水神祭り
私の地区本組は神代川が流れています。
石棺、土器等も発見されているので、水も豊富で昔から生活しやすかったのではないでしょうか?
本組と言われるだけあって、三田井地区一帯の発祥の地と言っても過言ではないのではと思います。
12月8日、水神祭がありました。
ここは天眞名井。
説明はこちらをご覧ください。
https://note.mu/kucky918/n/nde6b547d6b5f
この場所で神事が執り行われます。
神事が終わると、上流の方へ上り、神代川筋にある水神様にしめ縄を張りにいきます。
次は夜泣き石。
水神とは違うのですが、神代川再生プロジェクトに際し、場所が今の場所に移り、ここも1つに入れたようです。
次は宮尾野橋近くの通称『佐久良谷』
木花咲耶姫が子供を産んだ際、産湯に使ったと言われている場所です。
次は白水水神。
名前の通り、昔白水が湧き出たと言われています。
実は川の形も以前と違うそうです。
大雨の時など、水が上がって水害もある為、河川工事をしました。
その時から実は天眞名井も水が湧き出づらくなったそうですが、今家がある場所は違ったなどの話を聞くことができました。
4代前に家を高いところへ移したという事も聞きました。
次は井戸の元水神。
水神様の前の岩のところはまだ井戸がありました。
井戸の元という位だから、名前の通りですね。
次は初期の三田井地区上水道の水源地に祀る水神様です。
下の写真はその貯水槽です。
三田井地区は五ヶ瀬川水底より150メートルも高台にある為、深井戸が数カ所あるだけで飲用水としては不足していたそうです。
そこで前記した白水水源を明治33年(1900年)に竹樋を3000メートル使って町へ給水したのが上水道の始まりであるということです。
現在は人口増加もあり、御塩井の玉垂の滝よりポンプで揚げ城山より自然流水をもって配水したのが、昭和29年のことです。
天村雲が水の種を持ってきた天眞名井が高千穂の町の上水道史の始まりであると言われています。
そして、高千穂高校農業学校の入り口のところにある水神様です。
最後は町立病院の方へ行く途中の一ノ瀬橋の近くにあります。
ここまでが水神祭のお参りする場所になります。
夜泣き石を合わせて8カ所となっています。
水神様の場所も移したりはあったようです。
今回初めて地元の水神祭に参加できて、初めて知ることも多かったし、水にいかに守られていたのかという事を知ることができました。
参考文献
本組公民館 高天原
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