旅行く者の玄関(49)

「あっ、亮太。みんなをウチに集めて」
 ちょうど窓の外に良太が見えたので声をかけた。
「どうした」
 良太は明美の声の調子に怪訝な顔で勝手知ったる明美の家に入ってきた。
「お母さんよ」
 明美が母親をみてた。
「知っている。明美の母親だ」
「いえ知らないはずよ。死んだ母親を」
「とうとうやったのか」
 良太はびっくりして、明美の肩を抱えて目を覗き込んだ。
「相変わらず良太はバカねぇ」
「ならなんで死んだんだ」
「一応、これからかかりつけ医に電話して確認してもらうけど、自然死よ。私が看取ったの。とにかくこれから数日忙しくなるけどお手伝いお願いね」
「解った。そういう事情なら他人からもとやかく言われないだろう。特にこの地域の人間にはな。とりあえずみんなを呼んでくるとしよう」
 良太は大人の冷静さをみせた。それはどこか以前の覚悟のような思いがあったから落ち着いた行動をとれたのかもしれないし、まだ死が病院の外にもあった時代の自然さもあった。
「お願い」
 信頼関係のある仲間に難しい説明など今更いらない。必要として、必要とされていることがすべてなのだ。それはこの明美たちだけなくこの地域の全体がそうであった。掟でありしきたりであり日常の事としての当たり前の行動だ。秘密も祝儀も不祝儀も、生きるも死ぬも、怒りも悲しみも、みな一つの生命のように心が動くことを正義としてきた。この地域の世界に嵌ればすごく生き心地がいい。不慣れなら、大変に気持ちの悪い粘膜が身体中に張り付いて蠢くけだ。それは、集団として生きる獣とどこか似ているのだろう。リーダーが右を向けば全体が右をむく。左を向くのは外敵からの警護を託された配下だけだ。そうして、集団は集団としての体をなしてきた。何も理不尽ではない。そこに生きれる権利があるのだ。集団から外れば、また別の集団を見つけるしか無いが、集団をはみ出した者を受け入れる集団は野生の世界にあるのだろうか。あったとしたら、それはその集団より圧倒的な力の鼓舞を示さないとならない。できうるならどんな動物も戦いたくは無いだろう。だから犬や猫は家畜の道に進化したのかもしれない。明美たちの地域集団もまた同じだ。
 現在はその集団さえが消えかかろうとしている核家族の世界が新しく創造されたのだ。慣れないシステムに飲み込まれた多くの古老は無気力になり、新しい創造世界に胸をときめかせた若者は地域集団を離脱して都会へと向かっていった。失うものと手に入るモノの天秤は最初大きく揺れたが、やがて夢の都会へ傾斜が増した。さなぎが蝶になるというが、確かにそれまで地上しか知らないさなぎが空中の存在を知るときの革命的な体験と似ているのだろう。

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