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そろそろ文字だけ、声だけ以外の対話がしたい

昨日の夕方、弟とキャッチボールをしていました。久々の運動です。暑さと運動不足で30分くらいでバテてしまいました。

それはさておき。

これまで何度もやっているはずなのですが、受け取る自分の感覚が変わったからかキャッチボールが貴重な経験に感じられました。

キャッチボールって不思議なもんだなあとしみじみ思います。インドアな文科系ニンゲンとは思えない発言ですが笑


言葉じゃないコミュニケーション

使い古されているのかもしれませんが、キャッチボールって対話だなと。10メートルくらい離れていても、下手な会話より通じ合っている感じがしました。

キャッチボール中は僕も弟も一言も発しなかったのですが、お互いの腹がわかったというのか、そんな心地になったんです。

相手の全身の動きに注意しないと球がどこに飛んでくるかはわかりません。手を振るスピードや体を捻る速度が、球の力強さにこもってこちらの手に吸い込まれます。全身で相手と向かい合っている感覚。

その反動で、口頭の会話の時には相手の動きどころか話にすら集中できていないことが多いよなと実感を伴って思い返すことができました。キャッチボールをするように話す相手と向き合いたいものです。


言葉を交わさなくてもわかること

ちょっとコントロールが悪い球が飛んでくると、精一杯ジャンプして腕を伸ばすなり走るなりして受け取って、また返す。その時にどんなふうに返すかによってにやけたり、はっとさせられたり。

勢いよく投げて相手を遠くまで走らせて申し訳なくなったり、戻ってくるとき笑ってくれていて安心したり、こちらの疲れを察して投げてくれているのに気づいたり。

言葉がなくても、ボールを介在にしてたくさんのメッセージが素直にやり取りされています。

言葉が削げ落とされ、ボールのやり取りのみで相手と向き合うことで、普段は副産物のような(特にSNSでは見えることすらない)やり取りが際立ってきます。その愛おしさ、そういう瞬間の尊さを感じられるようになった自分に気づき、嬉しくなりました。嬉しさ余って勢いよく投げたボールを、弟は小走りで追いかけに行く羽目になりました笑


言葉の奥

沖縄に帰ってきてからの4ヶ月、家族以外とは文字や声でのやり取りばかりでした。それもあって、今回のキャッチボールが特別に感じられたのかもしれません。弟に感謝です。

・・・なんだか、富山の友人たちと向かい合って話せないのが急に強烈にもどかしくなってきました。おかげで寂しさは増しましたが、こんな優しいもどかしさが感じられるのは悪い気はしません。

このもどかしさを大切に、喜びをかみしめつつ丁寧に大切な人たちと接していこうと思います。


というわけで、ライターが「文字以外が尊い」という話をする回でした笑



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