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あの日本当にタイムカプセルを埋めたのか?【4】

最初から読む/マガジン→あの日本当にタイムカプセルを埋めたのか?

夜の小学校探索をした数日後

恵くんは小学校と掛け合って、隆夫、ヒデキとともに校舎内に潜入することに成功したらしい。有言実行だ。

「らしい」と言っているのは、オレがみんなと合流できなかったことを意味している。オレはたまたま母親の手術と入院の手続きが重なってしまった。また急ぎの原稿依頼が1本あって、小学校に駆けつけることができなかった。

恵くんに後日改めてお詫びのLINEを送ると、返信が来た。

真人くんに話したいことがあるんだけど…今日、17時以降ケータ母ちゃんの店に来れない?

小学校訪問の成果を聴きたかったオレは、ケータ母ちゃんの店に向かった。

店のドアを開ける。カランコロンとドアにつけてあるベルが鳴る。ケータ母ちゃんの「いらっしゃい」という元気な声がする。窓側の席に座っていた恵くんがすっと立ち上がった。

「お母さんが大変なのに、急に呼びつけちゃってごめんね!」
「いや、大丈夫だよ」
「この前の”小学校潜入”の結果をどうしても伝えたくて…」
「オレも聴きたかった」

席につくと、恵くんはうれしいのか早口で語り始めた。

まず、ヒデキが言っていた「司書室に資料がある説」…記憶に間違いはなく、恵くんが記念誌を作った時に探し出せなかった、小学校の歴史を紐解く様々な資料が眠っていたという。また、保管されている資料は大量にあり、すべてを確認するまで相当時間がかかるということだった。恵くんは、【タイムカプセル】が見つかるまではあきらめきれないと執念を燃やしており、PTA役員のチカラを最大限利用して、資料を納得するまで確認させてほしいと校長に交渉しつつ、これからも調査を続けるらしい。

「今回、開校100周年記念式典の式次第や、骨子案の資料が見つかったんだけど…これ、コピーとってきたやつ、見てよ」

恵くんが、コピーした資料を持ってきてくれた。オレはパラパラと目を通す。

「やっぱり【タイムカプセル】を埋めたかどうかについては、どこにも書いてなさそうだね」
「あと、隆夫くんがサワダ先生に怒られたという例の【穴】…職員室から中庭を見下ろしてみて、ここかなって場所が分かったんだけど…」
「簡単にほじくり返すことはできないもんなぁ」
「そうなんだよ…資料をいろいろ確認してみて、埋めた!っていうのがわかればこちらも校長に交渉してみようと思うんだ」

恵くんは、とても嬉しそうだ。ウキウキしている。

「恵くん、気合入ってるなぁ」
「だって、【タイムカプセル】に入れたメッセージ、ちゃんとみんなの元に届けたいじゃない。真人くんだってメッセージ観たいんじゃないの?」

オレは苦笑いし、正直な気持ちを伝える。

「オレは…【タイムカプセル】を埋めたのか知りたいだけ」
「やっぱり気になるんだ?」
「【タイムカプセル】のことを思い出すたびに、何か…心に引っ掛かるもんだよ…だから、【タイムカプセル】の行方が知りたいんだ」
「そうかぁ。やっぱり小説の題材にするだけあるね。昔【mixi】に発表していた【タイムカプセル】っていう物語、真人くんの実体験でしょ?」

【mixi】では、思い出話なんかを混ぜ込んで、作家としてのオレ…桜真実という架空の人物を作り上げいく実験をしていた。小説【タイムカプセル】もその一つ…【タイムカプセル】がきっかけで好きな女性に想いを伝える…というストーリー。恵くんは、この小説を【mixi】で読んで、桜真実という作家をオレだと特定したのだが…内容はほぼフィクションだった。

「申し訳ないんだけど…オレの書く小説は、ほとんどが空想だし。あの物語だって【タイムカプセル】を埋めた時の思い出をベースにはしたけどさ…実体験じゃないから…」

恵くんが驚いた顔をした。

「え…?!だって、あの話は…真人くんが好きだった【さくら先生】とのことじゃないか」

恵くんの突拍子もない言葉。
オレは、訊き返した。

「さくら…先生?」
「うん」
「オレが…好き…だった?先生?」
「え…」

恵くんは本当に心配そうな顔でオレの顔を見つめる。

「ちょっとやめてよ。よりによって真人くんが忘れるなんて嘘でしょ?」
「いや、嘘も何も…」

思い出せない。
恵くんの言う【さくら先生】が。

恵くんが、慌ててスマートフォンで撮った【スナップ写真のデータ】を表示させ、【さくら先生】の顔がわかるよう、ピンチアウトした。

「この先生だよ」

優しそうな笑顔の女性だ。年齢は、25、6歳といったくらいか。
ただ、オレはそのひとを全く思い出せない。

オレの学年は3クラスで、1組が小太りの男性教師ヨコヤマ先生、2組がオレのクラスのサワダ先生、3組はメガネのガリガリの男性教師でカリタ先生…ガリガリだからガリタって呼ばれてたけど…みんな男性教師で女性がいた記憶なんかない。

「オレたちの学年で、オンナの担任いたっけ?」
「僕たちの学年じゃなくて、下の学年を受け持ってた先生だよ」

恵くんとそんな話をしていると、そこにケータ母ちゃんがサービスでジュースを持ってきてくれた。

「二人ともよかったらどうぞ!思い出話に花が咲くわね~」

恵くんは咄嗟にスマートフォンの画面を見せながらケータ母ちゃんに質問した。

「ちょっとこの写真見てもらっていいですか?これ、この女の先生なんですけど、覚えてますよね?」

ケータ母ちゃんは、画面をじーっと見て答えた。

「ああ、さくら先生!さくら先生でしょ?」
「よかった。やっぱり覚えてますよね」

ケータ母ちゃんと恵くんは話を続けた。

「さくら先生はね、圭太の妹の担任だったのよぉ」
「はるかちゃん、さくら先生のクラスだったんですね」
「そうなのよぉ。お世話になったわぁ。あとさ、体育でうちの圭太が肉離れした時に、自分の担当する学年の子じゃないのにさぁ…私がお店離れられないもんだから、代わりに病院まで連れて行ってくれてねぇ。いい先生だったのよぉ」

話を聴いてその時の記憶が少しよみがえった。

「オレ、その圭太の肉離れ覚えてる。体育でサッカーやって、アニメのまねしてスライディングやりまくってて怪我した時だ」
「そうなのよ。圭太はサッカーバカだったから…」

ケータ母ちゃんは苦笑いして思い出話を続けた。
だが、オレの記憶の中に【さくら先生】の姿は出てこない。

「さくら先生、若いけど、学年全体の子たちから慕われるいい先生だったのよ。PTAでも当時人気でね。いい先生だったわぁ」
「そうですよねぇ。僕たちの間でも人気がありました!」
「でもねぇ…何かご事情ができて、あんたがたが卒業する3か月前くらいに、急に転勤しちゃったんだよねぇ…PTAでお礼の品をお渡ししたのよ」
「そうそう。その転勤の時、僕たちもいろいろプレゼントや手紙渡したりしました!先生の机の上が、みんなからのプレゼントであふれかえってたの思い出しますよ」

思い出話でもりあがる恵くんとケータ母ちゃん…でもオレは全くリアクションが取れない。

本当に思い出せないんだ。
恵くんは、そんなオレを心配そうに見ている。

「真人くん、本当に思い出せないの?あんなにさくら先生と仲良くしてたじゃない。ほら、一緒に写真撮ったりしたんだよ」

スマートフォンの画面をスワイプして、いくつか写真データを見せてくれる。そこには、幼いオレと【さくら先生】が笑顔で写っていた。

「オレ…だな…これは。で、この隣が【さくら先生】…」
「思い出さない?」

なんでだろうな?
オレ、こんなに笑顔で写ってるのに…
なぜ、なんにも思い出せないんだろう?
こめかみあたりが、じわっと痛くなり、汗がでる。

恵くんのスマートフォンの画面をじっと見ていると、突然着信音がなったので驚く。

画面には、「隆夫」の名前。

「びっくりした。隆夫から電話だ」
「仕事終わったら連絡欲しいって言っておいたんだ」

恵くんは電話に出る。

「あ、隆夫くん。仕事終わったの?いま?ケータ母ちゃんの店。真人くんも一緒だよ。今から来る?」

恵くんは、隆夫に店に来るように言って電話を切ると、その数十分後、店のドアが開き、隆夫が現れた。なにせ、店のすぐ近く、小学校の建て替え作業の現場監督をしているんだからすぐ来れる。

「おーっす」
「隆夫くん、今日も仕事お疲れ様。もうすぐ小学校の工事も終わりかな?」
「今月中には終わると思うけどね」

隆夫が席について、オレに訊ねた。

「めくるからこの前の”小学校潜入”の結果報告聞いた?」
「うん…」
「どうした?」

恵くんが先ほどまでのやり取りを隆夫に説明した。

「真人くん【さくら先生】のことまるっきり覚えてないっていうんだ」
「え…?」

こめかみのあたりが、また痛くなる。さっきよりもずっと激しい痛み。
背筋がざわざわする。なんなんだ、この感覚は。

「真人…顔色悪いな?熱でもあるのか?」

隆夫が咄嗟にオレの額に手を当てながら心配した。

「家まで送ってやるから支度しろ」
「え…」
「母ちゃんの入院手続きとか…いろいろあって疲れてんだ、お前は。おい、めくる、ちょっとここの会計立て替えて。ケータ母ちゃんから領収書もらっておいてくんない。後でLINE するから」
「いいよ!真人くん、大変なところごめんね。お大事にね」

ケータ母ちゃんの店を出て、小学校の駐車場に移動し、隆夫の車に乗り込む。隆夫はオレがあまりに顔色が悪いのが心配になって、店から連れ出してくれたようだった。隆夫に対しては昔からこういう「無言のやさしさ」を感じることがある。ありがたいことだ。

オレに気を遣うように、車はゆっくり走っていた。

「真人…母ちゃん、大丈夫なの?手術したんだろ」
「ああ…まぁ高齢だから心配っちゃ心配だけど…経過は順調みたいなんだ。入院手続きもしたし…たぶん大丈夫」
「じゃあ…東京に戻るのか?」
「急ぎの仕事も入ってきそうだし、明後日には戻る予定」
「そうか」

パン工場のほうへ向かって車を走らせていく。
しばしの沈黙の後、隆夫がボソッと話し出す。

「真人…めくるとどこまで話しした?」
「資料がたくさん見つかったけど、【タイムカプセル】のありかはまだわからないって言ってた」
「そうか」
「あと…隆夫が言ってた【穴】…なんとなく位置が分かったんだって?」
「ああ。でも、穴の位置が分かったところで…掘っても何も出てこないとおもうね。俺たちの記憶に残っているあの【タイムカプセル】を埋めた作業は、やっぱり見せかけだろうな。中身はどこかに保管してあると思う…最悪捨てちまったなんてこともあるかも…」

隆夫はやはり【タイムカプセル】は地中にないという考えのようだ。
オレもいろいろ考えてみたが、そんなような気がしてきていた。

そもそも埋めた後の記憶が抜け落ちていて全くない。埋めた当時の記憶が残っているだけで…

ただ、いまのオレは【タイムカプセル】より気になっていることがある…

「あと…さっき言ってた【さくら先生】の話…なんだけどさ…オレ全然…」

オレの話を遮るように隆夫は言った。

「卒業してからもう20年以上も経ってるんだぜ…先生たちのことなんか細かく覚えてるわけねえじゃん…まして違う学年のセンセーだしさ…」

自分の学年以外のことは覚えているわけがない…当時のできごとをうまく思い出せないオレに対して、隆夫なりに気遣ってくれているのかも…だが、オレは腑に落ちない。

「恵くんは覚えてるんだよ?隆夫だってその先生がいたことくらいは覚えてるんだろ?小学校の思い出の大半は覚えてるつもりだけど、オレ…全然…」

信号が、赤に変わる。
オレは隆夫に訊ねた。

「オレ、隆夫と同じクラスにいたよな?」

隆夫が、びっくりしてオレを見た。

「何言ってんだよ!馬鹿じゃねーの?お前と俺は1年から6年までずっと一緒のクラスだっただろうが…珍しいんだぞ!クラス替えあっても離れなかったのは!」

隆夫があまりにムキになるのでオレはすぐさま謝る。

「ごめんごめん…」
「真顔で何言い出すんだよ…やめてくれよ…」
「でもじゃあなんで、恵くんや隆夫、ケータ母ちゃんまでが覚えていることなのに…オレだけ思い出せないんだろう…?」

隆夫が、真剣な眼でオレを見つめる。
これまでオレに見せたことのない表情をした。



「思い出せないんじゃなくて、思い出したくないんじゃないのか?」



隆夫にそう言われてまた急にこめかみのあたりが痛くなった。思い出したくない…?鼓動が早くなる。言い知れぬ恐怖がオレを襲う。信号待ちの時間が長く感じる。

「それって…どういう意味?」

「お前が…」

信号が青になった。
隆夫は言いかけた言葉をしまって、車を走らせ始めた。

「え?」

オレが…?なんだ?

隆夫は前を向き、黙って運転していた。
しばらく沈黙した後、隆夫が口を開く。

「真人」
「なに?」
「明後日帰るんだったよな?」
「ああ」
「何時の飛行機?」
「20時30分」
「明後日、空港まで送っていくから、昼間、時間もらっていいか?」
「いいけど…何するの?」
「連れていきたいところがある」
「連れていく?」
「思い出したいんだろう?【さくら先生】のこと」
「いま、話せばいいじゃん…」
「いや、【さくら先生】の話はじめると、長くなるからな…」

隆夫は、そういってオレを実家へ送り届けるまで黙ってしまった。

実家についたオレは、疲れがどっと出てしまったのか、急激な眠気に襲われ、そのまま眠ってしまった。

オレが東京にもどる日

隆夫は、午前中にオレを迎えに来た。昼飯でも食おうということになり、オレと隆夫が中学・高校時代に通ったラーメン屋に向かう。

店構えが昔から変わっていない。年季の入った暖簾をくぐって店内へ進む。

「ここのラーメン屋、長く続いてるよなぁ」
「真人が東京に行った後、大将が体調崩して存続が危なかったんだけど…息子さんが店を引き継いで今に至っているらしい」
「ケータ母ちゃんの店と言い、変わらない場所があるっていうのはいいな」
「…そうだな」

オレたちは学生時代によく食べた【チャーシューメン・半チャーハンのセット】をたのんだ。食べながら自然と思い出話になる。

「隆夫、この店で”ジャンボ餃子チャレンジ”やったことあるよな?食べられたら飲食代全部無料、食いきれなかったら3000円払うやつ…」
「あれは…真人がやれっつーからやったんだろ…」
「結構余裕で食べきれててたよな。大将が慌ててた。あの時」
「そういうことは覚えてんのな?」
「だって、隆夫が涼しい顔で食べきっててかっこよかったからさ」
「そうか?」
「いまも食べきれるかね?」
「いや…あの時はサッカーやってて、アスリート体質だったから食っても食っても足りないくらいだったけど…いまも肉体労働してるとは言えもう無理だわ。若くないから」

隆夫と話していると、一緒に過ごした幼稚園、中学や高校時代の思い出はさらっと出てくるが、やはり小学6年の出来事が断片的にしか思い出せない。隆夫と思い出話をすることではっきりと記憶の【境界線】が分かってくる。隆夫もオレの記憶の【境界線】を感じ取っているようだ。

飯を食べ終わり、隆夫の車が向かったのは、俺たちの卒業した小学校から3kmくらい離れたところにある【紫陽花(あじさい)公園】だった。

この公園はサッカーができるグラウンドやテニスコートなど、スポーツ施設を完備している。小さいが池もある。池の周りには公園の名前のもととなっている紫陽花が植えられていて、見ごろの時期には絶好のフォトスポットになる。また、この公園はもともと丘で、その地形を生かした芝生広場と遊具コーナーがあり、丘の斜面を登りきると、公園周辺を眺めることができた。

「連れてきたかったのって、ここ?」

グラウンドに立った瞬間、とても懐かしい気分になる。

「小学6年の時、俺と真人はこの公園でサッカーの特訓をしていたんだけど…やっぱ覚えてないよな?」
「あ、いや…この公園に来てたことはなんとなく覚えてるんだ。ただ…なんで学区外のこの公園まで来てたんだっけ?」
「特訓してるところ、クラスのみんなに見られたら冷やかされるだろ」

無口で負けず嫌いの隆夫が考えそうなことだと、思った。

「サッカーの特訓って…オレ、隆夫の相手になれてたのかね?」
「ああ。ダッシュの時間計測とか、パス出しとか、良くやってもらったよ。あと、真人はどこで買ったんだかよくわかんないキングカズのなんたら入門っていう本を片手にさ、あーでもないこーでもないってテクニック指導してくれた」
「はは。小学生らしいな」

隆夫と話しながら何か思い出せるかと思ったけど、やっぱりほとんど覚えていない。気まずい。そんなオレをさりげなく気遣ってくれる隆夫の優しさが嬉しかった。オレと隆夫はグラウンドを横切り、丘を登っていく。

「この公園で…真人といろんな話をしたよ。勉強のこと、サッカーのこと、ファミコンの裏技のこと、将来のこと…あと【さくら先生】のことも」

ふいに【さくら先生】というワードを出されたので、ぞくっとする。

「真人…本当に【さくら先生】のこと、話して大丈夫か?」

隆夫が不安そうな目でオレをみる

「な、なんだよ…その前振りは…そのために今日この時間を作ったんだろ。話してくれよ」
「わかった。ただ、俺はお前にあまりショックを与えたくない」
「ショック?ショックを受けるようなことなのか?」
「とにかく、具合とか悪くなったらすぐ言えよ」

隆夫の過剰な心配がかえって怖い。どんな話をする気なのか。オレは少し構えた。こめかみが少しずきずきしてきた。肩が張っている。緊張しているんだろう。

「【さくら先生】は、俺たちが5年生の時に着任した先生だ。他の学年の担任だったから、俺はあんまり交流はなかったが…真人は3年生のころからずーっと図書委員やってただろ?」

隆夫は一呼吸おいて続けた。

「【さくら先生】は図書委員の担当だったんだ」

こめかみがびりっとした。

「俺は、特訓の日、真人を図書室に迎えに行っていた。図書室に入ると【さくら先生】がいつも笑顔で挨拶してくれてさ…その傍らで真人はくそ真面目に返却期限過ぎたやつの図書貸し出しカードをチェックしてた」
「その作業はなんとなく覚えてる」
「俺はその作業が終わるのをじっと待ってたわけ、いつも。真人と【さくら先生】はとっても仲がよさそうだった。真人は真面目に取り組んでいたから先生受けもよかったんだろうな」

こめかみのあたりの痛みに耐えながら、隆夫の話を聴くオレ。
ふっと頭の中にある光景が浮かんだ。

夕日の差し込む図書室。
放課後、本を探している子供たち。
カウンターで図書貸し出しカードをの整理をしている手…これはオレだ。
そしてその傍らにいる…大人の…女性の影…

隆夫はオレの様子を心配しながら話を続ける。

「ある日、いつものように図書室に真人を迎えに行った。【さくら先生】はいつも通り優しく挨拶してくれた…けど、真人はなんだか様子が変だった。この公園に来て特訓を始めても元気が無かった…」
「え…オレが?」
「そしたら、真人が急に泣きそうな顔で…俺に相談したいことがあるって言い出した」
「相談…?」

隆夫の話に全く覚えがない。オレは身構えた。

「【さくら先生】が好きなんだ」
「え?」
「どうしたらいいかわからなくて苦しいから教えてほしい…真人は俺にそう言った」

意外な内容にオレはびっくりした。

「さくら先生を好きになったオレが…隆夫に恋の相談をした…ってこと?」
「やっぱり覚えてなかったな」
「ああ…まったく…」

隆夫は続けた。

「俺、小学生のころ恋だの愛だの考えたことなかったし…どう答えたらいいか…全然わからなくて…でも真人があんまりつらそうな顔をするものだから、さ…小学生のちっちゃい脳みそですげー考えたんだよ。それで”真人、作文うまいんだから、手紙でも書いたらいいんじゃね?”って言ったんだ」
「手紙…?相談したの、いつ頃の話?」
「1993年の春」

隆夫がオレの顔色をうかがっている。

「そのあと、真人が本当にさくら先生に手紙書いたかどうか、俺はわからない。詮索するのも、気が引けたしな。ただ、その後も図書室で真人とさくら先生が楽しそうに話しているのを観てはいる。本当なら、真人がさくら先生を覚えていないなんてことは…考えられない…だけど…」

隆夫はオレに向き直った。

「1993年の夏休み…事件があった。その夏の日を境に、真人の”なにか”が変わってしまった」
「なにかが…変わった?」
「そうだ。あれは暑い日だった。いつもどおり、この公園でサッカーの練習をして……このベンチに腰を掛けて休憩していたんだ。あそこの建物、見えるよな?」

隆夫が道路の向こう側にある建物を指さした。ネオンサインが光っており【チャペル】と読める。所謂、ラブホテルだ。

「真人、下ネタ苦手だったろ?昔から」
「まぁ…得意ではない」
「あの日、俺、真人をからかって遊んでたのよ。あの建物は何する場所だか知ってる?って」
「なんだよそれ…でもオレ、小学生の時ちゃんとわかってたのかな…答えてた?」
「たぶんわかってたよ。顔が真っ赤になってた」
「なんて答えた?」
「愛をはぐくむ場所」
「…キザにもほどがある」
「そこに、ホテルからカップルが出てきた」
「へえ…」
「俺、大声で冷やかしてやろうと思ったんだよね」
「馬鹿な小学生の考えそうなことだな…」
「…でもやめた」

隆夫の表情が暗くなった。

「ホテルから出てきたの【さくら先生】だったんだ」

隆夫の言葉を聞いた瞬間、オレの鼓動がとてつもなく早くなった。記憶に残っていなかったはずの【さくら先生】への想いやその時渦巻いた愛情または憎悪が、胸のざわめきとともにドドッとオレの身体に流れ込み、襲いかかかってきた。金属音のような音が脳内に鳴り響く。それに合わせて脈拍がリズムをとる。いやな感覚に苛まれ足がすくみそうになるのを必死でこらえた。

「真人は、青ざめて、その場でしゃがみこんだ。やがて声にならない声で泣き始めた…俺は…俺はどうすることもできなくて、立ち尽くすしかできなかった…そばにいることしか…」

オレは隆夫の話を聴きながら、泣きじゃくるのオレの姿を思い浮かべた。

「そのあと…30分くらい経ったころ…真人は突然静かになって、何事もなかったように、すっと立った。もう遅いから帰ろうかって俺の手を取ったんだ。俺はそれ以上何も言えずに…いっしょに家に帰ったんだけど…真人はその日を境に、俺とここでサッカーの特訓をするのをやめた。そして、真人は俺にさくら先生の話をしなくなった。きっとあの夏の日のせいで、真人の中にある思い出の一部が”封じ込められている”のだと思って…だから俺は…」

「【さくら先生】を思い出せない…思い出さないのは…その出来事が原因…隆夫はそう考えてるんだな?」

隆夫は頷き、しばらく黙っていた。隆夫も少年のころに経験した「夏の日」の衝撃を思い出しているのかもしれなかった。オレは深く深呼吸をして気持ちを整えた。

隆夫がやっとの思いで口を開く。

「やっぱ止めといた方がよかった。ごめん」
「隆夫が気にしてどうするんだよ。思い出させてくれるって言ったの、隆夫だろ」
「そうだけど…嫌なこと思い出したろ…」
「生憎だが、その時の場面、思い出せなかったよ…ただ…その時に感じた”衝撃”とか”嫌な思い”だけが体の中に残ってるみたいだ」

隆夫の話を聴いて、何か思い出すかもしれないと構えていたが、思い出すのはその時の空気感や感情の渦だけで、肝心の【さくら先生】の姿は、浮かび上がらなかった。ただ、あの足がすくむような感情…相当重症だと思う。

「【さくら先生】を思い出すには、ものすごい衝撃のショック療法が必要なのかもな。無意識に、どこか深い深いところに押しやってるんだろう」
「真人…」
「その夏の日の出来事が関係あるっていう線で、ゆっくりいろいろ整理してみるわ。【タイムカプセル】の件もね。しかし、学校のマドンナみたいな先生が、学区外のラブホテルから出てくるのは衝撃的だよなぁ。ちょっとは俺の小説のネタになるかも…」

あまりにも隆夫が沈んでいるのでオレはちょっとおどけて見せた。

「教えてくれてありがとな、隆夫」

オレは礼をしたが、隆夫は気まずそうな顔で苦笑いするだけだった。そしてオレを空港に送り届けるまで、ずっと気を遣ってくれた。できた親友だ。

東京・羽田行き…20時30分。
飛行機の時間まであと1時間ある。
観光客でにぎわっているレストランやフードコートの喧騒を避けるように、オレは新千歳空港の展望デッキで、風に当たっていた。

【さくら先生】…初恋だったんだろうか…そして、オレ…余程好きだったのか…?

隆夫にはあえて言わなかったが…隆夫からラブホテル事件の話を聴いて渦巻いたあの感情…思い出して冷静に分析するならば、あれは「嫉妬」に似ていた。【さくら先生】の姿かたちは記憶になく、【さくら先生】に抱いた感情だけが体内に残っている…なんとも不思議な感覚だった。

仮説を立てよう。

もう一人のオレ=小説家・桜真実が書いた【タイムカプセル】という小説は、【さくら先生】とオレのことをモデルにしている……恵くんが言ったことを鵜呑みにするのならば…オレはあの夏の日のショックにより【さくら先生】の思い出を消失しているにもかかわらず、無意識に小説をアウトプットした…ということか。

いや、アウトプットできているならば、消失はしていない…やはりロックがかかっているだけ…もしくは一部破損している…のかもしれない。つまり実際の思い出はオレの記憶領域の奥底に残っている…はず…?

するとだ、【さくら先生】に関するデータをもっと取り込めば、意識的に削除したデータ…思い出の端々を修復し、最終的に小学6年生の時の記憶を復旧することはできるのでは。ハードディスクのデータ復旧をする要領で…

オレの書いた【タイムカプセル】って作品…
今一度読み返してみる必要があるな…

そんなことを大真面目に考えていると、スマートフォンに着信があった。
いまオレが一番世話になっている雑誌の編集者からだった。

「はい、佐倉ですが」
「お忙しいところすみません。いまお時間よろしいですか」
「大丈夫ですよ。どうしました?」
「先だってお願いしている新連載の小説の件でお電話したんですが…」
「ああ、はい」
「お返事のほう…いかがでしょうか?桜先生のこまやかな感性でつづる恋愛小説、きっと当たると思うんです。ギャラもはずみますし、お受けしていただけませんかねぇ?」

オレは、数秒悩んで、答えた。

「連載、お受けしますよ」
「やった!」
「ただ、ちょっと…」
「なにか問題でも?」

「気持ちの整理に時間をください」

2021年―オレ、40歳。

新千歳空港で受けた小説の執筆…その作品が当たり、小さな賞を取った。やっと小説家として軌道に乗ってきたと実感する。雑誌やネット記事のライティング依頼は続けていたが、以前のようにやみくもにこなす必要はなくなった。やっと小説に取り組めるようになってきたのだ。ただ、もともとオレはそんなに筆が早くない。連載は多忙を極めた。

そしていつしか、昔のメンバーは家庭第一となっており、近況報告を送りあうのみの状態。なかなか会える機会を作ることができなくなった。

隆夫は忙しさが災いしてか仕事人間となり、家庭を持たず建築会社のお偉いさん街道を歩みつつあるらしく、時々LINEをくれる。

恵くんはオレの新刊が発行されるたびに感想を送ってくれるし(本当にオレの作品のファンらしい…)小学校の【タイムカプセル】情報についてはかかさず連絡を入れてくれていた。

オレはあれからずっと、【タイムカプセル】のこと、【さくら先生】のことを失った記憶を取り戻そうと試行錯誤していたが、忙しさにかまけてこれといった解決の糸口はつかめぬままだった。

そんなある日、恵くんからグループLINEに1通のメッセージが届いた。

タイムカプセル、埋められていませんでした

(つづく)

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