旅行く者の玄関(54)

「何がおかしいの」
 明美は重美を観察して静かに言った。なにも責める口調でないのは、理解した。
「なにも笑ってないわよ。明美にはそう見えたかもしれなかったら、御免ね」
 明美はまた黙った。それが明美の流儀になっていた。何かを我慢することの利益みたいなことを明美は信じていた。それも古老から教わった一つかもしれないと明美は窓の外の木を見ながら思った。我慢し失うことによって何かを得ることは確かにあるが、それは世間的には大きな価値があることではないが、古老たちはそれを一つの価値として人生に組み込んでいた。その流れの結果として地域の自治が働いて、他からの干渉を許し難い力の源と形成されてきたと信じていた。それは恐ろしいことであるが正義としての機能をしっかりと支えてきた。たぶん、二百七十年ほどは経っていた。地域の自治はなんの不具合も無く現在まで支配し機能してきたのは驚きでもあるが、今それが最終段階に入って来てきていた。ただそれは数多ある幻の法典が幻のまま忘れさられた時と同じ因果を持っていたのだろう。
 支配とは、支配する方と支配を受け入れる理不尽さが法として成り立つことだ。打算という言葉に集約されてた。それは命させ軽いモノに変えてしまうのだ。我々は知っているが、それを誰も責めず、あまつさえ承認してきた。それが世界とか世間というものだと明美は繰り返し自分に言い聞かせ納得させ、それさえも忘れて普通の生活の中に繰り込まれて生きる法則となって異端を自覚していた。なんの問題も起こさずに生きる智恵として地域の掟は作用していた。地域のどこの誰でも同じように作用する定義であり法則であった。

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