にどこかで嗅いだことのある淀んだ香りが鼻を突いた。
 公園を離れまた町を散策する。公園から大通り────と言っても整備され車幅があり、学生時代にそう呼称していたというだけの事だが────を跨いで中学校方面へと向かう。校庭ではサッカー野球硬式と軟式テニス、体育館の開け放たれた外扉からバレー部が、授業終わりに懸命に汗を流している。無意識に眉間に皺が寄るのを感じ、大きく息を吸い込み吐き出して気持ちを整える。更に進むといかにもな佇まいの染物屋と、高校の頃に店名の変わった実家から一番近いスーパーが姿を見せる。二階建ての一階が売り場で二階が事務所になっていたはずだ。外観を多少改装したはずだが最早見る影もなく塗装は剥がれ、昔の店名が前面に滲み出ている。大抵の人がそのスーパーを昔の店名で呼んでいるが、馴染みのあるそちらがやはり呼びやすいのだろうし、私もやはりそうしている。
 その駐車場を突っ切り西に向かう。
「また増えてるな」
 スーパーから先程の小学生が通っているであろう小学校を横切って三区画分歩き、大通りよりも更に太い道路と交わる。横断歩道を渡る時に左右を見れば、等間隔に植えられた桜と剪定された生垣。
 それらの更に先に、蛇の鱗の様に生え揃った巨大な住宅群が私の目を覆った。
 この御粕會町は基本的にはどこにでもある田舎町と言っていい。しかしながらこの「ゆめまちロード」と名付けられた道路から西側は、誰もが羨む高級住宅街が悠然と存在していた。
 年に2、3件が大蛇を成長させる様に山肌に生えていき、ざっと数えても100を越す住宅が軒を連ねていた。有名建築家が設計したであろう小洒落た出立ちの高齢者向けアパートすらある。麓から頂上に上るにつれ新しい住宅になり、一番古い建物は御粕會町の中心を流れる粕會川はくえがわの畔にある築百年の立派な屋敷。そしてその屋敷から始まる住宅街の左端に、去年には無かった新しい家が建っている。
 正直言ってこの町にそこまでの価値があるのか甚だ疑問である。名産も観光スポットも人────有名人の出身地的な意味合いが大きいが、人情の深さでも────も特に目立った物が無いのに、どうして片田舎に作るのだろうか。「田舎で農家!」「静かな田舎でまったりスローライフ!」「時間に縛られない生活を手に入れませんか?」「移住で社長!?」なんてキャッチコピーの広告をそこら中で見るが、それに感化された若者が都会から越してきたのだろうか。まあ、町の発展に貢献してくれるのであれば、願ったり叶ったりではあるが。
 ゆめまちロードを南下していくと左手にドラッグストアや雑貨屋が軒を連ね、その合間を継ぎ接ぎだらけのトタン屋根が埋めている。
 住んでいる時には特に何も考えていなかったが、他県へ引越し様々な街を見た結果、こうもくっきりと差をつけるのも珍しいなと今は思う。格差というか付加価値というか、分かりやすく区別しようとしているのは手に取るように分かる。外観はさておき、この町の経済活動にとって必要なことならば、それは大変「良い」事なのだろう。
 暫く道沿いに歩くと、前から小学生の集団がボールを小さくパスしながらやって来る。服装からして先程まで公園にいた集団だ。
 前方から風に乗って聞こえてくる話し声に、何気なく耳を傾けると気になる単語が飛び込んできたため
「あ、ちょっと」
 と、呼び止めてしまった。
 怖がらせるかと思ったが時既に遅し。少年達はこっちを振り返り、怪訝な顔をして私の方を見つめている。どうしたものか。不審者扱いされてはたまったものではない。適当な言い訳を付けて立ち去るのが間違いないが、酔った勢いを止められなかった。
「ごめんね呼び止めて。実はお兄さんテレビ局で働いてるんだけど、今度特番を組む事になってね。怖い話の番組なんだけど……ほら『信じるか信じないか』ってやつの。そうそう! 知ってるなら話が早いや。いやね、番組で使えるかまだ分からないけど、良かったら今君達が話してたその話、聞かせて貰えないかな? もし採用されたらお礼もするからさ」
 少年達は互いの顔を見合わせる事無く
「全然良いですよ!」
 彼らが通う小学校にあるという、開かずの廊下について話してくれた。

 夕方、忘れ物を取りに教室に戻るとそこには誰もおらず、赤く染まった夕暮れが教室の中を赤と黒の二色に染めている。いつもと変わらないはずの教室は閉まり切った窓と人がいないせいで、自分が出す音がよりくっきりと反響して耳に入って来るような気がする。
 オレンジ色の引き出しから忘れ物のノートを取り出して、今日返されたテストがくしゃくしゃになるのも構わず元に戻して廊下に飛び出した。
焦る必要はないのにどうしたんだろう?
 そう思いながら二階へと降りる階段へ曲がろうとした、まさにその時。
────パタッ
 背後で何かが床に落ちる音がした。
 階に三つずつ教室があるのだが、三階の真ん中の教室は古くなって危険だからと、その両側は机が積み上げられて入れない様にしてあるはずだった。
しかしその積み上げられた机の先に、赤い上靴がポツンと一つ、落ちている……。
 一体いつからそこにあったのか。恐怖を覚え逃げ出す子供。
 それからというもの、授業中でも構わず誰かの声が聞こえる様になり、女の子の姿が見えたかと思うと、その空き教室に引きずり込まれて二度と帰って来ることはなかった……。

「────ていう話なんですけど、テレビで使えそうですか?」
「……うーん」
 正直どこにでもありそうな雑然とした話だ。小学生の間で流行る噂なんてそんなものだろうし、勝手に聞いておいて勝手にがっかりするのは失礼か。こちらで尾ひれを付ければ多少整合性とエンタメ性も増しそうでもあるが。
「あ、それのせいか知らないんですけど、学校六時には閉まっちゃうんですよね」
「六時はちょっと早いね。ちなみにその話って御粕會小にずっとある話?」
「多分そうだと思います。俺達が今五年生なんですけど、三年の時に六年から聞いて、その六年は二年の時に聞いたらしくて、だからえーと……結構前からあるみたいですけど、お母さんは知らないって言ってました」
「お母さんも御粕會小出身なの?」
「あ、はい、そうです」
「お母さんはいくつ?」
「四十? 多分そんくらいです」
 少なくとも三十年前には怪談は存在していなかった訳だ。これまで世間でも怪談ブームは幾度となく訪れているし、その流れに乗って作られたものだろう。
「その教室のどこが古くなってるとか聞いた事は? 工事とか入ってるの見た事ある?」
「ううん、見た事無い。学校の事だからすぐにやるのは難しいんだって、あ、ですって」
「はは、敬語とかは気にしなくていいよ。それで、実際にその女の子を見たり声を聞いたりした友達っているのかな?」
「……」
 ここに来て急に黙り込んでしまった。恐らく誰も見聞きしてはいないのだろう。あくまで噂は噂。幽霊の正体見たり枯れ尾花。偶然聞こえた声をその幽霊と思い込み、子供達が語り継ぐ度に尾ひれが付いて、封鎖されたその教室に引きずり込まれる話になったのだろう。更に代を跨げば地獄に繋がってて等と言い始めるはずだ。まあ教室が修理されれば、噂も自然消滅するに違いない。
……と、思っていたのだが。
「なぁ、お前この前さぁ」
「あれは、違うって言ったくない?」
「でもあんだけ見たって言い張ってただろ」
「だから勘違いだったって言ってんじゃん!」
「なんむきになってんの? キモ~」
「だってお前も聞いたって言うけん話したのに、実は違うて言い出すけんさ、さ、黙ってるって言っとったのに勝手に喋るから!」
「いいだろ別に。だってテレビ出れるんばい、それくらい良かろがって」
「ちょっとちょっとストップストップ。こんな事で喧嘩しない」
 長身の坊主と茶髪の子が言い争い、他の子は我関せずで様子を見ている。
 その茶髪の男の子を仮に久保康平くぼこうへい君とする。
 察するに久保君が何かを見聞きし坊主に話したが、理由があるのか勘違いという事にしたいらしい。
「久保君、勘違いなら勘違いでもいいんだけど……もしかして誰かに話しちゃダメって言われた? 親じゃなくておじいちゃんおばあちゃんとか。あ、勿論言いたくないなら言わなくてもいいんだけどね。まあ……ちょっと番組のネタとしては弱いかもしれないけど、そうだね、うん、俺の方から掛け合ってみるよ」
 少々意地が悪いなと思いつつも、するすると口が滑る。私の言葉と共に康平の顔が曇り、分かりやすく目線が泳いでしまっている。
「じゃあ……他に怖い話知ってる人はいるかな? 友達とか兄弟の話でもいいよ」
 そう助け舟を出すと康平は分かりやすく胸をなでおろし、他の子達は記憶の底を各々掘り起こす。出てきた単語がムラサキカガミや口裂け女で無い所を見ると、もうそんな古めかしい都市伝説や学校の怪談は廃れてしまったのだろう。私が小学生の頃は、放課後に2、3人が集まってこっくりさんに興じているのを見かけたものだが、ゲームやインターネットが確立した現在にはオカルティックな代物も流行りにくいのかもしれない。伝聞でしかない噂話だからこそ噂話怪談足り得るし、その方が断然オリジナリティがある。
 出て来たのは、滝のある山の方には腕が四本で人型の怪物がいるだとか、例の住宅街には夜な夜な徘徊する女の霊がいて、もしも出会うと自分の子供にする為に連れ去られてしまうだとか。あとは祭りの名前の由来にもなった、町を流れる粕會川に河童がいる説。
 夕焼け小焼けが懐かしく周囲に鳴り響き、それを合図に彼らへの取材は終了した。途中こちらからも父の学生時代に起きた体験や亡くなった友人が現れた話を提供し、一頻り怖がらせて公園の方へと再度戻る。
 金持ちロードを通過し公園が見えてくると同時に、恐らく従姉弟の物と思われる赤いミニバンが自分を通り越し、駐車場に入っていくのが遠目に見えた。そしてバンが停車してすぐに着信が鳴り
「着いたよー! どこー!?」
 と可愛らしい声が耳を貫いた。場所を伝えると、勢いよくドアが開きこちらに向かって手を振る小さい姿が確認出来た。真鍋優紀まなべゆうきが首の座らない頃から成長を見守っているので、こんなに大きくなったのは両親程ではないにしても感慨深い物がある。年に数回しか帰省しないのもあって余計にその成長ぶりを感じられる。
「どこ行ってたのー?」
「ちょっと散歩してただけだよ。優紀また大きくなったんじゃなーい? 今身長いくつ?」
「えー、えーっとね分かんない。ねえねえおじちゃん早くあそぼー」
「はいはい。じゃあ優奈さん、ちょっとその辺り行ってきます」
 優紀の後ろからてくてくと優奈ゆうなが歩いてくる。
「ありがとう。私はスーパーに用事があるからそれまでよろしくね。何か要るものはある?」
「いえ、特には。アレルギーとかありましたっけ?」
「ううん、あ、ジュースじゃなくてお茶にしといてね。今日はもう飲んでるから」
 優奈が駐車場を出るのも二人で見送り、公園に設置された遊具に取り掛かる。昔地元の村にあった唯一の小さい公園には、二人乗りのブランコと動物を模ったスプリング遊具があった。劣化や安全基準の改定で危ないと撤去され、今はその土台だけが時間の経過を表す様に残っている。比べてここにあるのは可動域も少なく、丸みを帯びたものばかりだ。安心設計になったのは嬉しい事だが、若干の寂しさがあるのは否めない。親になればその考えも変わるのかもしれないが。
「ねー、おっきい象のとこ行きたーい」
「よーし、じゃあお鼻のとこまで競争だ! よーい……どん!」
 合図と共に勢いよく走り出す優紀。その後ろをもったもったとついていく私。周りでも同じように子供達と親家族が各々の遊びを興じ笑い声を上げ、街路樹に取り付いた蝉がその声に負けじとばかりに泣き喚いている。向かい風が砂ぼこりと声を押し返し、優紀は負けじと腕を振って前に進もうとしている。
 ふと、どこかで嗅いだ事のある香りが砂に混じって私の鼻を突いた。
「いっちばーん! ぼくのかちー! じゃあねじゃあね、次は上にのぼって……こんにちわー」
「……こんちわ」
「あ、久保君」
 象をかたどった複合型アスレチックの滑り台の影から現れたのは、先程別れたばかりの久保君だった。ボールは他の子の物だったようで、手には小さい財布だけが握りしめられている。眉間に皺を寄せて俯いているが、喧嘩でもしたのだろうか。今にも泣き出しそうな感じが見受けられる。
「久保君、大丈夫?」
「……たら……か?」
「え?」
「いくらあったら……?」
「……何だって?」
「い、いくらあったら僕を助けてくれますか? 今、お小遣い……少ないかもしれないんですけど三千円持ってます。これとあと家の貯金箱にお年玉が多分一万円くらいあると思います。これでたっ、助けてくれませんか」
「おじちゃん、この人だれ?」
「いや、えっと……」
 本当に失敗したなと思った。ただの小学生だと思って油断していた。テレビ局の人間だなんて言ってしまったのが原因ではあるが、この歳にもなって本気で幽霊を信じているとは思わなかった。
「あー、久保君、テレビ局じゃ助けたりっていうのはちょっと難しいんだよね。霊媒師さんが働いてるわけじゃないからさ。残念だけどそういう知り合いもいないし……近くの神社に神主さんがいるだろうから、その人達に聞いてみるといいかもしれないよ」
「神主さん分かんないです」
「じゃあ学校の先生には? 学校の事なんだから色々知ってるんじゃないかな?」
 俯いたまま小さく首を振る久保君。
「それじゃあお父さんお母さんには相談してみた?」
 大きく振った首元から、汗に混じって溜池の匂いが辺りに散らばった。
「む……無理です。おこ、怒られたんです。声が聞こえたって言ったら『それ以上その話をするんじゃない』って。でも、でも……」
「でも、どうしたの?」
「なんか夜眠れなくてっ……凄く心臓がドキドキして、だから水飲んだら落ち着くかなと思って台所に行って、そしたら……そしたらお父さんとお母さんが机に座って泣いてて、それでそれでその」
「久保君落ち着いて? ね?」
 優紀が私の服の袖を引っ張りながら怖いと訴えてくるが、その声は久保君には届いていない。
「それでお母さんが『なんであの子なの』って『こんなのひどすぎる』って言ってお父さんが慰めてて、でもその子って僕の事だよね!? 仕方ないって何!? 諦めるしかないってどういう事!?」
「ちょ、ちょっと久保君、落ち着こうか」
「なんで!? 僕が選ばれたから悪いの!? 声が聞こえたからいけなかったの!? 何も悪い事してないのになんで僕なの!? 僕死んじゃうの!?」
 私は羞恥しゅうちを感じて辺りを見回した。久保君の叫びを風も蝉も搔き消さず、誰もが息を潜めているかのように公園中に響き渡ったからだ。
 若干の薄ら笑いを浮かべて頭を下げながら、どこにでもよくいる腰の低い感じを装った。これで痴話喧嘩している歳の離れた親戚に見えるだろうと。
「…………」
 しかし、その薄ら笑いは一瞬にして消え去ってしまった。
 右を見ても左を見ても、公園中にいる保護者達が子供の手や体を握り締め、開いた瞳孔でこちらを凝視していたからだ。普通に考えれば大人が子供を泣かせていて、それを訝しむ大人達という図式だと思われるが、何かが違う気がした。
 ただ見つめられているのではなくて、しっかりと顔を覚える為にこちらを見ているのではないかと思われる様子だったからだ。その後すぐ、前々から示し合わせていた様な動きで子供を抱えて、我先にと公園から出て行ってしまった。車に子供を乗せる時も、ドアを閉め車列にねじ込み公園を出て街角に消えていく時も、私達三人を殺す勢いの眼光で睨みつけていた。
「ど……どうなってんの?」
 泣きじゃくる久保君と、意味も分からずただ雰囲気に飲まれてびくびくと私の服の袖を握る優紀だけで、呟いた疑問に答える人は一人も公園に残ってはいなかった。
 優奈が戻ってくる前にとりあえず落ち着かせなくては。先に思い立ったのはそれだった。自販機近くのベンチに二人を誘導し、コーヒーとぶどうジュースを購入する。普段であればスタンプを貯めている所だったが、そんな事をしている余裕は無かった。
 意味が分からない。恐怖よりは困惑の方が勝っているのもあるが、大人があんな目で人を見るなんて相当だろう。まさか本当に幽霊がいるのか……? いやまさか。幽霊の存在を否定してはいないが、そこまで過剰な反応になるだろうか。多少意識して事故物件や心霊スポットを避けることはあっても、真剣に逃げるなんてあり得るだろうか? いや、俄かに信じ難い。久保君自体もこの歳で幽霊の存在を本気で信じているわけだし、親が宗教か何かにのめり込んでいる可能性もある。それで我関せず逃げ出したと考えると割と納得出来る気もする。
「おじちゃん?」
「ああ、ごめん。はいこれ、久保君も」
「あ……ありがとうございます」
 涙を拭いながら缶を受け取ったが、俯いてすぐに飲む様子は無い。
 もしも私からした話で余計に怖がらせて、信じさせてしまったのなら払拭させなければ。
「久保君、心配する事ないよ。心霊現象っていうのは思い込みだったり勘違いだったり、後は体の不調とかからくるもので、科学的に証明出来るものなんだよ。教室の方から声が聞こえた、んだったかな。声が聞こえた時久保君はどこにいたの?」
「……」
「まあ、多分、多分だけどね、放課後の廊下に誰もいなかったのは間違いないとしても、その机のバリケードの先は普通に六年生が使ってる教室があるんでしょ? もしかしたらそこに女の子がいたのかもしれない。それで話し声が聞こえただけなんじゃないかな。ふざけてスリッパを投げ込んだのかもしれないし……きっとそうだと思うよお兄さんは」
「……違うんです。声だけじゃないんです」
 俯いて小さく首を振る。
「えーっと、その女の子が見えたってこと?」
「そうじゃないんです、そうじゃなくて……」
 俯いたままゆっくりと私の後ろを指さした。
「そこに立ってずっと僕の方を見てるんです」
 振り返って周りを確認しても公園内には誰もいない。指さす方向に建物がいくつかあるけれども、それらしい人物が佇んでいもしない。
「ずっとって、いつから?」
「一昨日くらいからです。それまでは声だけで」
「その女の子はどんな見た目してるの?」
「えっと」
 ほんの少しだけ頭を上げて女の子の姿を確認する。
「茶色の着物? 多分ですけど」
「茶色の着物ねえ」
 改めて久保君が指さした辺りを見るが、やはり何もいない。霊がいたら寒気がすると言うが全くそんな事もない。七月の公園で寒気を感じるほうが難しい気もするが。
 所謂霊感の差と捉えるべきなのか……久保君には大変申し訳ないが、これは私がどうこう出来る問題ではなさそうだ。究極的に困ったときに児童相談所か警察にでも誰かが相談してくれると信じよう。本人は真剣に困っているのだろうが、私にはどうする事も出来ない。
「おじちゃん……ママは? もうお家帰りたい」
 今にも泣きそうな目で優紀が私を見上げていた。
「もう少しで戻って来るからね、そしたらお家に帰ってご飯食べようか」
「うん」
 そう言うと久保君は慄き言った。
「えっ、僕はどうしたらいいんですか?」
「そうだなあ、盛り塩するか近所の神社でお守りを買うか、神主さんにお祓いしてもらうのがいいんじゃないかな。盛り塩のやり方くらいなら一応教えられるけど」
「どれくらい効果あるんですか? やったら見えなくなりますか?」
「いや、流石にそこまで保証は出来ないけどやらないよりはましかな」
「教えて下さい! お願いします!」
 簡単なやり方を教えて帰らせたその十分後、優奈が戻ってきた。姿が確認出来ると優紀はすぐにそちらに向かって走り出し、倒れこみそうになるくらい勢いよく抱き着いた。
「おっとっと、どうしたのー? いっぱい遊んだかなー? んん? ちょっとージュースは飲ませないでって言ったでしょ……どうしたの泣いてるの? 大丈夫?」
 優奈の鋭い目線が突き刺さる。
「あーえっと、何て説明したらいいか。ちょっと俺も動揺してたっていうか、怖い話聞いちゃったからかな」
「なに? 怖い話? いつもパソコンで書いてる小説の話したの? いくらなんでもそれはダメでしょ~、怖かったねえ優紀。後でおじちゃんの事叱っておくからね」
「いやいや、俺のやつじゃなくて、近所の子供の話なんですよ」
「どういう事?」
「それが────」
 公園で見かけた子供達の事と追いかけてきた康平君の事を多少端折りつつ説明し、彼がした女の子の話をする。途中で優紀が本格的にぐずり始め、致し方なしと車に乗り込んで優紀と優奈さんに謝りながら公園を後にする。チャイルドシートに座り車が発信すると、その揺れと母親のあやす声に安心したのかすぐに泣き止み眠り込んだ。
 それを報告すると再度鋭い視線が飛んできて私は謝り、優奈はため息を漏らした。続いて話の続きを促され、流行りの怪談の話を説明した。
「あー、それでその男の子が呼ばれちゃったって話?」
「そんなとこです。本気で信じてるみたいで目の前で泣かれちゃったんですよね、公園にいた人たちに顰蹙ひんしゅく買って全員そそくさと帰っちゃうし……犯罪者を見る目でしたよあれは」
 優紀を起こさないよう小さく話す。
「そりゃ大の大人が子供泣かせてたらそれなりの反応になるでしょ、とはいっても過剰と言われれば過剰にも思えるか。やっぱりあれなんじゃない? 団地の人と思われたのかもよ? ほら、あんまり大声では言えないけど分かりやすい金持ちばっかりだし、ちょっと嫌な顔されちゃったとか。震災以降大分発展したとはいえ、まだまだ心持は田舎だからね」
 かれこれ十年程前、山間部を走る断層によって引き起こされた内陸型の地震でこの町のみならず市、他県にも大きな被害がもたらされた。私の家も例外ではなく、そもそも築百年を過ぎた家にはあまりに大きな負荷となり、結果全壊となってしまった。幸いな事に家族に別状は無かったものの、長年住んだ家が無くなるのはとても寂しい思いをしたものだ。祖父は特にそうだったようで新しく建った家に馴染めず、年を経る毎にぼけは進行し、幾度となく|家《》に帰ろうとしていた。それに二階の奥から出てきた物が原因で揉めた事もあり、地震なんて一つもいい事は無いが、町にとってはそうでもなかった様だ。
「今も昔も変わらないねー。私はほら……オカルト興味ないしやっぱり遠慮したいから正直関わりたくはないってのが本音だけど、小さい頃の話をすれば、小学校の頃はこっくりさんとかやってる同級生とか見かけたかな。もし優紀がそういうのにはまったらあなたのせいだからね」
「すいません」
「冗談だよ冗談。信用ならないのは本当だけどね。まあ噂とか聞きたいんだったらそれこそお父さんに聞いてみたら? 顔広いんだし、昔の事も含めて知ってるでしょ」
 確かに自営業で御粕會町の人とも交流が深いし、今日のご飯時にでも聞いてみるとしよう。
 窓の外を見るとだだっ広い田んぼを夕陽が赤く染め上げ、空はその赤と夜の闇を足した様な紫色に変化していた。

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