フェミニズムの変化-なぜフェミニストが若年層に嫌われるようになったのか-

2021年11月に電通総研が実施した「男らしさに関する意識調査」の中で、男性は若年層ほどフェミニストを嫌う傾向があることがわかりました。

The Man Box:男らしさに関する意識調査 | 電通総研 (dentsu.com)

2. 若年男性ほど、「女性活躍を推進するような施策を支持」せず、「フェミニストが嫌い」

「女性活躍を推進するような施策を支持する」かどうかを尋ねたところ、「とてもそう思う」または「そう思う」と答えた人の割合は、すべての年代で過半数を占める。年代別に見ると、51~70歳が78.8%ともっとも高く、18~30歳は62.8%、31~50歳は61.6%という結果となった。また、「フェミニストが嫌い」かどうかを尋ねる質問に、「とてもそう思う」または「そう思う」と答えた人の割合は、18~30歳が42.8%ともっとも高く、31~50歳は39.1%、51~70歳は31.7%と、年齢が上がるほど低くなった。

電通総研コンパスvol.7 The Man Box:男らしさに関する意識調査
電通総研 The Man Box:男らしさに関する意識調査より

過去の調査結果がないため、「男性は年齢を重ねるほどフェミニストを受け入れる傾向がある」のか、「世代間でフェミニストの印象が異なる」のかは不明です。ただし、私は後者の「世代間でフェミニストの印象が異なる」が正だと考えています。
このNoteでは、後者である理由を説明したいと思います。

まず、権利には2種類あります。
「自由主義に基づく解放される権利」と「平等主義に基づく保護される権利」です。
端的に説明すると、自由を謳歌する強者プラスになる権利と、弱者が苦痛を取り除いて貰えるマイナスをゼロにする権利です。

そしてこの2つは相反する関係にあります。
好きな行動(自由)は違う結果(不平等)を生み、同じ結果(平等)を目指すと勝手な行動が障害(不自由)になるように、自由と平等は対立概念です。

例えば、奔放な性のあり方を望む自由主義者の女性にとっては売春する権利も当然あるべきと考え、女性保護を目的にした売春を禁ずる法律が邪魔に思えます。
一方で、性被害による苦痛をなくしたい平等主義者の女性にとっては売春を認める法律が許せず、女性には保護されるる法律こそ正とします。
昨今話題になったAV新法での対立も、このままの構図になっています。

同じ「権利」という言葉でも求める物が違うので解釈違いを起こし、更に自由を求めると平等が、平等を求めると自由が邪魔になり対立します。
それと同じようなことが、「女性の権利拡大」を掲げるフェミニズムにも生じます。
解釈違いの最たる例が「男女平等」です。

「平等とは弱者の権利と強者の義務であるから、弱者(多くは女性)の権利が男女平等である」
「男女が同じ権利と義務を有するのが男女平等である」

前者はイメージしにくい人も居るでしょうが、優先席や生活保護に類する考えです。
それぞれ自由主義と平等主義上の正論ですが、「一方の権利」と「同じの権利」と違う結論が生じます。
この2つの正論は同じ言葉を指しているのに解釈違いを生じさせてしまうのです。


そしてこのような解釈違いは、「女性の権利拡大」を目標にしているフェミニスト内部にも2つの解釈を生じさせ、同じスローガンを掲げながら実は真反対を目指しているような状況を生んでしまうのです。
なんなら、自由と平等のバランス感覚や、どの画面では自由ないし平等を優先させるかのような適用箇所の問題で、解釈は2つどころか人の数ほど分化し、対立してしまいます。
意外かもしれませんが、フェミニスト内部でもそのような対立がずっと続いているのです。

話は脱線しますが、この問題は男女間だけでなく権利が生じるあらゆる場面でも発生し、同じ「多様性」の話をしているのに噛み合わない解釈違いの問題も、表現の自由と女性の保護を掲げるフェミニズムとの対立も、この自由と平等が対立概念であることに端を発します。

この自由主義者と平等主義者の視点を持って、これまでのフェミニズムを振り返りると、主張の変遷が明らかになります。

フェミニズムは、第一波から四波まで、4つの時代に分けられます。

18世紀のフランスを端に発する第一波のフェミニズムは、女性の参政権の獲得を求めました。これは男性が持つ強者性を女性にも付与する運動で自由主義的フェミニズムでした。
私達の感覚では参政権は当然の権利でありマイナスをゼロにしたようにも思えるでしょうが、当時は男性も、平民も、貧民も権利を得たばかりで当然の権利ではありませんでした。日本でも1889年にようやく直接国税15円以上納める25歳以上の男子に選挙権を与えられたばかりの時代です。
当時の感覚では、参政権は強者の権利だったのです。
ですので、強者の権利を得ようとした彼女らは、自由主義的フェミニズムだったのです。

1950-60年頃に発生した第二波初期は、「女らしさ」が女性を縛るものとして性の役割からの解放を求めました。とりわけ、女性も男性と同じように働けるとの自信から、女性も多くの労働の自由を獲得し社会へ進出し始めます。
この頃のフェミニズムも、女性自身を自立できる強者にする自由主義的な運動でした。
また、中絶の権利をはじめとした女性特有の権利に関する主張が登場するのもこの頃です。中絶の権利は自由主義の最たるもので、明確に女性自身の自由意志が尊重されています。

しかし、第二派後期の1970年以降には平等主義の思想がフェミニズムに流入し、フェミニスト内で意見が分化し、内紛が発生します。
フェミニスト・セックス戦争と呼ばれる自由主義的に性の解放を目指すセックス・ポジティブ・フェミニズムと、平等主義的にポルノグラフィ撲滅運動を展開したラディカル・フェミニズムの対立が有名です。
また、自由と平等の立場から対立が顕著なのが、リベラルフェミニズムとマルクス主義フェミニズムです。女性個人の自由を最大限追求し強者となろうとするリベラルフェミニズムと、社会構造により弱者になった女性を救済しようとするマルクス主義フェミニズムは、個人と自由、社会と平等の観点から真っ向から対立します。マルクス主義フェミニストとして、「共に貧しくなろう」とされた日本の上野千鶴子さんも有名です。

1990年以降は第三波とされ、女性への暴力、人種や個人などを無視し多様性を欠いた第二波のフェミニズムへの批判が主になります。
引き続きフェミニスト内での混乱はあるものの、この時点でフェミニズムは、明確に「女性の保護」を掲げる平等主義者が主流になります。
しばしば第二波と第三波は対立軸で語られることがあり、第三波フェミニストのレベッカ・ウォーカーも「自分を第二波だと認識しているフェミニストと第三波を掲げるフェミニストの間にははっきりとした断絶がある。」としています。レベッカはその理由を「年齢では振り分けられない」としましたが、私には自由主義と平等主義の対立に思えます。

2010年以降の第四波は、SNSを使った運動をはじめとした問題へのアプローチ手法が過去のフェミニズムと異なるとされています。
主張の方針は第三波から大きく変化していないのではないでしょうか。


かつて自由主義者が主流であったフェミニズムは、1970-90年頃に平等主義者の参入し、今では平等主義者が主流になりました。
主流の変遷により、意見も解釈も変化しました。
かつて性の解放を求めたフェミニストは、今や女性の保護を求め性の制限を求めるようなったのはこのためです。

冒頭のアンケートに立ち返ると、フェミニストに好意的な50歳以上の男性が主に見ていたのは1970年頃の第二波の自由主義フェミニスト、またはその葛藤の最中にある総体としてはある意味バランス感覚のあるフェミニストです。
そして、フェミニストを嫌う30歳までの若い世代が見ているのは、1990年以降の平等主義フェミニストです。

私には、男性が世代によってフェミニストに異なる印象を抱くのは、見てきたフェミニストが違うからだと思えてなりません。

リベラルフェミニズムがそうであったように、自由主義フェミニズムは女性が強者を目指す思想であるが故に、いずれ女性も至る強者たる男性のあり様を必ずしも批判しません。
一方でマルクス主義フェミニズムに代表される平等主義フェミニズムは、女性を差別や暴力を受ける弱者と定義し、加害者で強者たる男性を非難します。
家父長制への批判も、自由主義フェミニズムは女性の自立を阻むと批判し、平等主義フェミニズムは女性を差別し抑圧するものと、違う理由で行っているように思えます。

男性の立場から、どちらが耳障りが悪いかは明白です。
男性と同じように権利と義務を負うと主張する女性と、加害者たる男性が弱者たる女性を保護する義務を負えと主張する女性のどちらを男性が応援したくなるかは問うまでもありません。

平等主義フェミニストが持つ負の側面を強調すると、女性が弱者たる正当性を主張するために被害を訴えるので他責的で、保護の性質から弱者の権利と他者の義務を訴えるので、義務を負わされる側の抵抗を受けるため主張を激化させます。
「不快なものを見ないで済む権利」に強い反発があるのも、他者の強力な義務だからです。「不快なものから目を背ける権利」であれば他者の義務は必要ないのですが、平等主義者には弱者に義務を負わせる状態では不足なのです。

また、平等主義の性質として、平等を成すために強者を抑えつける目的で個人を超える巨大な力、すなわち専制的な権力や単一の社会合意を欲します。そして、社会合意を弱める異なる意見を極端に嫌います。それ故に、共産/社会主義国家は単一的で抑圧的な傾向になります。
そして、だからこそ平等主義者による第四波フェミニズムもまた純度の高い社会合意を求め、異なる意見に対して苛烈に排他的になりキャンセルカルチャーを形成します。人権運動全体が、人種・性、果ては動物まで、弱者を守る平等主義に偏るほど、キャンセルカルチャーが蔓延するのは必然なのです。

SNS上で平等主義フェミニストを目にする若い世代は、そんな負の側面を毎日のように目の当たりにしています。
故に私には、若い世代が平等主義フェミニストを嫌っていると思えてならないのです。

あなたがもし「男女平等に賛成だがフェミニストは嫌い」と思っているのでしたら、何故嫌っているかを今一度考えてみてください。
自由と平等の代理戦争のいち戦場であるフェミニズム論争の中で、本当に嫌っているものが見えなくなってはいないでしょうか。
あなたが嫌っているのは、実はフェミニズムでなく、いきすぎた平等主義であるように思えてならないのです。


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