旅行く者の玄関(48)

「ただいまぁ」
 明美はいつものように元気に帰宅を告げた。
「お早いお帰りで」
 と意識が途絶えた母親が言った気がした。空耳だがそう確かに聞こえた。それは母がまだ若い頃からの口癖でもあった。慌てて奥の母親の部屋に行った。目を静かに瞑り腹は微かに上下していた。
「大丈夫そうね」
 明美はここ数年変わらぬ母親の姿を見て思った。同じ姿なのにここ数年喜怒哀楽を心の中で母親にぶつけてた自分を思い出し、その姿を自分で哀れんだ。今日そんな感情が浮かんできたのは、地母神との一体感があったからだろうと、明美は目覚めた。
「もう大丈夫よ、お母さん」
 明美は拈華微笑を母にみせた。
 母親のお腹が少しいつもより大きく膨らんだ。まるで深呼吸をしたようだった。
「お母さん、どうしたの」
 明美の問いかけに十年ぶりに母親はうっすらと開けるはずの無い目を開けた。そしてゆっくりとまた目を閉じた。母の呼吸が止まったのを明美は悟った。明美はその事実を不思議とすんなりと受け入れた。人は自然に死ぬものだという事実を。

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