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神代川について

【神代川の歴史】
神代川は別名熊白川(くましろがわ)とも言われており、年代不詳の『略縁起』には白き熊を三毛入野命が射止めたと書いてある。周辺には、天孫降臨された地と云われるくしふる峰、初代天皇である神武天皇が幼少のころに兄弟4人で住まわれたと云われる地を祀る四皇子峰、天村雲命が水の種を持ってきたという天眞名井があり、神代の頃より続く、言わば日本の原風景がここに残されているといえる。また、縄文土器も発見されており、古くから人々の生活があったことがわかる。水があるところは生活しやすかったのであろう。

天眞名井の水は昔は滾々と湧き、霊水とし、この水を頂くと病気は軽快し、長生きすると云われている。また、汚れがあるときは水が出ず、穢れを払えば水が元の如く湧くとも云われる。初め出る水は白く濁っているが一時すると本の水に変わり、“くましろ(・・)”や“白水”といわれる由来かもしれない。夏は冷たく冬は暖かで、この水を汲んでは炊事、洗濯にも使われ、酒作り用にも使われていたと云う。水桶で蔵子が担ぐ姿は冬の風物詩にもなっていた。古くは神代川には妙見社という拝殿があり、神代川の清流が見られるようになっており、修行の霊場であったと伝えられるが、現在は柱の跡が残されているのみとなっている。いくつかの水神様がいることはそれほど湧水があったということである。

以前は水も豊富で子供達は川で水遊び。
高千穂小学校の校歌の頭に『神代川の清き水』とあり、作った当時の面影を感じられる。

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しかしながら、生活排水など、浄化はできておらず、汚い川と成り果て、浄化槽や下水道などの普及により水質は以前よりは改善された。また水災害も多かったため、改修しコンクリートで整備された。そのため、湧水も著しく減少してしまった。そこで平成29年より県の事業で昔の川の風景を、そこに暮らす住民と共に戻しましょうというプロジェクト、かわまちつくりが今実施されている。


【水神様とは?】
そもそも水神様とは、いったいどんな神様なのか??
一般的には国生みの際に伊邪那美の尿から生まれ、灌漑用水、井戸、安産の神として祀られているのが、「水波女命(ミズハメノミコト)」という。ここ本組地区には湧水が多く、その水の得に感謝する自然崇拝からくるものである。そして、天眞名井だけは水種を持ってきたという天村雲命が祀られており、他に水の種を持って行ったのは、丹波の国(京都府)氷沼の予佐宮、伊勢神宮の外宮高佐山に置かれたという全国でも三か所しかない珍しい地なのである。

【伝説】
水神様は気性が荒く、粗末にしてはいけないという。また、金物が嫌いで包丁やピン止めなどを落とすと祟りがあると云われる。ある時、水神様に張るしめ縄に番線を入れていたところ、荒立神社の宮司にお告げがあった。「えらいありがてぇんだけど、番線はやめてくれ~」と告げたという。怖い印象だが、こういった人間臭い逸話も残されている。
他に、水神様の横を通るときは静かに通るのではなく、咳払いなど音を立て、存在を知らせ驚かせないようにしなくてはいけないという。また、祟りがあっても、すぐにお神酒や塩を蒔きに行くとすぐに治るといい、なんとも魅力的な神様である。

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