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解釈体について

ある記号が表現する意味について考えていた際に、解釈体という概念を用意する必要が出てまいりました。文字であれ、画像であれ、映像であれ、音声であれ、それらを記号の集合にマッピングできるとするならば、それらの記号から意味の集合に対してのマッピングも定義できるのではないかと考えていたのですが、そこで「そもそも意味の集合をどう定義すべきか」という問いに直面しました。しばらく考えた末、実は意味の集合を考える必要はなく、十分な大きさを持った記号の集合さえあれば(次元を設定する必要はあるかもしれませんが)、記号の集合同士のマッピング(この写像は解釈体によって異なる)を定義することで意味を表現できるのではないか?その方がむしろ適当ではないか?と思うようになりました。また必要であれば記号の集合内に閉じた演算も定義できると思われます。また線形性を保った写像についても重要な役割を果たしてくる可能性があります。

解釈体については、今のところ、上記の記号集合上に定義された演算と記号集合同士のマッピングの組と対応していると考えるのが妥当ではないでしょうか(記号体とマッピングの構造の組が解釈体を表現していると捉えるということになります)。解釈体という名前をつけているのは、将来的には、自然人とは異なる法的な存在も現れてくるだろうということを見越してのことです。

当然、解釈体の集合(演算と写像の組の集合)も考えることができるため、2つの解釈体間の距離を定義することで、現代における様々な分断(例えば、地球が球体かどうかについての意見など)に関する問題を定量的に扱うことが可能になるかもしれません。また記号集合には当然、「将来のイメージ」とみなせる記号も含まれているため、その記号から想起される(マッピングされている)像について観察することで、ある方策・施策・ビジョンについての好意度などについて定量的な調査結果を定義することができるかもしれません。

さらにもう一つ付け加えるとするなら、繰り返しになるかもしれませんが、記号というのは何かを代表して表現しているものであり、現実の代替物としても有用であるということです(もしかすると解釈体自体の行動や構造自体も記号集合に含まれるように定式化できるかもしれません)。またそこで鍵を握るのは自然言語の形式言語化と述語論理学を参考にした代数学的な枠組みでの定式化と思われます。時間についての取り扱いは少し懸念がありますが、おそらく形式言語の枠組み内で定義できると思われます。

最終的には記号集合は高々可算になると思っています。

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