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通信制は全日制に劣るという既成概念と、パラダイムシフトする未来

コロナ禍で時代が追いついた通信制の学校

コロナ以前の常識として、通信制の高校や通信制の大学は全日制に劣るという既成概念がありました。
多くの人の中に、通信制の高校は全日制に通えない劣等生のための高校、通信制の大学は全日制の大学と同等ではない、大人の趣味のような大学、そんなイメージが定着していたのではないでしょうか。
そんな中、昨年から始まったコロナ禍の中で学校が閉鎖され、高校や大学ではオンライ授業が常態化されたことは記憶に新しいことです。そのような社会状況となったことで、通信教育の新しい可能性が顕在化してきました。これまで世間の陰日向をさまよっていた通信制の学校がコロナ禍を堺にして、急きょ最先端の学校として認知されることになったのです。

コロナ禍によって、全日制の学校に通う子どもたちは初めてオンライでの授業を経験しました。もちろんそれは全日制の学校に勤務する教員としても同じことで、人生でほぼ初めてのオンライン授業を実施することになったのです。
しかしオンラインでの授業を受けたことも実施したこともない教員が、いざコロナ禍対応のためにオンラインで授業をしてくださいと言われたところで、まともな授業ができる訳がなかったのです。それでも世の先生方は必死にオンライン授業を実施しました。日本中の多くの生徒が感じたことは、オンライン授業の退屈さと虚無感だったのではないでしょうか? 
不慣れなオンライン授業で授業を受けたところで、理解度がなかなか深まらない。それになりより退屈だ。これならユーチューブで授業内容を検索して見たほうがよっぽど面白い授業がある、それに分かりやすい。そんなことに気づいてしまった生徒は相当数いることでしょう。

そこで注目されたのが、コロナ禍よりも遥か昔からオンライン授業を実施してきた通信制の学校だったのです。多くの通信制の学校は、長い間通信教育、つまり郵送での書面のやり取りによって教育を行ってきました。近年ではインターネットの普及に合わせるように、少しずつオンラインでの授業やテストの実施を模索してきました。初めはそのシステムもおぼつかないものでしたが、最近ではシステムも発展進化して、程よく使いやすく、そして便利になってきています。オンラインを使用した双方向授業も実験段階を経て、実用化していました。そんな陰日向をさまよっていた通信制の学校が、突如時代の最先端に躍り出たのです。

通信制ももしかしたらアリなんじゃないの

そして通信制の学校にこれまで見向きもしなかった、ごく普通の高校生や大学生はコロナ禍を経て、少数の先進的な生徒から気づき始めました。
「通信制もありなんじゃないの」
「クソ高い学費払ってオンラインの授業受けるぐらいなら、準国立の放送大学で2年間勉強して、3年次編入で全日制に入り直せばいいんじゃないの」
云々、、、2年にも及ぶコロナ禍で少しずつ皆の意識が変化しました。
多くの人が気づかない間に、インターネットの発達は通信制の学校で実施出来る教育の幅を大きく広げていたのです。そしてそれは全日制の学校の代替としてではなく、通信制だからできる教育を生み出しました。
図らずもコロナ禍に於いて、インターネットは教育の方法そのものを変える潜在能力を持つことを、世間に知らしめたのです。
これまでのインターネットが変えたものは多々あります。通信販売という買い物方法をこれほどまでに身近にしたのもインターネットです。インターネットのショッピングセンターが実際のショッピングセンターの存続を脅かすと、誰が考えていたでしょう? 音楽を聴くためにCDを買わなくなったのも、インターネットが変えたものの一つでしょう。20年前に青春を送った私達の世代は、十代の少年少女がCDを買わない未来が来ると想像していませんでした。
そのインターネットがとうとう教育を変えようとする時代に突入したのが、コロナ禍での一斉休校と、そこで実施されたオンライン授業でした。

イノベーションは気づかぬうちにやって来て、私たちの生活を変えてしまう

最近ではコンビニエンスストアの弁当が街の弁当屋よりも美味しいと感じることがありますが、私が子供の頃は弁当屋よりコンビニ弁当の方が美味しいとなど、考えられないことでした。
また、私が10代の頃のカメラはフィルムで、簡易カメラの写ルンですが旅行の必須アイテムでした。まさか携帯電話におまけ程度についてくるカメラの性能が向上して、いつの日かカメラを持ち歩くことがなくなるなんて考えもしませんでした。さらに運動会の必須アイテムだったビデオカメラさえも、携帯電話のムービー機能に代替されて、必要なくなる日がくるとは、とても考えられなかったのです。
そんな風に、革新的な技術革新、つまりイノベーションは知らずしらずの内にやってきて、最初はとても使い物にならないような性能に始まり、人々がおまけ程度のものだと考えているその陰で進化し、いつの間にか既存のアイテムの機能を凌駕して、ある日それを置き換えてしまうのです。
人類はこれまでにもそうやってイノベーションをたくさん経験してきました。
石炭から石油へ。井戸から水道へ。レコードからCDへ。
あらゆるものがイノベーションによって代替されてきたのです。それは現在進行形でも私たちの周辺で起きています。

少し長くなってしまったので、続きは次回に書きたいと思います。

次回は、

教育の未来はオンラインにある。

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