見出し画像

平和の抜け殻

街を歩いていると、ときどき変な落とし物に出会う。
とある風の強い日にはプラスチック製のバットが地面をころころ転がっては戻り、また転がりを繰り返していて、持ち主がいないのに素振りされているみたいだった。
違う日にはアンダーパスのトンネルの横の壁、その出っ張りの上にチョコチップスティックパンが袋のまま置いてあった。しかもその消費期限が一年前の僕の誕生日だったりしたものだから何か時を超えた報せなのではないかと思った。
それらはどこから来て、どこへ行くのだろう。変な落とし物に出会うと僕の頭はしばらくそれでいっぱいになる。いつのまにかチョコチップスティックパンは無くなっていたけれど、誰かが片付けたのか。まさか食べられたのだろうか。はたまた時を超えて違う過去か未来に飛んだのだろうか。
そしてつい最近も僕は出会ってしまって、いまだに頭を支配されているのである。


最寄りの横断歩道。僕がいつも通りそこを渡ろうとすると、横断歩道のど真ん中にピンクのものが見えた。近づいてみるとそれは軍手か手袋か、要はそういう形のものだった。しかしただの手袋ではない。なんとピースサインの形で落ちていたのだ。ピンク色のピースの抜け殻。愛と平和の象徴みたいな姿で、道行く人々を見送っていた。
僕はそれを写真に収めようとしたのだけれど、いかんせん場所が場所である。前からも後ろからも人が歩いてくるし、横にはたくさんの車たち。そこで立ち止まって地面にカメラを向けるのはなんとも恥ずかしい。僕はピースの抜け殻を見下ろしながらもそのまま信号を渡り切ってしまった。用事を済ませて帰るとき、またここを渡る。だからそれまでそこにいてくれよ。そう思った。
用事を済ませている間も、僕の頭はピースの抜け殻でいっぱいだった。偶然あの形で落ちたのか、それにしては見事なピースサインではなかったか。最初から横断歩道に落ちていたのか、車に轢かれたりしながら横断歩道の真ん中に運ばれてきたのか。だとしたら帰るころにはまた違うところへ運ばれているんじゃないか。そもそもあんなに鮮やかなピンク色の手袋を誰が使うのか。手袋を使うほどまだ寒くないじゃないか。
そんなことをぐるぐる考えながら、僕は用事を済ませた。自然と帰りの足取りは速い。現場に近づくほど僕はドキドキしてきた。先ほどと違う場所に移動している可能性もあるから周りも入念に見ておく。周りから見れば僕が何かを探しながら歩いているのは一目瞭然だっただろう。しかしそれが僕のものでもない、知らない誰かの落としたピンクの手袋だとは誰ひとり思うまい。


件の横断歩道に戻ってくると、もう抜け殻は無くなっていた。やはり車たちがどこかへ運んでしまったのだろう。横断歩道を渡る人々は、そんなもの最初から無かったかのように過ぎてゆく。僕はなんだか寂しい気持ちになった。ピースの抜け殻が、いまさらとても健気で愛しいものに感じたのだ。偶然生まれたピースサインかもしれないけれど、確かに僕には届いていた。次の場所では、どんな形でいるだろうか。またピースサインをしていたりしないだろうか。
数週間が経った今でも、僕はふと道のピンク色を探してしまうのだ。One more time,One more chance.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?