旅行く者の玄関(55)

 一夫も高介も良太も重美もそれは同じだった。ただ、明美と彼等たちの違いは明美がづっと地元にいて、他の者たちは地元から他の都市に進学したということだ。そこで明美以外は、とんでもない事実に突きつけられた。それが核家族という言葉と実態だ。それは彼らが住んでいた言わば地域家族とも言える複数集合的家族集団とはかけ離れた存在だったのだ。今までと真逆の世界の現実と折り合う苦労は地域での生活のほぼすべてを隠すという結論にそれぞれが至った。示し合わせるではなく何と無く明美以外の四人が集まったときに、その衝撃の凄さを個々に話し合った。それは最初は深刻な話題となり、会を重ねるにつれて地域よりこちらの方が住みやすいということが判明するごとに、地域のしきたりは笑い話へと変化して来た。そこで問題になるのは明美のことだった。問題、というより心配であったのかもしれない。それそれが心配していたのは、明美の家族のことがあったからだ。母親は寝たきりであった。地域での対処は二つあったのだ。一つは最後まで面倒を見て看取ることであり、今一つは引導を渡すことであるのは過去からの習わしであった。つまり、役立たなくなった者は安楽死という方法をとっていたのだ。それでなにも問題無くなるし、発覚しても御上も何も咎められることはなかった。むしろ積極的に地域に貢献して問題を解決したことが喜ばれていた。官憲のご都合主義であるが、考えてみればそれで地域を手間なく統治できているのだから、難しい理論を振り回す必要もない至極シンプルな方法であった。統治する方も統治される方も納得づくの損得勘定だ。この地域独特の仕組か、他の地域にはまた似た別の統治システムがあるのか地域の者は知らないが、たぶん似た作用する何かがあると思っていた。なぜなら人間が考え出すシステムなんて飛び抜けて素晴らしいモノなど何も無いということだけは肌感覚で知っていた。問題があればそれに添った解決方法を見つけ出す。誰でも同じことだ。だがこの地域はもう少し違っていた。普通は問題があっても解決しなければ先送りをする。しかし、この地域のしきたりは問題の先送りはしない。力づくでも方法を見つけて解決するのだ。だからこそこの地域の結束は他と違い強く恐ろしく長く続いてきた。

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