見出し画像

あの日君がくれたパンの名前を僕はもう知らない

パンを噛みながら、泣いたことがありますか?

僕はあります。

今はもう何パンだったかまでは覚えていませんが、僕は確かに彼のくれたパンを少しずつ食いちぎりながら一人泣いたのです。

彼とは、高校1年生の時に同じクラスになって出会った友人です。以来ずっと仲良くしていて、5年ほど経つ今もだいたい毎週のように連絡を取り合う感じです。

彼は、背が高く、黒縁メガネの似合う、バイオリンが弾ける爽やかボーイです。趣味は映画鑑賞など。

魅力的な点の多い彼ですが、彼の最大の魅力はその懐の深さだと思っています。誰もが彼にもっといろんなことを話したくなるような聞き上手であり、相手にかける言葉や場を読んで取る行動、気遣いが細やかでさりげないのです。

そんな彼に僕が泣かされたのは高2の秋頃のこと(たしか秋)。

とあることで数ヶ月振り回され落ち込み気味だった僕は、ある日の出来事でさらにどん底に落ち、食事も喉を通らないような状態でした。誰かの優しさに飢えていたのかもしれません。

そんなある日、彼と二人歩く学校からの帰り道。彼は、「塾行く前にパン買いたいからちょっと待ってて」といつも立ち寄るパン屋に入って行きました。

2、3分で戻ってくるのがいつもの流れで、僕はいつものように店の前で待っていました。頭の中はすぐに悩みのことでいっぱいになり、目の前が暗くなっていきます。自分がいかに無力かを頭の中の自分が説き続けます。

数分後、

「ただいま」

と言う声に我に帰った僕に、戻ってきた彼は半透明な袋に入ったパンを差し出しました。

そのパンというのが、フランスパンや食パンでなかったことは覚えています。でも何パンだったか思い出せない。

「これ食って元気出しな」
優しい笑顔を湛えながら彼の差し出すパンを僕はゆっくりとした動作で受け取りました。

「ありがとう、ごめんな、後で食べるよ」

僕はその半透明な袋に入ったパンを持ったまま、彼と帰り道を歩きました。

パン屋から150メートルほど歩いたら二人は道が分かれます。

「じゃあな」

彼は後ろを振り返らず歩いて行きました。僕はぼんやりと彼の後ろ姿を見つめてから、ゆっくりとバス停へと向かいました。

刻一刻と暗くなる時間帯、まだ日中は夏のように暑い沖縄で、ひんやりとした、秋を感じる風が吹いていました。

他に誰もいないバス停に着いてバスを待つ間、僕はその日始めて、少しだけ空腹を感じていました。

僕は、彼からもらったパンを袋から半分出して、小さく齧り付きました。

そのパンというのは、カレーパンでもなければ、粉がたっぷりまぶしてあるタイプの、例えばきな粉の揚げパンなどでもなかったと記憶しています。


「あぁ、美味じいよぉ。〇〇、ありがとう、ありがとう」

僕は彼の名前を何度も呟きつつ、泣きながら、冷めたパンを少しずつ齧り続けました。

たぶんそれは動物の顔のパンでもなかったと思います。


僕は今も彼のこの時の優しさが忘れられません。





サポートいただいたお金は、僕自身を作家に育てるため(書籍の購入・新しいことを体験する事など)に使わせていただきます。より良い作品を生み出すことでお返しして参ります。