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けりす#1_音楽を免罪符にした結果、一生怠惰になってしまった話

なぜこの話を書こうと思ったのか

っていうところっすよね。まずは。
仕事。仕事です。

業務中にぶちあたった課題に対して「ふえぇぇ」となってたんですが、
ふと気づいてしまったので、文章としてこの世に残したくなったんです。

複数人で仕事をするのが苦手と気付いた

ちょうど、自分が28~9歳のころ。
「うぇーい」って仕事をしていたらいつの間にか部下ができてました。

なんだかんだ最初はめちゃくちゃ気合入ってたと思います。
自分のなりたい上司像が「どうしたんだい(ニコッ)」みたいな、
というかカードキャプターさくらのお父さんになりたかったんですよね。

ので、そのセルフイメージにどれだけ近づけるか、というところで苦心しまくってました。

そんな感じで、ニコニコしつつ、はじめて「ヒト・モノ・カネ」を使って、仕事を回していく、みたいなことをしていたわけです。

そうすると、徐々にいろいろな問題が出て来まして。
「自分が仕事しすぎて、部下がやる仕事が無い」
「部下は仕事が無いから、存在意義を見失い意欲が低下する」
「結果、チーム全体で見た時のパフォーマンス低い」
ということが起こったんですよね。

で、この原因がですね。
要はコミュニケーションをめんどくさがったんです。
「自分がやった方が早いから~」
「会話のラリーめんどくさいから~」
「教えるのめんどくさいから~」
みたいな意識があったんですよね。
(あとは生来の見栄っ張りなので、いい恰好がしたかったという下心もありました。)

今振り返ると、一時の怠惰で結果自分の仕事が増えてるので、マジで意味不明な思考回路ですね。

そんな感じで、私「けりす」という人間は非常に怠惰で短絡的と言えるでしょう。
そして今日、人に仕事をお願いするときに、やっぱり怠惰な感情はまだ存在しているな、って思っちゃったんですよね。

ただ、30も超えて、さすがにそろそろあかんわけですよ。
本質的な考え方は変わっとらんぞ、そもそもなんでそう思うんだっけ?っと振り返ったところ

「あぁ、音楽を免罪符にして人生何もかもから逃げてきた結果だなぁ」

と結論が出てしまったわけです。

音楽を免罪符にしている、とは?

そもそもどういうことよ?って感じですよね。

めんざい‐ふ【免罪符】 の解説
1 カトリック教会が善行(献金など)を代償として信徒に与えた一時的罪に対する罰の免除証書。中世末期、教会の財源増収のため乱発された。1517年、聖ピエトロ大聖堂建築のための贖宥 (しょくゆう) に対しルターがこれを批判、宗教改革の発端となった。贖宥状。

2 罪や責めをまぬがれるためのもの。

出典:デジタル大辞泉(小学館)

なるほど。わからん。
罪や責めとはなんなのか。

逃げる理由を音楽に求めてしまった

すごくざっくり言うと、「自分の人生選択において逃げる理由づけに音楽を使った(使ってしまった)」んです。

  1. 不登校の罪悪感を消すためにギターをやりはじめる

  2. 高校で友達出来ない=自分は高尚=高尚でいるには?=創作をはじめる

  3. 就職したくないから理由を作ろう。そうだ夢追おう。でバンドで夢見る

具体的には上記のような逃げ方をしてきました。
今になって見返すと、まぁ痛いけどさして特別なことでもないな~という感想です。
音楽をやり始める動機としてはめちゃめちゃポピュラーなのかなと。

だからこそ、もし同じような人が居れば、すごく警鐘を鳴らしたく。
その逃げ癖はずっとついてくるし、勝手に治るものでもなし。
ふぁー。せちがらい。


つらつら駄文を書いてますがぶっちゃけ答えは無いです。
答えの無いまま走っているのもどうなのか?という自責も有りつつ
とはいえ、答えなんかすぐ出るもんじゃないしという諦念感も含めて
空中分解という免罪符をエンタメまで昇華できればなって思ってます。

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