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寂しくなかったのは、

親が転勤族だったので転々と引っ越した小学生時代。
友人が出来てもそこまで深い関係性ではなく、中学時代は幼馴染という存在に少し憧れた。
けど不思議と寂しさはなかった。弟がいたし、なんなら1人遊びも苦手ではないから、友人との別れも苦ではなく何も考えずに親についていった。

それでも、不思議と寂しくなかった理由を突き詰めていくと、恐らく、私にはポケモンたちがいたからだと思う。

アニメでポケモンを知り、弟が青をプレイしたのをきっかけに知りゲームの存在を知り、ゲームボーイアドバンスでクリスタルをプレイしたのが私の最初の旅だった。確か最初の1匹目はヒノアラシだったと思う。どんなポケモンたちと旅して、四天王まで漕ぎ着けたのかはすっかり忘れてしまった。なんだかんだでカイリューを育てていた気がする。ハクリューは可愛いし、カイリュー強いし。

毎年、テレビのCMで声優の山寺宏一さんがポケモンの映画の宣伝ナレーションをする時期になると「夏かぁ」って、言葉にはださないけど内心思いながら、スクリーンで困難に立ち向かうサトシとピカチュウ、仲間達と伝説のポケモンを眺めていた。

プレイしたゲームの中で1番記憶に残っているのは、サファイアな気がする。一緒に旅したのはアチャモで、まさかあんなイケメンに進化するとは思わなかった。ホウエン地方を旅し始めたぐらいから図鑑コンプにハマりだした。

ラティ兄弟主演の映画がきっかけで、いつかアルトマーレのモチーフになったヴェネツィアへ行きたい、と思ったキッズは私だけではないはずだ。それだけあの街は魅力的で、こころのしずくは神秘的だった。

「珍しいポケモンやるよ」と同級生のお兄さんから100Lv.のセレビィとか、色違いのミロカロスとかもらった記憶がある。あの時は素直に喜んでいたけど、今思えばバリバリの改造ポケモンだったのは今となってはいい思い出だ。残念ながらソフトは売ってしまったから、もう2度と会うことは叶わないけど。

そこからは毎年発売される新作のソフトが待ち遠しかった。次はどんな場所を、どんなポケモンたちと旅が出来るのだろうか?とドキドキしていた。

だけど、高校生辺りかそこらか、「ゲーム=子供用」という固定観念を抱いたせいで、ソフトもゲーム機も売ってしまった。
確かその時期辺りに、Twitterというものが広がり始めていた。暫くして、世界中の、いろんな価値観を抱いている人々の、日常だとか思考だとか、そういったものに触れている内に、少しずつ、ゲームを売った行為そのものが馬鹿馬鹿しくなった。

それでも暫くは離れて、ここ数年だろうか。
Switchが発売されて、新しく出たソードを、追加コンテンツが出た辺りぐらいでプレイし始めた。


もうね、ひたすらに楽しいんだ。

昔ほど阿保みたいに時間を費やして楽しむのには多少抵抗が出てきてしまったけど、それでも新しいパートナーと、新しいポケモンたちと、新しい土地で旅するのは、いくつになっても楽しいんだ。

親しい友達は出来なかったけど、スイッチを点けたらいつでも迎えてくれたポケモンたちがいてくれたから、それで私は十分だったよ。寂しくなかったよ。

これからも誰かの、そういう存在であってね。

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