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【翻訳】英国執事自伝『ホールボーイからハウススチュワードへ』 目次/1章

書誌情報

タイトル:ホールボーイからハウススチュワードへ/From hall-boy to house-steward
著者:ウィリアム・ランスリー/William Lanceley
出版年:1925年
出版社: London, E. Arnold & co. 

序文


以下のテキストを読者に紹介するにあたり、筆者は読者の寛容を願っています。文学的功績は望んでおらず、この点に関するすべての欠点や誤りを見逃してくれることを望みます。彼はイングランド北西部のトラストスクールで、昔ながらの校長のもとで教育を受けました。この学校では、文法、地理、歴史、信仰、主の祈り、十戒、神と隣人に対する義務(前者は週に1回、後者は2回教え込まれた)などを少しずつ学び、評議員会の認可を受けた教育システムを修了しました。

彼は時々、私たちの将来の展望について語り、彼の学校で行われている教育よりもはるかに劣る教育を受けながら名声を得た人々の名前を挙げ、もし私たちの誰かが少しでも野心を抱いているならば、彼らを見習って自分の実力で昇進しなければならない、と言ったものでした。これは1870年以前のことで、ちょうどその頃、学校教育制度が国の法律となりました。

次のテキストは、筆者の人生と放浪について書かれたものです。筆者は人生の道を歩む中で、謙虚に、皇帝、王、王子、首相、偉大な国家官僚、偉大な船乗りや兵士と接しました。

裁判官、文学者、俳優、そして晩餐会の芸人たち。私が彼らから思いやりと親切心をもって扱われたように、私も彼らに対して同じように扱おうと努めました。 

目次

  1. 私の最初の職場

  2. 準男爵の家

  3. 私の主人と女主人

  4. ポーツマスのアドミラルティ・ハウス(提督府)にて

  5. アイルランドでロバーツ卿と

  6. カーラの賓客たち

  7. 王室の使用人

  8. マルタでの祝祭

  9. カナダでの公爵.

  10. 戦時下のリドーホール.

  11. 使用人について一言

  12. 使用人の仕事の危険

  13. 不幸と火事

  14. 私自身の使用人たち



第1章 私の最初の職場

1870年、この自伝の作者は、替えのズボンと下着1枚、それにリンゴ5個を入れたカーペットバッグ(絨毯生地の旅行カバン)を持って家を出た。ポケットに5ペンスを入れて、彼は5マイル歩いて、地元のエスクワイア(名士。ナイトの従者・盾持ちが語源)の美しい家でフットボーイとしてのキャリアをスタートさせた。

この屋敷は、大きな湖のある、肥沃な土地にあるディアパーク(鹿の放牧地)の真ん中に位置した。湖の端には島があり、その島にはきれいなサマーコテージ、ボートハウス、本土への吊り橋があった。その環境は絵になるような美しさで、近隣の大富豪の公爵が羨ましがり、地球上で唯一欲しがっている場所だと何度も言った。

古めかしい玄関ホールの天井には、1700年から1066年の征服者の盾に至る家系図が、樫の盾に刻まれていた(※1)。エスクワイアは自分の家系を誇りに思っており、一族はかつてキャベンディッシュ家が英国に上陸する前にチャッツワースの地所を所有しており(※2)、ある大きな機会に3人の王を同時にもてなしたため、その紋章に3つの王冠を授けられたのである。紋章は、王冠を突き破った腕が蛇を掴んでいるもので、ラテン語の家訓は「王冠に最も忠実に」と訳されている。

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