三(さん)仏寺(ぶつじ) -地域のお宝さがし-91

所在地:鳥取県東伯郡三朝町三徳1010

■三仏寺■
 三仏寺は、鳥取県三朝町の三徳山に位置する天台宗の寺院です。役行者(えんのぎょうじゃ)が慶雲3年(706)に創建し、嘉祥2年(849)に慈覚大師が山麓に堂を建立し、三仏(釈迦・阿弥陀・大日)を安置したとされています(注1)。寺院は、山麓の三仏寺と山頂に至る、文殊堂・地蔵堂・鐘楼堂・納経堂・観音堂・元掛堂・不動堂・投入堂(なげいれどう、注2)・愛染堂で構成されています(図1)。

図1 諸堂の配置

 「三仏寺」といえば、絶壁にへばりつくように建つ、日本一危険な国宝の「投入堂」が有名ですが、そこに至るまでの諸堂も見所がありますが、内部に入ることができませんので、主に外観や由緒などについてみて行きます。諸堂を見ながら、「投入堂」を目指しましょう(図2)。

図2 投入堂遠望

注1)大岡實『日本建築の意匠と技法』(以下、意匠と技法、中央公論美術出版、1971年)
注2)『国宝・重要文化財建造物目録』(以下、目録、文化庁編集、1990年)によ ると、「奥院(投入堂)」であるが、ここでは投入堂で統一。

■諸堂■
●文殊堂(重要文化財、以下、重文)●

図3 文殊堂

 三徳山を登り初めて最初の堂が文殊堂です(室町時代後期、注3)。岩の上に建つ懸造(かけづくり)で、規模は桁行4間、梁間3間、屋根は入母屋造・細かな木片で葺かれた杮葺き(こけらぶき)、軒は、垂木が一段の一軒(ひとのき)で、背面の軒先に唐破風が設けられています。(図3)。

●地蔵堂(重文)●

図4 地蔵堂

 地蔵堂(室町時代後期)は、規模や屋根の形態、柱頂部の組物は舟肘木などは文殊堂と同様ですが、軒は垂木が二段の二軒です(図4)。文殊堂・地蔵堂は、嘉祥2年に慈覚大師によって建立されたという伝承があるそうです(注4)。

注4)『日本の国宝030』(朝日新聞社、1997年)

●鐘楼堂(県指定保護文化財、以下、県文)●

図5 鐘楼堂

 鐘楼堂(大正14年[1925])の屋根は切妻造・杮葺き、柱間1間四方は吹き放ちで、四方の柱は貫で緊結されています。建立は鎌倉時代と推定されていますが、大正の修理で部材の大半が取り替えられているそうです。鐘は、延宝8年(1680)に再鋳されたといいます(注5)。なお、鐘楼堂について『意匠と技法』(注1)には、「近年造営の鐘楼」とあります。同書の三仏寺関する論文は、昭和18年(1943)に発表されていますので、感覚として、「近年造営」なのかと妙に納得しました。

注5)「鐘楼堂(三徳山三佛寺建造物群)」・「三徳山三佛寺:鐘楼」

●納経堂(重文)●

図6 納経堂

 納経堂(鎌倉時代後期)は、一間社春日造、屋根は杮葺き、軒は一軒、石の上に組まれた土台の上に建てられた、小規模な見世棚造です。身舎は丸柱で、上下に長押が設けられ、庇は角柱と舟肘木で支えられています。
 納経堂の説明板には、「鎌倉時代の春日造り、本殿建築 投入堂と同じく慶雲三年(七○六)の創建と云う」とあります。『意匠と技法』(注1)には、「かつてはこれが藤原時代といわれたこともあったが、・・まず鎌倉末以前には上らないであろう」とあり、説明板と大きな違はありませんが、後段の「投入堂と同じく慶雲三年(七○六)の創建」については、投入堂の創建は平安時代後期ですから、大きく異なります。一方、納経堂の建立年を平安時代後期とする見解もあります(注6)。
 また、『意匠と技法』(注1)には、納経堂は「現存最古の春日造として有名である。」との指摘があり、現在はどうかと検索してみると、「円成寺鎮守社春日堂・白山堂」(1197~1228、図7)がヒットしました(注7)。年代から鎌倉初期と考えられます。

図7 円成寺春日堂・白山堂

 なるほど、現在は円成寺春日堂・白山堂が最古とされているのかと思いきや、年輪年代測定から、納経堂の建立が平安時代後期にさかのぼることが判明したので、やはり「最古の春日造」であったようです。

注6)全景注3)「三佛寺」には、納経堂について、「従来鎌倉時代の建築とされていたが、用材の年輪年代測定の結果から、平安時代後期にさかのぼることが判明した。」とある。
注7)「【円成寺鎮守社春日堂・白山堂】国宝に指定されている日本最古の「春日造」社殿」。『日本建築史図集新訂第三版』(彰国社、2012年)には、「建久8年(1197:筆者注)から安貞2年(1197~1228)に春日大社神主だった藤原時貞の建立とあり、建保造替のときに春日大社の旧殿(建久7~8年建立)を移したと考えられる」とある。

●観音堂(県文)●

図8 観音堂

 観音堂(正保5年[1648])は、懸造で、規模は桁行3間、梁間3間、屋根は入母屋造・銅板葺き(元杮葺き)で、左右の屋根に千鳥破風が設けられています(注8)。軒は一軒、柱上に舟肘木が用いられています。内部は見ることはできませんが、「正面1間分が礼堂(外陣)で残り2間分は内陣」(注8)との記載から、左側の角柱部(1間)が外陣、右側の円柱部(2間)が内陣と思われます。

注8)「三徳山三佛寺:観音堂」

●元結掛堂(県文)●

図9 元結掛堂

 元結掛堂(江戸時代初期)は、一間社春日造、屋根は杮葺き、軒は一軒、石の上に建てられた小規模な見世棚造です(注9)。身舎は丸柱で、上下に長押が設けられ、庇は角柱と舟肘木で支えられています。

注9)「三徳山三佛寺:元結掛堂」

●不動堂(県文)●

図10 不動堂

 不動堂(江戸時代後期、注9)は、一間社春日造、屋根は杮葺き、軒は一軒、崖の上に建てられた小規模な懸造です。身舎は角柱で、上下に長押が設けられ、庇とは海老虹梁で繋がっています。庇は角柱と絵様肘木付出三斗で桁を支え、虹梁形頭貫の両端は袖切りが施され、渦巻き文様が刻まれています。また、中央部には本蟇股を備え、木鼻は繰形が施され、渦巻き文様が刻まれています。江戸時代後期の建立のためか、他の堂に比べて装飾性が向上しています。

注9)「三徳山三佛寺:不動堂」

今回見た諸堂は、規模は文殊堂・地蔵堂以外は小さく、柱は角柱が多く、組物は舟肘木と造りも質素なことから、山中での作事の困難さが窺えます。
次回は、投入堂・愛染堂を見ます。

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