旅行く者の玄関(50)

明美は自由にを覚えた。それは母親の介護からの自由であり、地域社会からの脱却の自由でもあった。なぜか悲しくは無かった。枷が外れた軽さとも同じだった。
 明美は一夫や良太や高介や重美がこの自由をとっくに味わっていたことを思い至り、自分の鈍さに笑った。声を出して笑った。笑った後には、それでも後悔は起きなかった。自分で納得してやったことであり、その行為の価値には意味があるということは疑いはないのだからと、明美はうなづいた。昨日まで、いや先ほどのまでのことはもういいと母親の亡骸を見て思った。自分もこうなるのだという思いが浮かんだ。自分もいずれ動くなるのだ。それがなんの拒否反応もくすんなりと受け入れられたのは少し不思議な感覚だった。自分は変わっているのかもしれないと明美は、鏡の方を向いて確かめていた。ふと明美は自分が鏡の中の自分と思えること気づいた。まさに今の自分の人生は鏡の中にいた。いやずっと本当の自分は鏡の中にいたのかもしれない。鏡に写る自分は左右が反転しているように、今の心境は左右の思想が反転してしまっているのだ。どちらの自分が本当の自分ということではないと思った。時とともに人は変わる。ゆっくりと変わる時もあれば悟りを得たように思考が入れ替わる時もあるのだろうと明美は軽くうなづいた。それは下ろしていた錨に気づいて、錨を巻き上げて収容した時の船の自由さに似ていた。明美の船出は始まっていた。それまでの動かぬ羅針盤は終わった。進路は自由に決められる。風が強い嵐にも遭遇するだろう。進路を変えれば酷寒の極地にも行けよう、船は故障もするだろうし、難破が待っているかもしれないが、航海は始まったばかりだからと、明美は気楽さが先行していた。母親が死んだばかりということも忘れた明美は不謹慎にも充実感で満たされた。失ったものは何も無い。得たものも何もない。あるものは自分の心だと明美は気づいてきた。

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