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縮退を進める人が縮退に抗うのを助ける仕事で稼ぐ人の仕事を補助して稼ぐ

「自分に正直に生きろ」
「本当の自分を生きろ」

という言葉や、我々の欲望の尻尾をがっちりつかんだ企業の思惑によって、我々はかつてないくらい短期的・利己的な思考の人ばかりの社会を生きている、のかもしれません。

こういう傾向を『現代経済学の直感的方法』では「縮退」と言っていましたし『サル化する世界』ではサル化と呼んでいました。

どちらの本でも、人間の視野が短期的・利己的になるのを防ぐ社会の方を良しとして扱っています。僕が呼んだ哲学入門系の本を見る限りでも、短期的・利己的な人に陥らない人間の方を善いとしていた感じがします。

『現代経済学の直感的方法』では資本主義というシステムがそれを促しているんだと説明していました。


短期的・利己的を促す資本主義

この章から次の章は『現代経済学の直感的方法』をベースに語ります。

資本主義社会では、基本的に変化が早い者が勝つようになっています。だから企業は次々と新しいことを始めるために銀行からお金を借りてきて、事業を拡大していく。そして、その利益で前の事業の借金を利子付きで返していく…

これが勝つためのセオリーとなってしまいます。資本主義社会は常に自転車操業で、止まったら即死なのです。停止即ゲームオーバー。

「借金」と「金利」のせいで資本主義は止まれない、それが第1章の主張でした。

資本主義は止まることができないため拡大を続けながら、農業社会から商業社会へ、さらに産業社会へ移っていくことになります。ほうほう。

農産物は人口に合わせてしか需要が伸びないので拡大し続けられませんし、商業で生計を立てる国は生産国どうしが直につながると終わりだからです。

一方、産業社会では人々の欲望を呼び覚まし、次々新しいものを作れば需要も新たに生産されていく。

資本主義は、勢いよく拡大を続けるため緩やかな人口の伸びなんかに合わせてはいられないのです。だから人々の短期的で利己的な、視野の狭い欲望を刺激せざるを得ない。

結果、たくさんの企業活動によって刺激された個人の欲望は、たいてい視野の広い願望(理想)を駆逐してしまいます。健康よりケーキ、環境より電気。

この過程を精神の縮退化と呼ぶのでした。

縮退は物理学の用語で、ざっくり言うなら「放っておくとそうなってしまう状態へ向かう過程」と思ってください。

縮退した精神の問題

180年くらい前の政治思想家トックヴィルはまさにこの問題を、生まれたてのアメリカという国を観察して分析していました。

アメリカ社会は人々の短期的・利己的な思考を促す流れを食い止めるシステムを採っていないと見ていたのですね。

そういうアメリカ社会の行く末を彼は終末世界と呼んでいました。ちょっと中二病っぽいですね。

それはともかく。

終末世界では、”人間はとにかく楽して、なるだけいいものを得たい、とにかく楽したいというその衝動がすごく大きい要因として出て来てしまう。それから組織の中に入るよりも平等のほうを望む。人の命令は聞きたくない。命令を聞くのが嫌で、努力するのが嫌で、それで、飽きっぽい。そして、飽きたらすぐに次のところへ行きたい”というどうしようもない刹那的な生き方をすることになります。

よくできた慣習とか宗教とか制度で食い止めないと、人々は短期的な視野で利己的な振る舞いをするようになっていくわけです。

以上のような縮退した精神の話から僕は連想しました。オルテガの言った「大衆」あれも縮退だよなと。

縮退した市民が「大衆」と言えるのかなと思います。

というわけで、ちょっと寄り道してオルテガの言う「大衆」と「精神的貴族」について見ていきましょう。

オルテガの言う「大衆」

スペインの哲学者 ホセ・オルテガ・イ・ガセットが1929年に著した『大衆の反逆』の中で、大衆と権力との関わりを論じ、大衆とは、自らを特別な理由によって良いとも悪いとも評価せず、自らが他人と同様であることに苦痛を覚えず、自らと他人が同一であることをかえって良しとする人々全部を指すものだと定義。 Wikipediaより

もう少しオルテガが大衆とはなにか語っている部分を取り上げてみます。

「他人と違うのは行儀が悪いのである。大衆は、すべての差異、秀抜さ、個人的なもの、資質に恵まれたこと、選ばれた者をすべて圧殺するのである。みんなと違う人、みんなと同じように考えない人は、排除される危険にさらされている。」

「べつにうぬぼれているわけでもなく、天真爛漫に、この世でもっとも当然のこととして、自分のうちにあるもの、つまり、意見、欲望、好み、趣味などを肯定し、よいとみなす傾向をもっている。(…) 大衆的人間は、その性格どおりに、もはやいかなる権威にも頼ることをやめ、自分を自己の生の主人であると感じている。」

「今日の、平均人は、世界で起こること、起こるに違いないことに関して、ずっと断定的な《思想》をもっている。このことから、聞くという習慣を失ってしまった。もし必要なものをすべて自分がもっているなら、聞いてなにになるのだ?」

こんな感じです。

大衆は、差異を認めず、考えを持たない、同質集団で固まります

トックヴィルのところで見た「組織の中に入るよりも平等のほうを望む」というのはこのことでしょう。

大衆は、修養していない感情こそ本当の自分だと思い込んで、考えたり想像したりする力を失っている状態の人たちと言えるかと思います。

これの反対が精神的貴族となります。

精神的貴族

オルテガによると、高貴な人=すぐれた人間は自らより優れた存在を規範とし、自ら訴えることが必要であると心底から思い、その規範のために奉仕する人だと規定しています。

「すぐれた人間をなみの人間から区別するのは、すぐれた人間は自分に多くを求めるのに対し、なみの人間は、自分になにも求めず、自己のあり方にうぬぼれている点だ、(…) 一般に信じられているのとは逆に、基本的に奉仕の生活を生きる者は選ばれた人間であって、大衆ではない。なにか卓越したものに奉仕するように生をつくりあげるのでなければ、かれにとって生は味気ないのである。(…) 高貴さは、権利によってではなく、自己への要求と義務によって定義されるものである。高貴な身分は義務をともなう。」

高貴な人間は自分の人間性や選択に満足せず、常にさらによりよくふるまうことを目指すため、勉強をするし謙虚に人の話を聞きます。

つまり、欲望より理想を目指して力を働かせ続けている。この傾向はまさに縮退に抗っているのだと言えるでしょう。

オルテガのいう貴族とは、そういう人間がいるというより、人の心の中には貴族的な面と大衆的な面があり、いかに貴族的な面を育てていくかという文脈で語られていると主張するのが内田樹さんのこちらの記事です↓

これは諸子百家系の古代中国の思想家たちが言った感情の修養の考え方そのものですね。

縮退をいかに避けるか

単純な欲望に忠実にしていれば、つまり放っておけば、人は短期的で利己的な面が強く出てしまうというのはわかる気がします。

放っておくと何をやるのも面倒になる自分と20年も付き合っているとよくわかります笑

中国の諸子百家とか呼ばれる人たちは、そういう性質を訓練で変えられると考えました。その訓練を修養と言います。

日常の些細な出来事の中で己の感情を修養すれば、利他的・長期的な視点に立つことができるみたいな話をしてる人が多いですね。

例えば、孟子は、常に感情の感度を研ぎ澄まし感情と理性が強調して働くようにすれば、将来を閉ざしてしまう決断ではなく前途を切り開く決断をくだせると言い、孔子は「礼」によってのみ「仁」を育めると述べています。

こちらを読むとめちゃくちゃ参考になります。平易だし短いけど発見がたくさんありました。文庫版が安いのでおすすめ。

縮退を促す層は縮退を避け階級を生み出す

さて、ここまでを踏まえて。

今社会の縮退を促しているトップ企業を思い浮かべてみてください。人々の”あらゆる衝動を、即座に、ストレスなく実現させる”競争に勝っているところです。

GAFAやBATHが浮かびましたか?
そうであれば僕の連想と近いです。

とりあえず、GAFAやBATHが浮かんだとしましょう。

そこに就職している人たちは一般的な人よりははるかに自制心を持ち、想像力が豊かで、長期的に考えられる人だと思いませんか?

個人的には、彼らは家庭教師を雇ったり、良い大学に通ったりした後で就職し、就職してからも体と脳の健康に気をつけたライフスタイルを送る、みたいなイメージがあります。

もっと言うと、彼らは親になると、有り余るお金をかけて、縮退が進み教育さえも商品に落ちぶれた世界の中で一般人にはあまりに高い授業料を難なく支払い、自分の子どもたちを縮退から遠ざける方針で教育するだろうとイメージしています。たぶんそんなにズレていないと思います。

今世界を縮退に進めているのはまさに世界で最も精神の縮退に抗うのが上手い人たちで、彼らは縮退に抗える人を彼らの中から再生産しているという皮肉。

資本主義社会では、自らは縮退に抗いつつ、より多くの人々をより強く縮退化する(大衆化する)ことができると莫大な富が集まってくるのです。

階級の再生産が始まっているっぽいなと感じます。すごいえぐい仕組みだよなあ。

今日はここまでを考えて「あぁ、面白いな」と思ったんですよね。

もっと面白いこと

今、僕ははまのりさんという方のライターとして、就活経験すらありませんがキャリアの記事を書いています。
※あまり知られていませんが、はまのりさんの記事への投げ銭が僕の給料です。現在のところ合計で1000円です。お助け下さい。

それはさておきまして。

はまのりさんの仕事であるコーチングやコンサルティングとはまさに、縮退に抗うマインドを形成するプロセスの支援です。noteの無料記事でそのエッセンスを得られるのはありがたいことですね(ライターなもので手が勝手にちょくちょく宣伝してしまいます笑)。

はまのりさんは年間で数百件の企業や個人へ、それなりの金額で「修養」を授け、それでマインドセットが変わった方々は社会で縮退を進めに行く、だいたいこんな構造なのかなと思います。

なんかこれも皮肉で面白いなと思うわけです。

さらに言うなら、僕がはまのりさんのライターをしていることが話を重層的にしていてより面白い。

縮退を進める人が縮退に抗うのを助ける仕事で稼ぐ人の仕事を補助して稼ぐ、これが僕の仕事なのです。

とはいえ、はまのりさんの記事自体は無料ですから階級の再生産には抗っている試みだと思っています。つまり、はまのりさんは縮退を進める人が縮退に抗うのを助けるだけの人ではありません!これが社会の縮退に対しての責任ある態度なのかなと思います。

宣伝が止まらないのでそろそろ締めます笑

これからますます聞く技術と書く技術を向上させて、もっとはまのりさんの考えを上手く文章に落とし込めるようにしていくので、よろしくお願いします。


今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

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久高 諒也(Kudaka Ryoya)|対話で情熱を引き出すライター
サポートいただいたお金は、僕自身を作家に育てるため(書籍の購入・新しいことを体験する事など)に使わせていただきます。より良い作品を生み出すことでお返しして参ります。