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漆島神社について

岩戸、上寺地区。
天岩戸西本宮、天安河原を越え、土呂久方面へ左に入ると『漆島神社』という看板が見えてくる。

道沿いに行くと案内看板もあるので分かりやすい。

下野方面へ抜ける道の方へ行くと奥の方に漆島神社が見えてくる。

寺尾野堂の元の清水が滾々と湧き出る川の森の北方直ぐ上の森林の中に鎮座する。

「清冽な御水にて名あり、高千穂十社祠官漆島氏之を祈りて霊顕あり」と記録がある。明治晩年の頃までは、病人の飲料水や元旦の初水汲みなど、遠近より参拝者が多かったという。

祭神は名の通り、漆島氏を祀っている。

漆島氏とは一体!?

以前鬼八の考察の際にも登場した漆島氏だが、宇佐八幡宮の記録によると、祠官4姓、宇佐、大神、田部、漆島とある。

漆島氏の先祖は高千穂の四皇子の1人、稲氷命である。

稲氷命は神武東征の際、五瀬命、三毛入野命と共に大和へ向かったわけだが、途中で妣(はは)の国を訪ね海を越えたと古事記にある。
※ 韓国へ行ったという説もある。

そして、三毛入野命と同様に再び高千穂へ戻られた事になっている。

宇佐祠官の4姓は宇佐氏以外の3名は高千穂にも深く関係している。

※詳しくは以前書いた鬼八の考察をご覧いただきたい。

https://note.com/kucky918/n/n270317cfdfc3



高千穂神社の祠官も又4祠官あり、上野村田部氏、岩戸村漆島氏、七折村富高氏、岩井川村丹部氏。

高千穂八十八社の一つ「落立神社」

建長6年の十社文書によると高千穂皇神の末社であり、高千穂神社と深い関りがある。

この神社の社家が漆島氏であった。のちには漆島氏は京に上り、佐藤氏に変わる。

十社尾迫代役漆島氏ということで、現在も尾迫という屋号もこの近くにある。またその家の上方には「春の宮」というお宮があるという。

この「春」というワードが大きな意味を持っているのだと思うのだが、今後の課題である。

五ヶ村地区の夜神楽の際に、一度拝見することができた面様。

『尾迫荒神』といわれている。

いくつかの伝説が残されており、ある時お守りしている家が火事にあい、全焼してしまい、家族もせめて荒神様だけでも救い出せればと悔しがっていたところ、村人が庭の端にあるタブの木の梢にて発見されたという。

また、ある時この面様が盗まれてしまった際に、豊後へ帰る途中尾平越の峠にて「お前ももうこの岩戸は見納めだろうから、一目見るがよい」と自分の顔に着け、岩戸の方を振り返ると、この新面が顔から離れなくなってしまい、苦しんだ挙句佐藤家へお返しになり、悔いお断りをしたところやっと顔から離れたという。

さて、漆島氏は大神氏が三田井氏の養子となり、高千穂太郎と名乗る前から入られていた氏族であるといわれている。

先に書いた川水があるとき枯れてしまい、村人で相談し京へ修行に上っている神官に相談に行った。それが漆島だったのだろうと思われるが、神のお告げにより、川の上に漆島神社を建てて祭れとあり、社を建てたのが漆島神社である。これをお祭りしたところ、水がまた再び滾々と湧いたという。

なお、その京都へ修行に行った神官は高千穂へは戻らなかった。そして、その弟が佐藤家に養子となり、神官となり、現在の天岩戸神社の宮司として引き継がれている。

※ 尾迫が屋号の家は佐藤氏で、言い伝えによると古くは漆島姓を名乗っていたがある時豊臣秀吉の命を受け漆島様は京へ上った。(これが修行に行ったということなのだろう)御所近くでお仕えすることとなり、神官の職を弟に譲ったという。

漆島氏は二上神社を祭っていたが、大神氏が入ると岩戸の寺尾野へ移られた。

韓国へ渡り、再び帰って来られた者と岩戸に残っていた者とで、共に先祖を祭ったということで漆島神社があるのだという。

宇佐の祠官でもあり、宇佐神宮創建にも関わっているのであれば、高千穂でも八幡神を祭ってもおかしくはない。

下野にある八幡神社

山裏村、今の上岩戸の日出地区にもともとあった二ッ嶽に祭ったが、1247年御託宣があり、今の下野へ遷座したという。

二ッ嶽神社

そして、漆島神社、下野八幡は一直線になり、下野と岩戸を結ぶ峠には不思議な岩がある。

現在のトンネル。昔はこの上に峠道があり、その記念碑もある。

問題の岩はこれ。

宇佐八幡における宇佐氏の先祖神の石躰明神、御元山の磐座とも類似しており。麓にいた漆島氏が崇め祭っていたのではないかと考えられている。

漆島氏は辛国よりの渡来系であったと思われ、宇佐に八幡神を祀った辛島氏族ともいわれており、シャーマン的な存在であり、また秦氏族とも関係があり、鍛治の神を祀ったともある。

個人的に尾迫荒神の面様は「素戔嗚尊」という説もあるが、「漆島様」そのものであるのではないかと考えている。

辛島氏系図としては、素戔嗚尊を遠祖としており、鍛治神として素戔嗚尊を祀ったということも、尾迫の荒神様と関係があるのかもしれない。

参考文献

高千穂の古事伝説民話    高千穂町老人クラブ連合会 発行

高千穂村々探訪   甲斐畩常著

JA高千穂地区広報誌 「かるめご」より  西臼杵の姓氏   安在一夫文

八幡神の謎 大里長城著

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