モホーとホマゲの話

はじめに

アマチュアとしてDTMを楽しむ上で、特に作曲や編曲の課程において悩んでいることのひとつに、意図して既存の曲のある部分を模倣することがアリかナシかというのがあったします。

そんな中、ここ最近(いまさら、、、)鬼滅の刃にハマってます。マンガ自体は今でも話題作は読むけど、ジャンプ漫画にハマったのはたぶん20年ぶりくらい。ほんとドラゴンボールぶりかもしれない。それ自体、自分でも驚いているけど、それと同時にこれまで読んできたマンガたちとの類似点を随所に感じて、、、

冒頭に書いた音楽制作過程における思いとリンクしちゃったりして。たぶん、なにかをクリエイトしている人は一度は考えたことのあるテーマじゃないかなぁと思うので、ある程度答えはあるのだけど、一回まとめてみたいなぁと。
ちなみに真面目なコラムを期待される方には先にお詫びしておきます。ロックンローラーに難しい事は書けません。

模倣の定義

模倣って言葉を国語辞書を引くと

模倣
[名]他のものをまねること。似せること。「人の作品を―する」
類語: まね 模擬(もぎ)
関連語:人まね(ひとまね) 猿まね(さるまね) 右へ倣え(みぎへならえ)

和英辞書だと

もほう 模倣
〈事〉 imitation; copying
〈まねた物〉 an imitation; a copy
〈まがい物〉 a fake; a sham
模倣するimitate 
copy 《from, after》
model after [on]
follow an example 《of》

なんかあまりいい感じがしない説明が並ぶ。。

まず、音楽サイドの話

自己紹介で書いたように、コロナ禍を契機としてSHUHARIとして活動することとなりこの半年で8曲を制作しました。
その前もバンドだったり個人制作だったりでちょいちょいと作曲活動しています。
全部趣味の範疇であり、仕事としてではありません。

なんらかのきっかけで数分の時間を頂いてSHUHARIの音楽を聴いてくれる人のために、そして自分自身のモチベーションを保つために、曲を追うごとに何かしらの成長をしたいし、いいものを作りたい、届けたいと思いながら活動しているという感じ。

制作はギター抱えて悶々としながら1曲ずつ丁寧に丁寧に作っているつもり。納期も責任もない最高に素敵な時間で、、なにも思いつかない日もあるけどそれは全然よくて、、なんだけど、たまにどっかで聴いたフレーズや展開やリズムパターン、その他もろもろを思いつく事があってその出所に気づいちゃったときは悩む悩む。しかもピタッとハマっちゃったりなんかしたりする。で、結局「これなんだったけな?」と思うときは採用して、「これは○○だ」ってはっきりわかったときはやっぱ削ったりしまったりする。
そこがラオウが山のフドウに対して引いた境界線みたいな感じ。

DTMerのプロの方々のコラムとか動画とかを見ていると、意図して模倣することを強く推奨している方がとても多い。個人的には、それはプロとしてやっていくための合理性や提供するサービスの質の担保が目的なのかなと思ったり。。(自分的には「大事なのはわかるけど、俺のは趣味だし、、、」という受け止め方)

でもそんなこんなで作ったものに対して、聴いてくれた人からは「〇〇っぽくて良いね」とか言われたりして、、褒められているから嬉しいけどパクってねえぞ俺は、ってひそかに思ったり。。

鬼滅の刃の話(本当にハマっているのでディスる意図はありません)

自分の鬼滅の刃における自分の立ち位置は、マーケティング用語でいえばレイトマジョリティかラガードなわけで、、、恥ずかしいからこのマンガ自体の説明は一切割愛 

たぶん同年代の人にはストレートに伝わると思うのだけど、この作品は典型的なジャンプ作品だと思う。まっすぐで純粋な主人公がつええやつと戦いながらズタボロになって強くなって、で、もっとつええやつが出てきてぎりぎりのところでやっつけていく。その過程で最初は敵っぽかったやつが味方になったり、新しい必殺技を覚えたり、、。仲間もひとくせも二癖もあるやつばかりってな具合。
ダメそうなやつがここぞというときにすごいことしたり。

キン肉マンや北斗の拳やキャプ翼や聖闘士星矢、ドラゴンボールで育った自分からすると、展開自体はいつもの通りだったりする。

うちのSHUHARIの相方は、善逸と伊之助はルパン3世の次元と五右衛門がモデルじゃないかなんて言っていたけどそれもそんな気がする

進撃の巨人の要素もあるようなないような気がする(連載時期は被っている?からこれは偶然かもしれないけど)

でもおもしろい。まんまとおもしろい。丹次郎がピンチになって死にかけると頭ではどうせ大丈夫だろとか思っても、まんまとドキドキするし、切り抜けるとまんまと喜んでる自分がいる。

パクってんじゃんとか全く思わない。むしろ、「キタ、ジャンプ」って思ってニヤッとする。

で、なんなのさ?

なにが言いたいかというと、作者の方はある程度意図して、そしてきっと過去のジャンプ作品を敬意をもって、その上で自分の想像力を加えて新しい作品に昇華させたんだろうと思うってこと。

少なくとも受け手である自分がそう感じたってことが大事で、「なんだよ、これただの物まねじゃん!」って思うのか、「素晴らしい作品だと思うのか」ってこと。

あと、元の作品を自分が知っていて、かつ取り入れようと考えたということは、それが魅力的で、当然多くの人を惹きつけるパワーのあるものだってことだから、それを自分の作品に取り入れるということは、へたくそがやれば自分のアイデアを食われてしまう。それを消化するだけのパワー(想像力、知識、技術)が自分にもないといけない。

ホマゲ

日本語だと、言葉として、模倣、物まね、引用、とかそんな言葉しかないけど、海の外にはhomageという便利な言葉があって、、ホマゲと読みm、、、、じゃなくてオマージュ。カタカナで書くと聞いたことあるやつ。

homage
オマージュとは、基本的には「既存の作品、人物、発言などに対して敬意を表する」ことであり、主に創作物においてそのような敬意を表明・表現することである。一般的には、既存作品の描写・セリフ・設定などを、引用する・まねる・似せる・匂わせる・彷彿とさせる、といった形で行われる。作中の小ネタではなく作品そのものがオマージュの性質を帯びているような作品は「オマージュ作品」と呼ばれることもある。オマージュは、作者自身が当該作品から影響を受け、敬意を払い、意図的にオマージュ的表現を行っていることが前提となっている。偶然の一致や類似、および、敬意を伴わない模倣(パクリ)などは、オマージュには該当しない。オマージュの語源はフランス語の hommage である。発音はほとんどカタカナ表記の「オマージュ」に近い(フランス語では語頭の h を発音しない)。基本的な語義は「尊敬」。英語では「homage」と表記される。英語の発音は、仏語のそれに近い場合もあるが、語頭の h を発音して「ハメジ」に近い発音にする場合が多い。

これ!これだよね、カタルシスきたね。フランスってやばい。
大学でフランス語を勉強した時、発音もしないのにhを表記する無駄が多い国だと思っていて申し訳ない気持ちになりました。
さすが、芸術の都は全集中・常中してるね。

英和辞書の説明の文字数が多いってことは、直訳できる日本語がないってことで、そのせいで日本人はもやもやするんでないのか。ホマる、を流行らせればいいんじゃないか。オマるだと、ちょっとトイレっぽいから。そう考えると無駄だと思っていた「h」にもちゃんと意味があるな。さすがフランス。おみそれしたっす。

自分にとってのホマゲ

少なくとも敬意のない模倣はしてきていないつもり。それは今回こうやってつらつらと駄文を書き進める中で再認識できたと思う。

一方で、自分の中の境界線が正しいのかについては少し見直した方がいいのかなと。出所がわかったとしてそのままは取り入れないように考え直したとしても、わざわざ全カットする必要はないんじゃないか、自分が納得できる形でアレンジしたらいいんじゃないか。自分の中に取り込まれてる知恵がひょっこりはんした時点でそれは自分にも使う権利があって、、で、それを聴いてくれた人がそこに気づいてくれたら嬉しいんじゃないかってそんな気持ちになりましたとさ。

あとがき

そもそも模倣ってなんだって考えているとき、例として書こうと思ったのがポッキーとトッポ。反対にしただけじゃんって。

でも、まてよ。。トッポはポッキーじゃなくてマルチョウと同じか(牛の小腸をひっくり返して脂を閉じ込めたものがマルチョウ)、、、きっとトッポの立案者は牛もつ鍋を食べてる時に閃いたんだ、じゃあいいのか!となって、いやでもまてよ、その製法は模倣しているじゃんってなって思考停止したので、ボツにしましたとさ。

おしまい。

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