建築家葛野壮一郎の仕事⑤-地域のお宝さがし-52

中央電気倶楽部 〒530-0004 大阪市北区堂島浜2-1-25

■中央電気倶楽部■
●設立の経緯●
 わが国における電気事業の発達のため、明治25年(1892)4月に「日本電燈協会」が設立され(同28年5月に「日本電気協会」と改称)、同43年に関西支部が設けられました。しかし関西支部は、東京中心の活動に反発し、大阪電灯が主となり、大正2年(1913)10月に「中央電気協会」を設立し、分離・独立しました。
 同協会の活動や会合などの場として、会館建設の機運が高まり、大正3年11月、大阪電灯社長土居通夫(大阪商工会議所会頭)を中心に、電灯・電力・電鉄・電線会社などを主体とする「関西電気倶楽部」(翌4年「中央電気倶楽部」と改称)が創立され、会館も竣工しました(注1)。

●会館の建設●
 大正3年に建設された木造の会館は、翌年火災により焼失、同5年に再建された会館も手狭になり(注2)、昭和5年(1930)、葛野壮一郎の設計によって現会館(以下、電気倶楽部)が建設されました(注3)。

注1)(社)日本電気協会HP、中央電気倶楽部館内案内
注2)前掲1) 中央電気倶楽部館内案内
注3)『近代建築画譜』(p308、不二出版、2007年)

■倶楽部の目的と意義■
 葛野によると、倶楽部は純粋な社交機関であり、その目的は、社交の便宜を得ることにあるが、都市の膨張にともない居住地が離れ、相互が益々疎遠になってしまったことの緩和策として、倶楽部の意義を認めています(注4)。葛野は、同論文において、会員が倶楽部で快適な時間を過ごせるように、必要な諸室の位置や考慮点などを掲げています。主要な諸室について、見てみましょう。

注4)「クラブ建築の目的と設備に就いて」『建築と社会』昭和5年3月号。倶楽部に関する記述は、断らない限り同論文による。

●必要諸室●
 談話室関連 倶楽部で最も重要な談話室は、明るく軽い気分で、愉快に歓談できるよう、広い面積と高い天井を必要とします。談話室に続いて、①図書室、②囲碁将棋室・撞球室(球戯室)が配されます。①図書室は、「一般」に設けられますが(注5)、広さは新聞雑誌室程度で、比較的静かで出入りに便利な位置に設けます。②囲碁将棋室・撞球室は、前者は広くなくてよいのですが、後者は広さと位置、採光などに考慮を要します。そして、談話室や娯楽室の近くには酒場を設け、特別室は和室としますが、さらに葛野は、茶室の設置も提案しています。

 食堂 食堂は談話室と同様に重要で、談話室との連絡が最もよい位置に配し、ゆったりとした広い空間とし、「食事が好味い」ことにこだわっています。

 大会堂 大勢の人が集まる倶楽部には、「大集会室」を設けられるのを「普通」とし、最も重要な「大会堂」は、「大宴会場」や「催し物集会場」として利用されるので、「ステージ及び控室」を設け、ダンスホールとしての利用も考慮しています。

注5)前掲4)「クラブ建築の目的と設備に就いて」において、「一般」や「普通」として掲げられる室は、新・旧の大阪倶楽部を念頭においていたものと推測される。なお、当初の大阪倶楽部・中央電気倶楽部の設計者は野口孫市である。前掲3)『近代建築画譜』(p298、308)

■電気倶楽部の諸室■
 諸室の配置を見てみましょう。平面(注6)は、以下のとおりです(図1)。

図1

図1 電気倶楽部各階平面図

注6)「京阪神新建築集」『建築と社会』昭和5年11月号。室名は、掲載図に準拠。

●談話室関連●
 1階には、入口の左右に、談話室・酒場と囲碁将棋室(図2)が配され、その奥に、高い空間が確保された球戯室(図3)が位置します。

図2

図2 囲碁将棋室(右)、球戯室(奥)

図3

図3 球戯室

図4

図4 談話室(2階)

図5

図5 日本室

 2階は、手前に図書室・会議室、その奥にも談話室(図4)が配されています。1階の談話室は、入口の近くに酒場とともに設けられ、入りやすいくつろぎの空間、2階は、ゆっくり読書や歓談などができる、落ち着いた空間とし、二つの談話室の性格が区別されています。同階には、炉を切った日本室(図5)も配されています。

●食堂(大食堂)●
 3階の大食堂(図6)は、吹き抜けにより、ゆったりとくつろいだ空間を実現しています。また、食堂前のホールにも吹き抜けが設けられ(図7)、この階全体がゆったりした空間となっています。

図6

図6 大食堂

図7

図7 大食堂前の吹き抜け

●大講堂●
 4階の大講堂(図8)には、舞台・控室が設けられ、講演会やダンスホールとしての使用も可能にしています。入口前広間の対面を、数段上げて廊下状の喫煙室が設けられ、広間の吹抜けが確保されています(図9)。

図8大講堂

図8 大講堂

図9喫煙室・吹抜け

図9 大講堂前の吹き抜け、喫煙室(右)

 このように電気倶楽部は、葛野が「クラブ建築の目的と設備に就いて」で示した、倶楽部の計画・設計論を実現したものと考えられるとともに、多くの吹き抜けを効果的に用いた、立体的な空間が実現されています。

●外観●
 外観のスクラッチタイル張り(図10)は、大阪倶楽部と共通すると指摘されていますが(注7)、凹凸による壁面構成、平滑な壁面の分割など、セセッション風意匠の真骨頂は、油絵や水彩画に秀でた技量で創作された、壁面のレリーフ(図11)や付加された文様などにあるのではないかと推察しています。

注7)酒井一光「中央電気倶楽部」(『大阪人』平成20年1月号)

図10外観

図10 外観

図11壁面のレリーフ

図11 壁面のレリーフ+

■閑話休題■
 外観のスクラッチタイルが大阪倶楽部と共通するとの指摘がありますが、内部空間は、吹き抜けを効果的に設けることによって、変化に富んだ立体空間が創出されている点は、大きな相違点といえます。
 論文「クラブ建築の目的と設備に就いて」は、葛野の倶楽部に対する計画・設計論で、これにより実現された電気倶楽部は、その集大成といえるでしょう。
 これまで、葛野の仕事を見てきましたが、様式建築もさることながら、セセッションを得意とする建築家であったと考えられます。さらに、蟹寺発電所の装飾を落とした意匠から、モダニズムに一歩近づいた建築家とみることもできます。戦後のモダニズムへたどり着く前に、逝去されたのが惜しまれます。

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