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甲斐有雄氏について
以前くしふる神社付近を探索している時にとある石碑をみつけた。
ここは、高天原遥拝所。
祠の右手には石で彫られた歌碑が建っている。
名前を確認することができるのだが、そこには『有雄』と彫られている。
彼は『甲斐有雄』と言い、高千穂の隣、熊本県の高森町津留尾下多々野に文政12年(1829年)に生まれ弘化4年(1847年)に札筒(鉄砲免許)を与えられていたので、藩令により深葉山の鹿猪狩に参加していたが、文久元年(1861年)33歳の時に石道標建設を始めた。
初め名は「亀右衛門」と言ったが、慶應4年(1868年)39歳の時に苗字、刀差免されの身分にて『甲斐有雄』と改名した。
彼は神仏の石像、更に道標を約360基建立している。
また、高千穂の神話に因む跡地には氏の詠んだ歌碑が残っている。
その一つが前記した、高天原遥拝所である。
高天原遥拝所の近く、四皇子峯には今では神域につき出入り禁止ではあるが、そこにもあるらしい。
そして、天真名井。
そして、向山、秋元神社
私自身が発見しているのは、まだこれくらいである。
他にもいくつかあるらしく、河内、田原地区には多くの石碑が残っているとのこと。
道路改良などにより、たくさんのものは埋められたり、不明になったものが多く、残念で仕方がない。
もしかしたら、いつの日かなにかの理由で土より発見できることがあるかもしれない。
改めて、よくある観光地、また地元の何気ない場所にも実はこの『甲斐有雄』氏の刻んだ碑があるのかもしれない。
そういう発見を求めてみるのも、面白いかもしれない。
参考文献
甲斐畩常著 高千穂村々探訪
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