熊野神社上宮
上田原地区、隣の上野地区を挟む玄武山。
その西側、田原側に熊野神社がある。
高千穂町でもいくつも熊野信仰が残る神社があります。
その中の1つ、田原地区三神群(みかのむれ)にある熊野神社。
河内地区にある熊野鳴滝神社と同時期に紀州熊野より奉斎したと云われる。
熊野三社権現とし、紀州熊野に祀られている熊野坐神社、熊野速玉神社、熊野那智神社、この三社を招霊し三社権現という。
阿弥陀、薬師、観世音の権現とし、神が仏の姿となり現れるということで、神仏習合の流れの中、信仰されていったようだ。
集落内の小社を合祀している為、祭神は多く、伊弉冊(イザナミ)尊、素戔嗚尊、品陀和気命(ホムダワケ)、少彦名命、天道根命(アメノミチネ)、天椹根命、事解男命(コトワケオ)、速玉男命(ハヤタマオ)、保食命(ウケモチ)菅原道真公。
熊野神社の拝殿の左側には薬師如来堂がある。
天保6年(1835)に延岡の石工、利吉の作の仁王像が阿吽の形で立派に立ち並ぶ。
この利吉は町内でいくつも石像や神社の燈篭を作っている。
さて、高千穂神社に保存されている文治5年(1189)の旭大神文書に熊野信仰の山伏の事が記載されており、古くから高千穂には修験者、山伏が英彦山等から入ってきているようだ。
高千穂は熊野社領となり燈明料として紀州本山である熊野神社に寄進しており、後にその燈明料の件で大騒動となるのである。
話は田原、熊野神社に戻る。
この神社の裏側に上宮があるという。
この社は上宮を拝む、拝殿というわけだ。
私が登った日は上宮祭がある日で、集落の方が祭りを行う時に一緒に登らせていただいた。
地区の人の案内がなければ、なかなか辿り着けないであろう、山道を登って行く。
30分程歩くと、岩盤に覆われた社が見えてきた。
普段は扉も閉まっているのだが、祭りという事で、ご神像を拝む事ができた。
予想以上に大きく立派であった。
1つは過去の火事で黒焦げたものもあり、また過去の人が書いたと思われる落書きも見る事ができた。
彫刻もあり。
修験者の荒行の社とだけあって、凄いところに作られている。
高千穂町史に大正11年(1922)に撮影された改築時の写真があるが、おそらくそれ以来の社と思われ、老朽化しているのは否めない。
今地元住民でどうしていくか、今後の事を考えているようだ。
それにしても圧巻の社である。
延宝の神明帳には、二間梁三間の石すへ拝殿、二間梁ニ間石すへ御殿、御社の右口のきわより下、たきの高さ十間余もある岩たき也とあり、登った日は雨も最近降っていなかった為か水も少なかったが、水が下垂れ落ちていた。
とても貴重な体験をさせていただき、地元住民の方に感謝する。
参考文献
高千穂町史 郷土史編
高千穂村々探訪 甲斐畩常著
高千穂皇神の御栄 後藤勝美著
日本民族発祥の地 高千穂郷八十八社名録 佐藤光俊著
神々の坐す里 高千穂の神社 高千穂町観光協会発行
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