TRPGでシナリオを書かなくていいこの時代に、私はなぜシナリオを書くのだ

 先に断っておくと、「シナリオ書きとしてのメンタリティ」なんて記事ではない。しかしひとりの書き手としての心情並びに信条を綴った。
 私は最近ようやく大海を知った。それはネットの海というあまりにも大きな海だった。
 インターネットに潜ればTRPGのシナリオは有償・無償、プロ・アマチュア問わず濡れ手で粟をつかみ取るようにいくらでも良質なシナリオが見つかる。
 物語の完成度として、ボリュームとして、ネットシナリオは私のそれと比べるのもおこがましいほど素晴らしいものばかりだ。
 それらを目の当たりにし正気を削り続けてなお、シナリオ書きとしての半端な矜持を捨てずにいられない。

 どこにでもいるであろう物書きAとしての苦悩と等身大のチラ裏記事だ。
 そしてここもまたネットの海。私の駄文と思いに大層な価値があるとは私自身は思えないが、それは読み手が決めることである。
 悩める御仁がここに迷い込んだ際、他山の石として何かしらの役に立てばと思い、書き残す。
 途中から分析のようになっているが、まぁどのみちチラ裏である。参考になればヨシ、ならなければ仕方なし。
 最後は自身(というか書き手)へのテンション高い激励もある。徹夜で意味分からんなってきた文章だ。思い返しても意味分からんけどちょっと元気にはなれる。


「全員が笑顔になった」なら優勝。それらはPC・PLの活躍する場面の積み重ね
しかしTRPG環境の変化もあり、「それだけではだめなのでは」と焦ってしまう

 TRPGのセッションにおいて最終目標は、「参加者全員が楽しむこと」だ。
 どんなシナリオであれ、「PLに楽しいと思ってもらえて、GMも笑顔になった」なら、それは最高の終わりだ。
 自作シナリオだろうが、超大作の有償シナリオだろうが、そこに一切の貴賤はない
 「楽しかった」「面白かった」終わった後にPLがそう言ったら、それは最高のセッションだったことを意味する。
 TRPGは結果よりも過程を楽しむものではなかろうかと、常々筆者は思っている。
 宝箱の鍵を開けられたとか、敵を倒せたとか、依頼人から感謝されたとか、あるいはボスとの熱い掛け合いができたとか。
 そういう小さな積み重ねが楽しみに繋がる。少なくとも、繋がってくれたらなと、大なり小なりPCみんなに活躍の場面を、書き手としてたくさん用意する。
 無論、「PCやPLが介在できない・する必要がないシナリオはダメ」だろう。
 どんな平凡だっていい、PCやPLが能動的に話に関われればシナリオとしては十分以上の水準に達すると筆者は考えていつも書いている。
 筆者はファンタジー系のシステムを良くやっている。現状、私以外は99割がCoCという逆境ではあるが、おそらくこちらが思っている以上にPLは楽しんでくれている。
 逆を言えば、GMとして話を凝ろう凝ろうとしてしまうが、そこまで凝る必要もないと言える。
 意地ゆえに凝ってしまうけども。それでシナリオ完成が結構ギリギリになるけども、良く言えば矜持、率直に言って意地。

 いま、ここまで書いた内容に間違いはないと思う。しかしTRPGを取り巻く環境は大きく変化を遂げている。
 日本のTRPGにおいて今2つの触れ方があると思う。
 1つは「卓に参加して/主催して遊ぶ」というもの。大抵の卓ではGMがシナリオを用意する。自作であるなし関わらず、ただ「卓で誰かと遊ぶ」というクローズドなものだ。
 もう1つは「有償/頒布シナリオを通じたソーシャルなつながりや遊び方」だ。


TRPG≒CoCという絶対的な分母。多数の良質で個性的な頒布/有償シナリオの台頭。それを通じたソーシャルな遊び方。
それらと向き合った上での、自作シナリオの強みと、焦り

 筆者は環境の変化に伴い、今はCoCの有償/頒布シナリオを購入しそれを主催する方々とご一緒させて頂いている。
 そのため否が応でも、「秀逸な有償/頒布シナリオと自作シナリオは無意識・意識的に比べて生きていかねばならない」状況にある。自身の粗を見つめる日々だ。
 正直勝てる要素はない。ボリュームや面白さは勿論、公開しないのなら自作シナリオというのは後述する「ソーシャルなつながり」の種にもならない。
 書き手のエゴと意地で自作シナリオに付き合わせるのは果たして良いことなのだろうかと、文字通り毎晩自問する日々だ。

 だがそれでもなお「楽しませようとするシナリオは最高」だ。つまるところ、シナリオというのはそれだけで最高なのだ。
 自作だろうが、有償のシナリオだろうが、面白いに違いはない。
 書き手として、拙作のシナリオはどうしても他のシナリオに劣ると感じざるを得ない。だが、自作にもかなり良い特徴がある。
 それはPCの設定を拾いやすいということだ。これは明確な強みであり、詳しくは次の項目で詳述している。

 しかしそれでもなお自作シナリオの対抗馬となる有償/頒布シナリオたちは強い。
 筆者は多少システムこそ持っているが最も遊ばれているCoCはいずれの版も持っていないし、CoCのプレイ経験も少ない。その上、有償/頒布シナリオ、動画文化やオンラインでのプレイ/リプレイの配信なども詳しくはない。 

 ただそれでも言えるのは「ソーシャルメディアが広まった現在、最も良く見るシステムはCoC」であり、「シナリオは買って/DLして遊ぶという方も非常に多い」うえ、「それら著名な有償/頒布シナリオを通じたソーシャルなつながりという楽しみまである」ということだと思う。

 要は、「そのシナリオを時間と金を使いプレイし、SNSや動画/配信サイトでそれらの話をする、あるいは未経験者にはプレイしてもらう」という循環ができている。少なくとも、一定以上そう言った文化を見受ける。
 昨今のe-sportsなど同様、ストリーマーやVTuberとプレイヤーを繋ぐ架け橋というのが有償/頒布シナリオだと筆者は思っている。

 お名前を出すのは控えさせて頂くが、とある方が年末にTRPGの頒布シナリオを当てるクイズみたいなものを配信していらっしゃったが、その配信は2024年2月現在5.5万再生されている。TRPGのセッションを配信したプレイリストに至ってはアーカイブが160を超える。
 その方が大変人気というのもあるだろうが、年末というかき入れ時にTRPGの話をしてそれだけの人数がくるというのが、どれだけTRPGとソーシャルが浅からぬ繋がりを持っているかの証左ではないだろうか。
 そして、そういったTRPGの話において大半、なんならほとんどがCoCだ。次点で多いのはエモクロアだろう。
 
 そして彼らがプレイするのは有償/頒布シナリオなわけだが、そんなシナリオたちと筆者の自作シナリオを比べてみよう。
 すべてにおいて勝てる気はしない。無論公開していなければソーシャルなつながりにもならない。
 そのうえ(少なくとも筆者の環境においては)、システムがCoCではないというだけで、参加者に優しくないのがとても大きな懸念点だ。
 TRPGは様々なシステムがある。そのどれもに魅力的なシステムであり、同様に魅力的な世界観を持つ。
 しかし裏を返せば「各世界観で遊ぶためには各システムになれる必要があった」わけだ。

 その点で言えば、見聞きした中でではあるが、CoCはあまりにも万能なシステムだ。おそらくCoCを参考にしただろうエモクロアも同様だ。
 現実世界を舞台としており汎用性が高い。そうでない世界設定ももちろん可能。あらゆる世界設定を受け入れる万能の器だ。
 そして判定システムが下方判定のため直感的なのだ。技能=成功率と分かりやすい。
 柔軟な世界設定はあらゆるシナリオやジャンルを受け入れる。それに元々ユーザーの分母はCoCに軍配が上がっていた。ネットとソーシャルメディアの発達に伴い、シナリオは書かずとも良質なものが手に入り、それは世界観すら兼ねている。
 寡占状況になったのは当然と言える。ネットの発達に伴い、ストリーマーや配信者、著名プレイヤーの影響力は当然大きくなる。

 このソーシャルなTRPGの楽しみ方というのは、一種のミステリ小説の楽しみ方のようだと筆者は感じている。
 当然、ネタバレというのは十分以上に配慮していらっしゃる方が多い。その上、「通過/未通過」という概念もあるようだ。これらは「プレイ済/未プレイ」の別名でもある。
 ある有名な書き手が良いシナリオを発表する。それらは歓迎を持って迎え入れらる。当然その良質なシナリオを話したくなるだろう。そうなると「未経験者にはネタバレをしないようにしよう」となるし「プレイしてないならぜひ面白いからやってほしい」と勧誘する。
 またGM(CoCでいうところのKP)はシナリオを把握せねばならず、場合によっては「プレイしてないのに内容を見なければならない=主催するならPLとしての未通過プレイを諦めなければならない」ということも出てくる。

 ……まぁ長々と書いてみたが、つまるところ、上記のような「個性的な経験をさせてもらえるシナリオとそれを介したソーシャルな楽しみ方のできる有償/頒布シナリオを意識してしまうと、書き手としては委縮すらしてしまう」ということだ。
 少なくとも私は委縮している。空白期間も長いが、15年超の間、ほぼ自作シナリオだけでGM専として生きてきた人間が、である。
 周囲のプレイヤー曰く、私の持つシナリオを書きあげる能力というのは得難い能力だと言ってくれる。それはきっとそうなのだろう。ありがたいことだ。
 だが書き手≒主催である以上、シナリオというのはなければ話が進まない。自作すると決めている以上、シナリオを書きあげるのはあって当然のように思う。
 さらに「自作シナリオが有償/頒布シナリオに比べて陳腐であること」は別問題である。
 だが、「陳腐なシナリオだろうと、PLたちに楽しいを提供できたなら最高の終わり」なのは疑いようがない。
 ただ、人が一生に触れられるコンテンツには限界がある。特段差別化などを意識する必要はないとは思うが、自作シナリオに誘うということは有償/頒布シナリオを、ひいてはソーシャルな楽しみに繋がるもののプレイ機会を奪うことかもしれないという怯えが付きまとう。
 公開シナリオではないため共通の話題にはならず(仮に公開しても話題にはならないと思うが…)、システムもCoCではないというオーバーヘッドをPLに押し付けているのではないか。
 私は、半端なエゴとナルシズムのために参加者を呼び込んでいるのではないだろうか。
 そうならないように、いつもシナリオは気にかけてはいるが、いつそうなってもおかしくないのかもしれない。


自作シナリオは設定の拾いやすさがとても強いし、CoC流行ってる昨今逆にバトル・ファンタジーシステムはPLに新鮮な楽しさを提供できる

 だが、有償/頒布シナリオにはひとつ大きな制限がある。
 見聞きした中での印象ではあるが、「原則シナリオに書いてある通りに勧めなければならない」という点だ。
 これは強みでもあるのだが「話が先でPCはHOなどに倣う形で作る」方式だ。話の面白さがあるからこそ、有償での頒布や販売をしてなお高評価を得ているということでもある。筆者には真似できない書き方だ。
 NGというほどでもないだろうが、一部だろうと改変をしないように皆さんプレイしているように感じる。
 そりゃ、みんなと話をする時に「何それ知らない」なんてことがあるのは好ましくないだろうし、そもそもこの人のシナリオ良いなと感じて買ったのだ。一部であれ変更は望ましくないのだろう。
 
 つまりは、PCやPLたちの設定や言動を柔軟に拾い、シナリオに反映させられるのはそういう制限のない自作シナリオの特権だ。
 筆者は良く卓を主催した時は「話はぼんやりとだけ考えておいて、実際の肉付けはPCの提出が終わった後」という書き方をする。
 肉付けの際にPCの設定を出せそうなら出すし、PLに要望を聞いておいてそれが叶えられそうなら用意する。二次創作みたいなものだと思っている。
 またシステムがCoCでなくても、むしろそれらはメリットにもなる。
 特にファンタジー系の戦闘メインのシステムなら「PLへの安定行動がおすすめしやすい」し、「PCの設定にも幅が持たせやすいから楽しい」のも特徴だろう。
 
 私はキャラクターの設定は凝って作るし、スキルやデータなどは「キャラの経験からくる能力の再現」だと思ってプレイしている。こういったプレイヤーは設定や過去などを拾われるのを嬉しく思う傾向にあると思う。
 無論、PCと設定は不可分なので、取り扱う際は注意が必要ではあるが、設定を出されて嬉しく思う人は多いのではなかろうか。
 実際、筆者の今受け持っているキャンペーンは、「こんなに設定が出てくるなんて」と、ありがたいことに大変好評をいただいている。

 また、逆転の強みではあるのだが、「CoCやエモクロアではないというだけで、その卓はある意味稀有な経験ができる」ということもある。特にファンタジーやバトルに重きを置いたシステムがこの傾向にあるよう感じる
 日本においてCoCがシステムとしてとてつもない存在感を発揮している以上、そうでないシステムはもはや珍しいとすら言ってもいいかもしれない。
 固有の世界観があり、成長ができ、明確にPCに特技やスキルといったデータでのPCの表現ができるのは、ファンタジー世界や戦闘に重きが置かれているシステムの特徴だ。

 しかし翻って言えばデータの膨大さや管理するルールやリソースが多く大変でもあるのだが……。
 筆者は厳密に運用しようとして初回セッションであまりにやらかしてしまったのを今でも覚えている。
 面倒なデータやルールは適宜簡易化しやるのが一番だ。ルールのせいで楽しくないならそのルールはいらないのだ。今思い返しても、改訂版の前の2.0を本当にメートル管理しようとしたのは失敗だった。しかも初回セッション。
 筆者はルールの簡易化はよくやる。基本的にプレイヤーがルールブックを持っていない卓しか経験しかしてこなかった。これからも卓参加の条件にルルブの所持を掲げることはない。ルールブックも安くないし、買ったとしても読み込むのは大変だからだ。
 GMには非常に、非常に大きな裁量権が与えられる。それはルールブックよりも優越すると概ね書かれているし、そう私は思っている。よってPLの負担になると思ったルールは簡略化/省略することにしている。

 あと1つ、これらファンタジーや戦闘メインシステムにはある特徴がある。
 戦闘が特色だと言ったが、メインディッシュである戦闘は最低保証の行動が担保されているということだ。
 CoCやエモクロアを数度プレイさせてもらった際に感じたのは「何をすべきか分からない、何かをしたとしてそれが良かったのか分からないという不安感」だった。すべてのシナリオがそうではないのだろうけども。
 自分の経験のなさが露呈している、という恥ずかしい限りの感想ではあるが、探索や謎解きメインゆえにマスターから何かを提案しにくいのだろうと感じた。
 だが戦闘システムの戦闘においてはこれが置きにくいと筆者は思っている。
 戦闘系で武器を用いた攻撃、おすすめ魔法の行使というのはシステムで保証された安定行動だと解釈している。最適解以外を選択したとしても勝てるような調整こそ、初心者のいる卓での最適解と思っていつも調整している。
 探索パートでも積極的に「~するならこれこれで振ってください」「この部屋だとこういう行動ができますね、どれにします?」という提案がしやすい。
 これらは戦闘システムがあるからこその安定行動ではないだろうか。

 CoCで難しく感じたのは、探索や謎解きが主となるためか「こういう状況や場所です。”なにをしますか”」と訊かれた印象が強い。言い換えれば「”何の技能を用いてどこに何をしますか」ということだと解釈している。
 使用する技能が多く、その選別がPLに委ねられており、振り直しがしにくいという点だ。下方判定でシンプルな分、技能がシンプルに多く当初困惑した。
 勿論何度かKPからの使用技能の提案はあった。だが、凝っているからか、ベストエンディングの為には自らとある物品を見つけなければならず、そういった判定はPlの気づきに委ねられているという印象だった。
 もしかしたら、これは偶然そう言ったシナリオやマスタリングだったのかもしれないが。

 そしてルールブックに記載がないのか、振り直しというものに大変皆さん苦心していらっしゃるようだ。以前某Xではセッション中に振り直しが1度だけ行える代わりに変な設定がPCに付与されるというハウスルールがウケていた。
 逆にSWやD&Dもそうだが、このあたりは振り直しを明確にルールで定義している。CoCで振り直しがしにくいのだとして、それは下方判定も相まって難しくしているのだろう。
 下方判定自体は分かりやすいけども、KPからの修正を一切考えなければステータスが低すぎると困るし、高すぎるとなんでもできてしまうという極端さを内包するシステムだと思う。
 一時期ニコニコで技能が100だからなんでもできるとんでもねぇCoCが流行っていたのも、突拍子の無さもあるだろうが、下方判定がそれを担保としていたからのように感じる。
 というか今でも見るなぁそういう突拍子の無いやつ(別にそれが良い悪いではないが)。

 一方こちらは難易度は考えなければいけないが、使う能力値はそこまで多くないし一つの能力値で複数のことが対応しているというフレキシブルさはある。
 そういった意味ではエモクロアのシステムは中々面白いなと書いていて思った次第。ちょっと複雑だけども。


結局やることは変わらない。PLの楽しんでもらえるようにPCの出番を作り、物語を綴ること。

 結局やることは変わらない。今も昔も、受け持った卓の為にやることは変わらないだろう。
 しかしそれでもひとりの書き手としてどうしても苦悩してしまう。
 使用システムが環境に迎合できないこと。
 ただでさえ時間を奪う趣味のうえに、そのPLたちの貴重な時間を拙い自作シナリオで大作シナリオたちと椅子取りゲームをしなければならないこと。
 ありがたく時間を頂戴して、楽しかったと言ってもらえてなお、果たして彼らが大作シナリオや有償/頒布シナリオをやる時間を奪ってまでやる内容だったのかと常に苦悩しなければならないこと。

 けれど、GMとして苦悩することと、プレイヤーの楽しさには何も関係がない。
 けども、書き手である以上は悩んでしまうのは仕方のない。

 だから俺たちは「変わらずPCとPLに寄り添って楽しんでもらえ、俺たちも楽しいシナリオを書きあげる」しかない。
 それでも気になってしまう。それは仕方ない。なら「自分のために技術を身につけ、凝ったシナリオ、世界観を描写できるようになる必要が出てくるかもしれない」。
 また「継続的にシナリオを書いて、それを公開することすら必要なのかもしれない」。

 今こうやって書いている最中も悩んでいる。この内容が正しいのか、昨晩やったセッションは楽しかったろうか。前にやったセッションではここをこうしたほうが良かったとか。
 だって対抗馬が素材たっぷり時間もボリューミーの独自性があって配信者やユーザーたちから高評価されてる「もはや名作推理小説」なんだぜ!?
 それがウン十、ウン百!?!!しかもTALT様だとCoCは旧版新版でタブが分かれるくらい人気なんだぜ!!!!
 気だって狂うよなぁ!!!!!!

 けどなぁ!!!!シナリオ書こうなんて思った時点でそもそも良い意味で狂ってんだ!!!!それを今も続けてるなら余計よ!!!!!
 なら俺にできるのは今まで通り「できねぇできねぇ、できるようになりてぇ」って苦しむことだけだぜ!!!!
 思い出してみろよ!!!!!!!今も含めて書いてて苦しくねぇことなんてあったか!!!?!?!?!ねぇよなぁ!?!?!
 そんで狂って苦しんで楽しくって面白くってめんどくさくって書いてきて今があんだよ!!!この今は昔の俺が死ぬほど欲しかった未来だぜ!!!なら欲しがってる未来を今に持ってくるだけだろうがよ!!!!
 有償/頒布シナリオのボリュームが凄い?羨ましい?なら俺も書くんだよ!!!!書け!!!!!!というか今書いてるキャンペーンも同じくらいになんだろうが!!!!
 話が凝ってて凄い?なら今まで培ってきた全部で書け!!!!そんで足りねぇなら入力と出力あるいはどっちもが足んねぇんだ!!!!もっと見て読んでもっと書こうぜ!!!!!!
 オープンじゃない自作シナリオだからって半分言い訳しちまうならいっそ公開しちまおうぜ!!!!!!!!!同じ土俵に上がって相撲を取れ!!!!!!!どうせ今も一人相撲してんだガハハ!!!!!

 できなくてもいい。今まで通りでもいい。でも俺は今までそうやって適当ながらもやってきた。気づくのが遅れただけだ。
 でもそうやって適当でもやってこれたんだ!!!!ならこんだけ悩んでてできてねぇ理由はねぇよな!?ぶつかって、乗り越えられねぇはずはねぇ!!!!
 読者の諸氏にだってできる!!!!!!できるって言い方はやっぱ好きじゃねぇから言い直すと、俺は読んでる人を信じてる!!!!俺が俺の今までを信じてるのと同じくらい、あなたたちの中にある今までと、そしてこれから向かうであろうこれからを信じてあげてくれ!!!!
 だってこんなに創造的な趣味で、しかもなんだって作れちゃう書き手≒GMっていうポジションやってるんだぜ!?できねぇはずがねぇ!!!!
 一気に全部は勿論できねぇ。けど1行でいい、1文字でいい。書くんだ。
 書くのに10時間かかったシナリオがあったとしようぜ。これは1度に10時間かけたんじゃねぇ、1分を、10分を、あるいは10秒を何回も重ねて至ったシナリオなんだぜ。推敲だってしたろうさ、書き直しだってしたろうさ。
 けどプレイヤーやキャラクターを思って考えたシナリオが面白くねぇはずねぇだろ!!!!!
 未来は俺たちの手の中にあるんだ。
 最後に、俺の好きな歌詞を一部引用させて頂く。

「キミの夢が叶うのは誰かのおかげじゃないぜ。風の強い日を選んで走ってきた。」

https://youtu.be/f92VWkYl8CI?si=YAS3uGyUiEmL20q6

 徹夜してもう朝どころか昼じゃねーか!!!!!!!!!!!!
 でもちょっとすっきりした。

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