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水は天井から滴る 第五話

ハインリッヒの法則

 車内に沈黙が流れる。風も吹いていないのか外の木々すら静まり返り、キーンという無音が耳に流れ込んでくる。真帆との怪談話の後は静かにするのがお決まりになっているが、この沈黙はそれではないと誰にでも分かるだろう。こんな突拍子も無い話を聞かされてすぐに感想が出てくる方がおかしい。頭がおかしいのだと思われても仕方ない。とんだ創作話になんて感想を言ってやればいいのかと悩んでいるのでなければ、彼女は真剣に私の話を咀嚼して反芻してくれているのだ……そう思いたいだけとも言えるが。
 いつもよりも長い沈黙に、私から切り出した方がいいだろうと思った丁度その時、真帆は重々しく口を開いた。
「私は…………ただ昔はそういうのが見えてて今は多少感じるよってくらいの、どこにでもいる普通の女の子だけど……いや、どこにでもいはしないかもだけど、お爺ちゃんは違う。もう何十年も呪いの品とか幽霊だとかに携わってて、藤君に憑いてる女の子らしい霊も、ああ言いつつもどうにかしてくれると思う。でも…………その、気を悪くしないでね。お爺ちゃんが桑名君とはもう関わるなって、あんなに業が深いならお前が引っ張られるかもしれないからって……何が見えてるとか詳しい事は教えてくれなかったけど、兎に角君に激しく感じる物があったのは間違いなくて…………それがこんな話だとは正直思わなかった、っていうか想像出来なかった」
 彼女の言う事は尤もだ。自分でもそう思う。
 それでね、と彼女は続ける
「現場を見てないしどこまでが本当か、本当にあったのかどうか知るのは難しい。だから仮に今の話が本当だとして思う事は……まず、桑名君が死ななくて良かったってこと。もしも何かを間違えてたら桑名君も家族も死んでたかもしれない訳で、相当に運が良かったんだろうね。勿論奈緒ちゃんの事は本当に残念で憤りしかないけどさ……お爺ちゃんが祓ったりする幽霊だのって、突き詰めれば全部ヒトコワな訳じゃん。幽霊も勿論怖い物ではあるんだけど、でもそうなる前には何かしらの事件事故とそうならなかっただけで無数の酷い話があってさ。引き起こしたのは全部人で、ほんの少しでも他人を思いやれない人がいて、そうやって弱者に、その弱者がより弱者に思いやれなくなっちゃった結果が呪いだとか幽霊だと私は思うんだよね。つまり何だろうな……桑名君が幽霊にならなくて良かったなってのが二つ目かな。二重の意味でね」
「……それは…………本当にありがとう。そう言ってくれると嬉しいよ」
 例え口からでまかせであっても嬉しい物は嬉しい。そして彼女の言う事は説得力があったのは、それだけ多く見て来たからだろう。見えない私と違って本物が見え感じられるのだから、必要以上にきつかったに違いない。
「でも疑問があって、そんな事件に巻き込まれたのにどうして怪談なんか書くの?」
 怖い物見たさ、と答えるには濃過ぎる経験をした。なのにわざわざ思い起こすような怪談なんて物に手を出したのか? 確かに家族にも怪訝な顔をされたし、真帆と会う数年前から取り憑かれた様に怪談を書いている。
「自分でもよく分かんないけど無性に聞きたいし書きたくなったんだよね。もしかして呼ばれてるとかかな?」
「いや、それは私には分かんない。分かってたらもっと早い段階で伝えてると思うから、普通に気持ちの問題だと思う。私も専門じゃないから詳しい事は言えないんだけど……これは私の考えね? トラウマへの向き合い方の一つなのかな、って。さっきも言った通り怪談の根本はヒトコワで、事件事故が関連してる事の方が多い。そういう記事を読んだりすると心がざわついたりするじゃない? そうだな……実家で起きた事件が包丁で刺されたくらいの痛みだとすると、つねられたくらいの小さな痛み。それをじわじわ積み重ねることで、包丁の痛みに慣れようとしてるんじゃないかな。無意識の内に桑名君の心が傷に慣れよう治そうとして、結果辿り着いたのがヒトコワと表裏一体の怪談だった。長い年月を掛けてトラウマに立ち向かってる証拠、みたいな」
 すとん、と腑に落ちた気がした。
 自分でも止められない衝動の原因は、トラウマ解消の為だったのか。中高生が好んで辛い物やグロテスクな物──映画や漫画に限らず──を摂取しようとするのと似ているかと思っていたが、自分で自分を癒そうとしていたのか。仕事としての面はあくまでも表面的で今回の学校の怪談もそれの一環であり、数年かけて見えない傷にかさぶたを作っている最中。にしても荒療治過ぎる気もするが、もし私が見えていたらまた違ったのかもしれない。
 コンコン
 とガラスを叩く音がしてそちらを向くと、藤唯人の母親が立っていた。軽く会釈しドアを開けて中に入って来ると、大きく息を吐き出して私達に深く頭を下げた。
「お二人とも、本当にありがとうございました……それに、初めに失礼な態度を取ってしまったことすみませんでした。私がもっときちんと向き合ってさえいればこんな事にならずに済んだのに、大変ご迷惑をお掛けしました。噂はただの噂でしかないし、幽霊なんているはずないと思っていたのですが……こういった世界があるんだなと思い知らされました。今、唯人は小さい社の中に入って、霊から身を隠している状態、なんだそうです。その幽霊があまりに強いのでどれくらい掛かるか分からないと言われまして、一旦家に帰って服だとか必要な物を取ってまた来ようと思っています。それで、お二人をご自宅までお送りしようと思っているのですが、お二人はどうしますか?」
 時計を見ると深夜二時を回っていた。今から帰っても家族はとっくに寝ているだろう。近くに泊まれる所もないしなと考えあぐねていると
「凄く不本意だけど町中のネカフェ泊まるしかないんじゃない?」
 そう真帆が提案してくれた。あからさまに嫌な顔をしている。ネットカフェで汗を流せはするものの、しっかりと休みたかっただろうし、ホテルとなるとこの時間に空いているのは……私は大変申し訳なさそうにその提案に乗る事にし、山奥の神社を出発した。
 道中、唯人の母親が知っている範囲で学校の怪談について話をしてくれた。
 怪談については薄々知ってはいたが、具体的に聞かされたのは入学時に行われた保護者説明会だという。先生の説明では、確かに怪談が子供達の間で流行っているが、それは感違いであり工事が長引いていること。簡単に入れない様にしてはいるが子供が万が一入ってしまった場合、速やかに学校に報告する事。怪我や衣服の汚れや異臭があった場合保障するので、これもまたすぐに学校に報告する事を説明されたらしい。当初そういうものかと適当に流していたが、唯人が三年に上がった時、学年は違うが仲良くしていた学年の子が突然転校したという。どこの学校にだとか挨拶も無しに消えてしまったので、なんて不愛想な人だったんだと怒りを覚えた。それから暫くして、実は子供が行方不明になったのではとママ友の間でまことしやかに囁かれる様になった。加えて隣町にある高級マンションに住んでいるらしいとの噂まで流れ、真相を確かめるべく向かったそうだ。そして確かにそこには親しかった子供の両親が住んではいるものの、絶望しきった顔に声を掛けられず帰って来たのだった。以降何となく噂が持ち上がっては消えているのを知り、不可解に思ってはいたものの、噂があくまでも「幽霊」起因なのもあって放置していた。
 一保護者の認識としてはそれくらいのものらしい。恐らく他のママ友も、他学年の保護者に聞いた所で似た回答が返ってくるだけなのでは、と唯人の母親は言った。
 学校側がどの程度把握しているのかは何も分からないと言う。こればっかりは直接確認を取る以外に無いのだろう。
 話をある程度聞き終わって、揺れる車内にラジオから流れるクラシックが合わさると、今日一日で溜まりに溜まった疲れが睡魔を呼んだ。

 すっかり活気が無くなった市街地に到着するまで、私はとっぷり眠り込んでしまっていた。藤母にお礼と別れを告げ、開いているネットカフェを目指した。私とは逆に全く寝ていなかったのか、真帆は道すがらふらふらと船を漕ぎながら歩いている。私が知らないだけで、神社で唯人の為に儀式の手伝いなりしていたのかもしれない。集合する時に紙袋に色々と買い込んでいたようだし、きっとそうだろう。
 ネットカフェに着いて手続きが終わるなり、彼女は個室へと駆け込み
「多分ぎりぎりまで寝てると思うから起きてなかったら鬼電して。明日も休み取ってるから藤君の様子を見に行くか、もしくは言ってたマンションに行くのもありじゃないかなと思ってる。でもそれはまた明日考えよう。お休み、じゃ」
 そう早口で要件だけ伝えられ、お休みを言う間もなく女性専用エリアへと消えて行った。心の中で感謝を伝えたが、伝わっていると信じたい。
 自室を確認してささっとシャワーを浴びる。汗と共にあの匂いまで落ちていく気がして、気持ち的にもやっと一段落着いたと思えた。実際身体を清潔に保つ事は心身の調子を整えるだけではなく、霊的にも意味を持つ。汚く荒れ果てた場所には淀んだ空気が溜まり吸い寄せられやすく、綺麗にされている場所には溜まりにくい傾向にある。勿論如何に綺麗にしていようが出る時には出る。清掃されていなければならない病院で出るのは、どうしても病気や怪我、常に死が傍にあるからだ。
 ここはそういう場でもないし、塩が無くとも体を洗うのは穢れを落とす意味で有効だと言える。しかも匂いが染み付いているであろう、服の替えまで売っているのがネットカフェの素晴らしい所だ。
 完全に綺麗になった状態で個室へと入り、冷えたビールを一気に煽る。その内注文したたこ焼きもやって来る。
 寝たおかげもあり幸い眠気は来ていないし、ここから少し調べ物をして明日に備えなければならない。
 マンションを見に行くと真帆は予定しているが、小学校の歴史とそのマンションの繋がりくらいは調べておきたかった。
 結論から言えば、学校やマンションに関して怪談に繋がりそうな部分は何一つ見つからなかった。学校の成り立ちも特に不審な点は見当たらない。百何十年前に創立され、一度耐震工事現在の校舎に建て直した。お知らせのページには堂々と三階の開かずの廊下について説明がなされているが、十年程前からずっと更新はされていない。分かったのはせいぜいその程度だ。怪しい点は無い。
 注文したたこ焼きも食べ終わり、ネット上で調べられる情報がそれ以上無いと分かった所で私も眠りに着いた。

 ……赤い上靴、ヘドロと腐った卵が混ざった匂い、天井から滴る黒い水、飲みこまれる身体、抗っても抗っても近付いてくる地面…………暗闇。
 目覚めは大変よろしくなかった。
 真帆はああ言っていたものの既に起床し、ロビーでコーヒーを飲みながら私が出て来るのを待っていた。それから近くのカフェで朝食を取り、御粕會に向けて出発した。
「今回の話をどこまで掘り下げて、どうしたいと思ってる?」
 市電に揺られる最中、真帆が聞いてきた。
「目標をどうするかって話。藤君みたいに全員に手を差し伸べるの? 不特定多数を巻き込むタイプなのに、ずっと見張ってる訳にもいかない。第一、原因が分かったとしても大抵の幽霊は『未練が無くなりました。成仏します』ってならない。基本はその場に居続ける事の方が多い。となるといつまでも差し伸べ続けられないでしょ? だから目標を決めた方がいいってこと」
「なるほどね……調べて現地に行けば解決するもんだと勝手に思い込んでたな……目標か」
 怪談が無くなるのが一番であるのは間違いないとして、それは私にも彼女にも高望みということか。となると根本的解決ではなく、対策を立案するまで出来ればベストではないだろうか。学校に行かない行かせないという究極の対策は論外だが、どこそこに塩を捲けばオーケーくらいの発見まではしておきたい。今後私に子供が出来るとか、同級生に子供がいて御粕會小に通うとか。万が一に備えておくのはありだろう。最低ラインとして、知り合ってしまった子供くらいはどうにかしてやりたい。
「悪くない目標だね。首を突っ込んだからにはやらないとしこりが残るし。忘れてるかもしれないけど、桑名君の家族が何で君に黙ってるのかも分かるといいね」
「あ、それをすっかり忘れてた」
「一番大事なとこでしょそれ」
「色々ありすぎてさ……まあいつか大人の事情も判明するよ」
 もし関係しているなら解決を目指している間に、桑名か綱藤家の名前を発見するだろう。良くも悪くも影響力はあったのだから。
 三十分ほどで終点に着き、市電を降りたタイミングで非通知から電話が入った。
「もしもし」
「あ、えっと、桑名さんの携帯ですか?」
「そうですが」
「テレビ局の人の桑名さんですよね、あの甲斐ですけど分かりますか」
「ああ航君! 勿論勿論。どうしたの?」
「えっと、会って欲しい人がいて……三階のことで。今日とか会えませんか」
 詳しく話を聞こうとしたが、公衆電話から掛けているらしく長く話せないらしい。真帆にも了承を得、例の秘密基地で一時間後に落ちあう事になった。
 また長い一日になりそうだな、と真帆と顔を見合わせ苦笑いを浮かべた。

 御粕會まで二本のバスを乗り継ぎ、二時間弱で到着した。便の少なさは相変わらず田舎町ならではだった。金持ちロードもあるのだからもう少し増やせばいいのにと愚痴をこぼすと、真帆は説明を求めた。金持ちロードと住宅街の景観、それと比べて貧相な街並みを説明している内に秘密基地が見えて来た。
「あれが秘密基地……子供らしい所を選ぶね。雨も防げるし大人は来ないし。基地としては完璧って感じ」
「俺が作った秘密基地は半日と経たずに大人に壊されたからね。切なかったなあ」
「あるあるだね。で、あれが甲斐君?」
 と、顎で促された先にキャラもののシャツを着た甲斐君ともう一人、可愛らしいフリルの付いた服の女の子がちょこんと座っていた。
「待たせたね。それで、この子が会わせたいって言ってた子?」
 その子は小さく頷いた。この子は長住陽菜ながずみひなと仮称する。
「長住です。よろしくお願いします」
「よろしくね長住ちゃん。桑名です、こっちは水城さん。それでどうして会って欲しいって電話してきたの?」
 陽菜は私の問いに答えず俯き、ちらちらと甲斐君の方を見ている。脇を小突くが「でも」といった様子でもじもじと喋らない。見かねた真帆が長住さんの傍に座った。
「大丈夫、私達は味方だから。馬鹿にする人は今ここに誰もいないから安心して」
 彼女の柔和な声掛けの効果は昨日私が経験したばかりだが、やはり子供にはより効果的な様だ。髭面の男が不用意に隣に来るのも威圧的だし、その他の面でもよろしくないから大変助かる。
 以下、彼女の話を細部を整えながらまとめたものだ。

 久保康平と甲斐航の間の席が長住陽菜の席である。久保君がいなくなる一週間以上前から、彼から薄っすらとある臭いを感じていたと言う。洗濯物の生乾きとか数日たったお弁当とかそういうのに似た匂いだったそうだ。初めは夏だしなと思っていたが、彼の身体そのものから匂うんじゃないかと思う様になった。
 久保君とはその週給食当番が一緒だったのだが、皆が使った食器を一緒に持って給食室に向かっていた時突然
「幽霊って信じる?」
 と尋ねて来た。普段そういう事は言わず、夏の心霊番組も嘘だと笑っていた彼の真面目な表情と震える手を見て、長住さんは頷いた。
 はっきりとは聞こえなかったそうだ。放課後、友達が先に教室を出るのを見送って、ふと今夕方の教室に一人になった事に気が付いた。学年を越えて噂される怪談。夕方に一人……信じてはいなかったが、何となく急いで教室を出て友達を追った。
「……は……が…………い………こ……か……」
 思わず足を止めて振り返ったが、廊下にも教室にも誰もいない。
気のせい。これまで一度もそういう類の物を見聞きした事が無いし、空耳か、隣の教室にまだ誰かいるかもしれない。そう思う事にして長住さんは急いで友達に追いつき帰宅した。眠る頃には聞いた声のことも忘れ、次の日も普通に登校した。
 昼休みになって図書室に向かおうと廊下に出た時だ。
「こは……が……い……ど……が……がい」
 昨日よりも大きくはっきりと、それもまだクラスメイトが隣にいるのに声がした。
 その次の日に、久保君から幽霊の話をされたのだ。だから彼を信じた。しかし、信じたからと言って親にそんな話が出来る訳がなく、家に帰っても普通に過ごすしかなかった。いくら声が聞こえるとしても、本当に連れていかれる訳が無い。そんなのは映画の中の話で、話しても笑われるだけだと思っていた。
 夜になって家族が寝静まり、三時を過ぎた頃。急に目が覚め寝ようにも寝付けず、仕方なく水を飲みに台所に行った。
その時、どこからか水の滴る音が不気味に響いていたという。
 コップを食器棚から取り出して蛇口を捻ると、真っ黒な水が勢いよくコップの底を叩きつけた。
「きゃあっ!」
 思わず叫び声をあげた。その拍子にコップは落ちて割れ、闇より暗い水が床に広がった。程なくして両親と祖父が台所へと駆け付け、長住さんの身に起きた何かを見、
「急いでこっちさん連れて来い。やり方は分かっとうとだろな」
「当たん前た、ここ片付けちから来るけん、陽菜ば」
「でもお義父さん、どうにかならないんですか。他の子が」
「何ばいいよっとか。そん話は後た。今は陽菜んことばどぎゃんかせないかんどが。おっどんは早う来なんぞ、陽菜、爺ちゃんに着いて来なっせ」
 訳も分からず着いていく長住さん。祖父の部屋を通り過ぎ仏間へと向かう。そして中心に座るよう言われ従うと、仏壇の右手にある収納から大幣おおぬさを取り出した。大幣とは神主が儀式の際に使用するあれだが、それを持ちバサバサと背中に打ち付け始めた。同時にお経の様なものを唱え始め、何をしているのか聞こうとしても一切答えない。そうこうしている内に両親もやってきて、輪に加わった。母の呟くお経らしき言葉の中に「もれでる」「くず」「ぬくるべ」などの単語が聞き取れた。
 この奇妙な現状に泣きそうになりながらもじっと耐え、一時間経って解放された。終わってから両親に聞けど教えて貰えず、普段通りに学校に行くよう言われたという。
 殆ど寝ていない状態で朝を迎えた長住さんは、トイレに向かう途中、もう起きているであろう両親の部屋に向かった。改めて話をしたいと思ったからだ。部屋の前まで行きドアをノックする寸前、中から祖父と両親が話し合う声が聞こえ耳を澄ませた。よく聞き取れなかったが、
「今年はいつもより暑かけん早かぁ……来年もぎゃんあるとだろか」
「かすがいが増えるのがねえ……お義父さん、今年は大丈夫でしょうか」
「去年とはほんなこつ使えんかったけんな。立場ば分かっとるかビシッと言わないかん」
 という会話だけは聞き取れたそうだ。以降を聞こうとしていたが祖父らしき足音が近づいて来た為、その場から急いで立ち去った。
 妙な儀式以降黒い水も声も聞かなくなったが、久保君が突然いなくなったのを甲斐君に聞き、それならば話がしたい今に至る。

「気になる点はいくつもあるけど、何の儀式だったのかが一番気になるよね」
「そのままの意味で取ればお祓いになるんだろうけど」
「あのかすがいって何ですか?」
 甲斐君が尋ねた。
「ああ、鎹っていうのはカタカナのコの字の形になってて、両端が尖ってる釘の事だよ。家を建てたりする時に木と木を繋ぐ為に使うんだ」
 と手をコの字にして突き刺すジェスチャーをして見せる。
「あっ」
 と真帆が声を上げた。
「それが何か関係あるんですか?」
「あ、いやどうかな……正直会話の内容を全部聞いてないから、関係しているかは分かんない。ただ道具の話をしていた可能性もあるしね。桑名君、ちょっといい?」
 二人から少し離れた所に行くなり、水城さんが小声で聞いてきた。
「これさ……結構やばいんじゃない?」
「やばいのは分かってるけど、どうやばいのさ」
「鎹を使ったことわざ、分かる?」
 考えたが浮かばず肩を竦める。
「長住ちゃんに私の考えを話すと責任を感じそうだから離れたんだけど、『子は鎹』ってことわざがあってね、子供が夫婦の間を取り持つ縁の役目を果たすって意味。聞こえたっていう声を思い出して」
 そう言われても断片的にしか聞こえなかったんじゃ、と答えようとしてハッとした。
「聞こえた言葉って確か『こ』『は』『が』『い』……こはかすがい……?」
 水城さんは大きく頷き、簡潔に考えを私に教えた。
「あくまで仮説だけど、三階の幽霊は何かの理由があって子供達を連れ去ろうとしている。目を付けられた子は声が聞こえ上靴や姿が見え、その内黒い水が身近に現れる様になり、例の教室であの世だかに連れて行かれる。それで今回、陽菜ちゃんがターゲットになったものの、対処法を知っていたご両親とお爺ちゃんは他の子にターゲットを移し替えさせた。そしてそのターゲットになってしまったのが──」
「久保君だった?」
「そうだとしたら話の辻褄が合う」
「でも藤君はどうなの? 身代わりは久保君で既に連れて行かれてるなら関係ないはずじゃない?」
「そこは分からない。長住ちゃんのお父さんが言った『今年は早い』ってのが関係してるんじゃないかと思うけど。そもそも幽霊に常識なんて通じないんだから」
「常識は通じなくてもある程度のパターンはあるでしょ?」
「まあそれはそうだけど、如何せん情報が無さ過ぎる」
 パターン。幽霊が現れ力を振るう流れがあると私は考えていて、真帆もそれには同意してくれている。
 例えば、ある神社に子供が行くと幽霊が悪さをすると仮定する。この場合、「神社」に「子供」が行くことでその幽霊は力を発揮する。簡単に言えばそもそも神社に行かないか、子供が行かなければ幽霊は力を発揮する事が出来ない。怪談によくある「夜中に」「一人で」「ふざけて」等がそれに当たる。その土地に入りさえしなければ、基本的に被害を被る事は無い。
 しかし今回は、毎年生徒が入れ替わるはずの学校の三階で、全員が全員被害にあっていないのであれば何かしらの条件があるのではないか。その条件さえ満たさなければ、彼らは被害に遭わずに済むのかもしれない。
 今回の目標が決まったようだ。
「陽菜ちゃんにさっきの話はしたら駄目だからね」
「分かってるって、代わりに昨日の話をして、今の状況をまとめた方がいいかも」
 二人の待つ基地へ戻る。急にひそひそ話を始めたものだから、不安げな表情をうかべてしまっている。またしても真帆がフォローを入れた。
「ごめんね。ちょっと桑名君に確認したい事があって。実は昨日大変な事があって、その相談をしていたの。二人には凄く怖い話になっちゃうかもしれないけど、大事な事だから聞いてくれる?」
 二人は更に不安の顔に作り今にも泣き出しそうだが、無言で頷き、昨日君に起きた事を黙って聞いてくれた。
 私は真帆が話している間、丁度上司からの電話があり席を外した。
「お疲れ様です」
「おうお疲れお疲れ。今地元帰ってんだっけ? どう、復興してんの?」
 聞かれ、辺りを見回してから答える。
「ぼちぼち、ですかね。まだブルーシートが掛かってる家も結構あります」
「ふーん、ああそう。んで企画は? 進んでんの? 全然音沙汰無いけど」
「あ、すいません」
「いやいやすいませんじゃなくて。どうなってんの?」
「それが……まだちょっと」
 大きな溜息が通話口越しに聞こえる。
「あ、いや、でもちょっと色々ネタになりそうなのはあるのでもう少し時間貰えると嬉しいですほんとすいません」
「ふーん、いやまあ別にね、急かしてる訳じゃないから。とにかく面白いもん待ってるからよろしく。じゃあ」
「はい、すいません。失礼します、はい、はい……」
 電話が終わりややあって基地に戻ると、真帆が話を締める所だった。
「今朝お爺ちゃんから電話があったけど、まだ逃げているだけだから助かったとは言えないって言ってたの……それでも逃げる方法がある、というだけでもかなりラッキーだと私は思う。だからもしあなたたちが危険になったらそこに連れってあげられるから、その時は遠慮せずに言ってね」
 不安を煽る真似をして申し訳ないとは思うが、二人にとっても藤君の話は有用だろう。この後は昨日真帆が言っていたマンションに行って例の引っ越した人に会うか、学校の事についてもう少し調べるかだが、効率的に行こうと二手に分散する事にした。万が一誰かが霊を見たとしても、それまで数日は掛かる予想だ。
 男女で分かれ私達は町の図書館へ向かった。毎年の様に消える生徒の事がニュースになっていないのは、ネットカフェで調べて既に分かっている。他の視点から調査を進める必要があるが、まず周辺の地理と学校の歴史をすり合わせようと考えた。
 大きな災害と言えばあの地震くらいだが、十年以上前から封鎖されている三階の廊下。霊が出たのはここ数年の話ではないし、地震が原因で封鎖したのではないのは明らかだ。もっと前から子供達、あるいは大人達の間には学校の怪談が存在していたはず。発見出来ていないだけでもっと重大な事件があったはずだ。
 図書館に着き私は町の歴史なる本を探し始めた。重要な建物の建立と町長や議員の変遷、学校の新築に関わった人物などが載っていると踏んでいた。私が調べている間、甲斐君には町の地図を入手して貰う。現在と十年程前ともっと以前のものがあれば尚良い。
 図書館の奥の方に町関連の資料が陳列していた。案外すんなり見つかるものだなと拍子抜けしたが、重要な手掛かりが無い可能性もある。
 眼鏡橋の愛称で親しまれる石造りの橋の建設、川の整備、花火大会発祥の裏話。
「……これかな」
 御粕會小旧校舎建て替えに参加した町民の写真だ。新校舎をバックに写真が撮ってある。日付は五十四年前の七月二十五日。奇しくも丁度今日がその二十五日。小学校の創立記念日がその一週間後の八月一日。
 偶然にも新校舎完成と同じ日に発見するとは、どうにも居心地が悪い。
 次のページには施工当時の施工業者、棟梁とうりょう、住民の名前が連ねてある。遠目でぼやけてわかりにいが、旧校舎の写真もある。どうやら町の一大イベントとして有志を募り、校舎の一部を町民に手伝ってもらった様だ。建て替えの理由も老朽化によるとしか書かれていない。外れかもしれないが念の為写真を撮って、水城さんに送信する。何か手がかりが見つかればいいが。
 ページをぺらぺらと捲りそれらしい記述か写真が無いか探すが、役場がここに建っただの町長が隣町で起きた水害へ寄付しただのくらいしか載っていない。そうこうしている内に航が数枚の紙を持ってやってきた。
「あの、町の地図印刷してもらいました」
「ありがとう、じゃあちょっと見てみようか」
 保管されている地図が古く扱いにくい為一度断られたそうだが、夏休みで自由研究だと嘘をつき無理言って印刷を頼んだようだ。
開いている机に移動して数十枚の地図を日付順に並べ、それらを学校を基準に重ね合わせていく。年代毎に細かく見られるよう数枚ずつに分けて印刷してきてくれている。

一番新しい物が昨年。次に新しいものが3年前の物で、久保君達と出会った公園が広がっているのが分かる。更に古い物が5年前10年前と続く。この時代になるとあの鱗の様に山肌に生える家も少なく見える。更に丁度地震を挟んでいるのもあって、家々の配置が様変わりしているのが見て取れる。震源地が近かった割には、家屋以外に被害が出なかったのは運が良かった。
 一応地理的な関係性を分かり易くする為に、彼らの家を丸で囲む。小学生らの家は変わっていないようだが。
「長住ちゃんの家ってここなんだね」
 御粕會を流れる川の畔にある古い日本家屋、そこに住んでいるらしい。甲斐、久保は何度かお邪魔したことがあるらしく、広い屋敷と造りに驚いたそうだ。震災前の私の家に来られたなら同じく驚いてくれた事だろう。自分の手柄でも無いし、意味の無い自慢でしかないから言わないが。
 続いて少し飛んで30年前。ここまで来ると街並みも寂しく映る。小学校周辺のアパートも買い物するならここしかないスーパーも無ければ、金持ちロードもまだ整備されていない。粕會川から町の隅々まで張り巡らされていた支流の数本は、埋められて個人経営の自転車店やアパートが建つようだ。この年代はもう自分の知っている町ではなく、今は無きサロンやバーに親の世代なら懐かしむ事も出来るだろう。地図上でもしっかりと長住家は存在していて今よりも少し敷地が広い。恐らく川の整備の為に土地を削ったのだと思われる。
 残る2年分は色味からして古い年代だと分かる地図で、小学校が立て替えられる5年前と更に前の110年前の地図。
 59年前の地図を重ね合わせていく。川の支流は更に細分化され、家も今の三分の一も建っていない。しかし……
「時代的にそうか……そうだよな」
「どうかしたんですか?」
「いや……ちょっと」
 空いた幾つかの土地の真ん中に、自分の土地だと誇示せんばかりに「綱藤」「桑名」「島崎」の文字が並んでいた。忌まわしいどころではないが、もうそれも過去の事だ。
 沸き立つもやもやを押し込み、地図に戻る。
 家が無いくらいしか違いが無い。そう思って次の地図を広げようとした時、甲斐君が声を上げた。司書と図書館にいた数人がこちらを訝しげに見たので、私はバツが悪そうに会釈した。
 何か見つけたのかと聞くと静かにある場所を指さした。御粕會小だ。
 私は一瞬何を言っているのか分からなかった。創立百年を超すのだからそこにあるのは当たり前だろうと思っていたからだ。そしてその通りに学校はある。私が間違い探しをする様に地図を見たのを察して、彼が口を開いた。
「学校の形が違う……」
「学校の形?」
 そう言われ再度目を落とし、はっとした。確かに建て直したのだから旧校舎があり形が違うことに問題は無い。だが彼が指摘したその形は、今回の場合は問題でしかなかった。
「コの字……」
 町の歴史の本にあった旧校舎の写真と見比べる。判別しにくいが校舎の両端が直角に折れ曲がっている様に見えなくもない。昔の校舎はコの字に造られているものも少なくはないが、御粕會小に限ってそうであってはならない。
 はやる気持ちを抑え、次の地図を重ねていく。最早殆ど民家は無く、御粕會の名に恥じない広さの田畑が並んでいる。更に地図にある粕會川は途中で二又に分かれ、現在は違う名前で揶揄される道路がある位置を通っていた。
 地図通りのサイズであれば、川幅は今ある粕會川と同じかそれ以上と思われた。もしもこのサイズの川を堰き止め埋めるとすれば、どれだけ莫大な費用や時間、人員が掛かるのか想像も付かない。
 川があった場所を思い浮かべる。その名残はどこにも無く、立て看板や石碑などは一切ない。手元の本にあそこに川があったなどと一言も書かれていない。つまりこの川は誰かの手によって意図的に存在していたことすらも消された事になる。一体何故。
 現在と百年前の違いはそれだけではなかった。

 光輝と航の二人が最初の地図を広げている頃、真帆と陽菜の二人は例のマンションの前に立っていた。場所は唯人の母親に電話して判明し、案外近かった為徒歩で移動していた。粕會川を跨いで少し坂を上った所にそのマンションはあった。
 白と焦げ茶を基調にしたモダンな風合いがあり、玄関ホールはガラス張り、一階の目隠しには綺麗に切り揃えられた生垣が設けられていた。夜になればその生垣を照らせるようにライトまで仕込んである。
「高級マンションらしい高級マンションだね」
「こんなとこ住んでみたいです」
 子供らしい発想だなと真帆は思った。だがそれくらい良い見た目のマンションに真帆も頷き、いかにもなマンションの中に進みインターホンを押した。
 マンションの場所と同時に藤母と仲の良かったママ友の連絡先を教えて貰い、学校の名を語って約束を取り付けた。案外すんなりと騙せる物だなと思ったが、逆に学校の名前がどれだけ強い物かを実感する事にもなってしまった。
 呼び出し音が鳴りお淑やかな声が返事をした。声だけで人となりを判断するのは浅はかだが、南郷なんごうかすみさんなる人が穏やかでスラっとした人物だろうと想像させた。
 実際、玄関を開けて出てきたのはやつれてはいるものの、小綺麗で出る所に出ればモテたであろう人物だった。真帆を学校関係者だと信じ込んで挙動不審でなければ、もっと素敵な女性に見えただろう。
 真帆は半ば強引に部屋へと押し入った。
「それで……その、学校についての話とは一体なんでしょうか……私は、その、今は子供もおりませんし、夫とも離婚しておりまして……」
「いえ、実は今回はそういった内容で伺ったわけではありません」
「……と言いますと?」
「お子さんがいなくなった当時の話を聞きに来ました」
「……学校の方ではないのでしょうか」
 挙動不審さが更に増したのが目に見えて分かる。そもそも子供がいるなどとは聞いていないし、その時点でおかしいとは思っていたが、学校関係者でないのであればこの二人は誰なのか。思考を巡らせる目で真帆達を見た。
 だが部屋にあげてもらった段階で、彼女の策略はほぼ成功していると言って良かった。怪談の被害にあってなお被害届や捜索願を出していないならば、どこかから待ったが掛けられている証拠だ。そんな人に
「怪談について知っている事を話して欲しい」
 などと初めに言ってしまっては、門前払いを食らうのがオチだ。『今は子供はいない』と明言したのが被害にあった確たる証拠である。真帆は続けた。
「先日、一人の男の子がどこかに連れ去られました。ここにいる彼女や今も普通に学校に通う子供達の友達が、です。なのに、その両親は彼女達に何も告げず家を出て行きました。何故ですか?」
「し……知りません、帰ってください」
「いえ、話を聞くまでは帰れません」
「かか、帰ってください! け、警察を呼びます!」
「ここにいる彼女も、今図書館にいるであろう男の子も、あなたの子供と同じ様にどこかに連れ去られようとしているんですよ。それを見過ごすって言うんですか」
「わ、私には関係ありません! 帰ってください!」
「関係無い? 本当にそうですか!? 誰かが声を上げさえすれば、子供達は被害に遭う事もなく普通に学校に行って友達と遊べていたはずでは? あなたの子供も、本当ならもう中学校に上がって、青春を謳歌していたはずではないんですか!?」
「そ、それはだって」
「悔しかったはずですよね。急に自分の子供が訳も分からない怪談なんて物に連れ去られて、それでも黙っていろなんて」
「それは……」
 真帆は一呼吸置き、真っ直ぐ南郷を見据えた。
「私はどうにかしてこの怪談を終わらせたいと思っています」
 その言葉を聞き南郷は目を見開いた。驚愕と不信、期待と諦観が混じっていた。
「……どうやってやるつもりですか……いや終わらせた所で梨香子りかこが戻ってくるわけじゃない……それなのにどうして協力なんか」
「無理にとは言いません。それにまだどうやって終わらせるのか、終わらせられるのか検討もつきません。でもだからと言って、このまま子供が犠牲になって言い訳が無い。他人だからと見て見ぬふりをしていてはこれまでと何も変わらない。梨香子ちゃんが消えたのをただ静観していた周りと同じになるんですよ? 酷なことかもしれませんが、理不尽に立ち向かわなければ、ただ従順に流されるまま生きて手を差し伸べないのは、生きていないのと一緒です。世の中には度を越えた理不尽な人や物事が渦巻いてます。立ち向かうには余りに大き過ぎる理不尽が。私はそれに巻き込まれ、挙句の果てに生きる事を放棄した人を沢山見聞きしてきました…………南郷さんはそれに巻かれて泣き寝入りしてしまうんですか。勿論何でもかんでも協力してくれとは言いません。私には分からない南郷さん自身の痛みがあって、これから先も処理しきれない程苦痛を背負っているのかもしれない。でも……もし少しでも理不尽に対する悔しさや物を言えないもどかしさがあるのなら、ほんの少しだけでも勇気と優しさを彼女達に見せてくれませんか。それだけで十分なんです……お願いします」
 真帆は深々と頭を下げた。陽菜もそれを見て頭を下げた。無言の空間に小さく時計の針が進む音が響き、南郷は最早声も思い出せなくなってしまった我が子を思い浮かべていた。 
 好きだった玩具もテレビ番組、部活動で使っていた道具。三人でよく遊びに行った草スキーが出来る高原とアイス。あるいは着るはずだったぶかぶかの学生服。
 南郷は無言で立ち上がると、どこかの部屋に歩いて行ってしまった。目線の隅で感じていた真帆は顔を上げ、気配を察した陽菜も顔を上げ見合わせた。
 暫くして南郷が戻って来ると、手には特に装飾の無い紙の束があった。その束を真帆に差し出した。中央には赤字で「必読」と書かれている。
「それは……梨香子がいなくなった翌日、当時の校長先生から渡されたパンフレットです。中には学校の怪談に関する簡単な概要と、子供がいなくなった際の補償について書かれていました。最後の方には子供がいなくなった事を黙っておくようにと注意書きがあって、口頭でも説明を受けました……もう空でも言えるくらい読みました……最初のページに『大切にお育てになったお子様につきまして、人柱となるのは大変心苦しいものがあるとは存じます。心よりお礼申し上げます』って……書いてあって……お礼? お礼って何? 子供がいなくなってお礼を言うなんて、どんな学校なのって二人して怒鳴り込んだの。そしたらこれを渡されて……」
 段々と南郷の目がどこか遠くに移って行き焦点が合わなくなる。
「声が聞こえるんだって頻りに訴えてたのに、私も夫も全然取り合わないであしらっちゃって……日に日に言葉の内容まで具体的になるのよ? それでもどうしたって子供の遊びだって思ったの。そうしたら梨香子いなくなっちゃった。おかしくなあい? 他にも沢山子供はいるのにどうしてうちの子なの……あの子もいなくなって夫もいなくなって……残ったのはお金と家だけって……昔はこの辺の地主の家から何年かに一人出してたって話で、ずっとそうしてくれれば梨香子がいなくなる事も無かったのに。自分が蒔いた種を他人に拾わせてるだけじゃない。結局馬鹿を見るのは下々なんだから……金なんか貰ったって何の役にも立たないのよ。上の堀越さんも二〇三の渡辺さんも、お金お金お金…………あなたもそう思うでしょ?」
 頭をぐるっと真帆に向けて尋ねた。
 思わぬ問いに「ええそうですね」としか答えられなかったが、特に意に介していない様子で顔を明るくし
「あ、そう言えばお茶の一つも出してなかったですねごめんなさい。今入れてきますから」
 と有無を言わさずキッチンへと引っ込んでいった。思っていた以上の情報が手に入りはしたものの、南郷の姿はとても痛々しく映った。何かを奪われた人を多く見てきた真帆にはその一人に過ぎないが、至って順当に育った陽菜にとっては奇異な人物だった。
 南郷が部屋からいなくなり、真帆は携帯に送信されていた写真を確認することにした。それらは光輝が町の歴史の本を映した物で、その後の連絡で町の地図を確認するとなっていた。一瞥しただけでは普通の集合写真にしか見えない。
「この写真見て何か分かる事ある?」
 眼鏡橋なる石橋、初代町長と議員達、川の整備前整備後、新校舎建設時の写真。
「……あっ、これ見た事あります。校長室に同じのが飾ってあってちゃんと見た事無かったんですけど……この右端の人……お爺ちゃんの若い頃にそっくり……」
 陽菜が写真の右端でしゃがみこんでいる男を指さした。一枚前の写真の文章から彼らが建設に携わった人物達であると判明しているが、名簿には長住の名前は無い。道中聞いた家柄から察するにそこに序列していないとは考えにくい。しかし、以前に見た祖父の若かりし頃の姿にそっくりだと長住は言う。他人の空似がこの狭い地域で発生した可能性もあるが、序列しなかった理由があると考えた方が理にかなっている。
 突然光輝から電話が掛かってきた。
「もしもし、桑名君? 何か分かった?」
「色々分かったんだけど、先に伝えておきたい事があって。今近くに長住ちゃんはいる?」
「え? いるよ」
「ちょっと離れる事出来る?」
「まあ……ちょっと待って」
 光輝に言われるがままリビングを離れ廊下に出る。
「……それで、何が分かったの?」
「結論付けるのは早いって頭では分かってるんだけど、そうとしか考えられなくて」
「急いでないから順序付けて話してくれる?」
「ああ、ごめん。いやでもまさか……とにかく町の地図を印刷してもらって、年代順に並べてて。一番新しいのが去年、一番古いのだと110年前」
「そんな前のもあったんだね」
「そう。で、去年から順々に見ていくと次第に家が減って、110年前まで遡ると粕會川にはもう一本大きな支流、むしろこっちが本流だったんじゃないかってサイズの川があったらしいってのが分かった」
「川? どこに?」
「金持ちロードの真下」
 真帆は金持ちが暮らしている山の麓にある、別名の付いた太い道路を思い浮かべた。現在の道路にそんな面影はないし、その規模の川があったなんて信じられなかった。川があったという歴史を物語る物は一つも無い。光輝は更に続けた。
「その川は玖珠子川くすしがわって名前があったらしい。後で見せるからそれはそういう物だと今は思って欲しい」
「分かった。それで?」
 光輝の説明口調に焦りが乗っているのを真帆は感じていた。相槌を最小限にする方が話が進むと思い、端的に返していく。
「今のが地形の話で今度は学校の話。校舎が立て替えられたって話はしたよね」
「した。さっき送ってきた写真で見る限りは54年前ってなってる」
「そう。それで手元にある地図が59年前。それには旧校舎の形が書いてあった」
「旧校舎の形? ……まさか」
「信じたくはないだろうけど、上から見れば旧校舎はコの字になってた」
 ここで嘘をつく必要は無い。つまり本当に旧校舎はコの字の形をしていた。思い返せば先程見た写真に写る校舎は、直角に折れ曲がっている様に見えなくもない。誰かが意図的にその形に設計し造り上げた。だが光輝の話はそれで終わりではない。
「でもそれだけじゃなくて……寧ろこっちの方が大事かもしれない。長住ちゃんの実家が今どこにあるかは覚えてる?」
「分かる」
 金持ち達が住む新興住宅地の一番北側、川の畔に建つ日本屋敷。
 一呼吸置き、光輝は言った。
「110年前の地図じゃそこに長住ちゃんの家は無くて、今まさに御粕會小が建ってる位置に長住ちゃんの家はあったんだよ」
 真帆は思わず身震いした。
「そんな……偶然同じ苗字だって可能性は」
「勿論その可能性もあるだろうけど、こういう場合の偶然は偶然じゃないって水城さんも分かるでしょ。そうだとすれば長住ちゃんのお爺ちゃんと両親が、霊を祓う方法を知っているのも本に名前が載ってないのも辻褄が合う」
「でもどうして」
「いや、それはまだ仮説の域を出ないって言うか……ただ、長住家が渦中のど真ん中なのはまず間違いないと思う」
「……まずい」
「どうしたの」
「後でかけ直す」
 光輝との電話を切りリビングへ早足で戻る水城。
 もしも光輝の話が正しければ、この家には加害者家族と被害者家族が存在している事になる。あのパンフレットに長住家の事が書かれていれば、いくらお金が支払われていても恨んでいるに違いない。玄関先で既に苗字を名乗ってしまってる以上、一人にするのは危険だ。必要とあればすぐにでもここから出た方が良い。
 リビングへのドアを開けると南郷が丁度お茶を持ってきている所だった。幸い、南郷は陽菜が怪談の出所だとは気付いていないらしかった。自身の家について何も知らない彼女が口を滑らせる前に、南郷家からお暇しなければならない。
「お口に合えばいいけど」
 出されたのは地元では有名な団子とお茶だった。まだ彼女があの長住家だとは気付いていないようだ。しかし念には念を入れて立ち去る方が賢明で、欲しい情報は手に入った。
「南郷さんすみません、押しかけてしまった手前大変申し訳ないんですが、私達急用が出来てしまいまして……」
「あら、お茶くらい飲まれてからでも」
「ああいえ、友人から急いで来て欲しいと頼まれてしまいまして。良ければまたお話を聞かせて頂ければ嬉しいです」
 如何にも申し訳なさそうな苦々しい表情を作り、その場から立ち去ろうとする。陽菜はおどおどと南郷と真帆へ目線を動かして、深くお辞儀をし真帆の後に着いていくしかなかった。
「大丈夫? 送りましょうか?」
「いえ大丈夫です。すぐそこまで来てくれてるみたいなので」
「そう……もしその……何か解決しそうだったりもし解決したら……連絡貰ってもいいかしら。手助け出来そうな事があれば連絡してくれてもいいし」
「ご親切にありがとうございます、それでは失礼しました」
 玄関のドアノブに手を掛けそそくさと出ようとする彼女らを、抑揚の無い声が静止した。
「ところであなたは何年生だったかしらね」
 表情筋をこそぎ落とした南郷が薄い白色灯に照らされ、能面を付けている芸者の様に立っているのを見て真帆はぎょっとした。
 その手には果物用の小さな包丁が握られている。キッチンに行きお茶とお菓子を持ってきた時に、背中に隠していたのだろう。
 真帆はこういった、感情がスイッチしてしまうタイプの人を大勢見てきた。その勘から南郷が自分の手に包丁を握っている事を、自分でも理解していないのだと感じ取った。と同時に、彼女の頭の中で感情と理性が戦っている事も理解した。実の所では南郷は、陽菜が長住家の人間であると分かっている。しかし子供は関係が無いとも分かっている。故に壊れかけている彼女の脳内で長住家への復讐心と、関係無い子供を巻き込みたくない理性が鬩ぎ合った結果が今なのだ。
 幸い陽菜には包丁が見えていない。出来るだけ刺激しないよう笑顔を作り、ほんの少し体を右にずらす。
「あ、えっと六年です」
 陽菜がそう答えると南郷はぱっと表情を明るくし
「そうなんだ、今年卒業かあ」
 と返した。真帆は再度別れを告げ南郷家を後にした。エレベーターを降りマンションが見えなくなる所まで進み、真帆は深く息を吐いて胸を撫で下ろす。隣で心配そうに見つめる陽菜には言えないが、玄関ドアを閉める寸前
「梨香子と同い年ね」
 とぼそりと呟いたのが耳に届いていたからだ。包丁の事も陽菜には黙っておかなければ。
 ポケットから携帯を取り出し光輝に電話を掛ける。数回コール音が鳴り光輝は返事をした。
「もしもし、さっきはどうしたの? 大丈夫?」
「いや……一先ずは大丈夫。今からそっちに向かおうと思ってるけど、まだ図書館?」
「いや、もう出ててスーパーに向かってる所。甲斐君もお腹空いてきたって言ってるし、お弁当でも買おうかなと。水城さん達も来るでしょ?」
 その誘いを陽菜は一度断ったものの育ち盛りのお腹には逆らえず、道中にある美容室前で集合して向かう事になった。
 道すがら南郷から貰ったパンフレットを読み進めるが、南郷の話を聞いていたとしても到底信じられる内容ではなかった。
 15分程川沿いを歩いて橋を渡り、一つ目の交差点を右に曲がって5分弱で美容室に着いた。光輝と航は既に到着しており、呑気にコーラを飲んでいる。

 所謂ハインリッヒの法則は怪談にも当てはまる。無数の小さな異常、目に見えて分かる変化、そして一つの悪意。それら全てに目を向ける事は到底適わない。
 人間の脳は都合良く出来ている様で、身の回りの危険に鈍く思考の外に追いやる。自分に事故や災害が降りかかる可能性を見ずに過ごす事で、ストレスの無い通常通りの生活が送れている訳だ。あるいはそれらを認識しなければ現実にならないのではないか、という無意識的思考が常にあると言い換えても差し支えない。更その可能性に当たってしまったとしても、時が経つに連れ認識は緩くなっていく。

 あまりの緊張感の無さに真帆は肩の力を抜き、二人と合流した。怪談の渦中にいても普段と変わらない光輝の姿によって『普通』に戻されてしまった。
 だが、その緩んだ空気は一瞬にして掻き消された。
 真帆と陽菜が歩いてきた方向から、一台の乗用車が四人を目掛けアクセルを全開で突っ込んで来たからだ。


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