終戦記念日と玉音放送
終戦記念日。
玉音放送ってどんなものだったの?と現代訳がYahoo!ニュースになっておりました。
戦争記念日は、なぜか両親を想い出します。
ちなみに、うちの両親は昭和ヒト桁で、戦争を体験した人でした。
昭和ヒト桁の人は、しなやかでたくましかった。
母親は満州あたりで日本人としてお金持ちの生活をしていたらしく、戦争が終わったら中国では一斉に日本人が狙われるようになるのを見て、着の身着のままで帰国したそうで、そこではぐれたり誘拐されたりした人が残留孤児になるのよと言うてました。残留孤児のテレビ番組があればよくジーっと見てたのを覚えています。
一方で親父は大阪の天王寺・生玉あたりに住み、戦火を潜り抜けた、と。親父からは大阪大空襲や玉音放送を聞いた時の話も聞きました。
「あの時はホンマに暑い日やったけど、考えてみたらたぶん30度もなかった。今の方が全然暑いわ」
「玉音放送は難しくて何を言うてるのかわからんかったが、周りの大人はものすごいザワついてた」
「で、なぜか知らんけど朝鮮から来た人らは喜んでまんねんわ」
とよく言ってました。
戦争中はいろんなものを食べたと聞き、僕が「俺も居酒屋でイナゴの煮付けを食べた事がある」と言うと、
「あのな、それはちゃんとしたタレで煮付けてるのでイナゴも美味いが、戦時中は砂糖もなく、イナゴも道に生えてる草もみんな醤油で炒めただけで食べてたんや。マズかったがそんなもんしか食いもんがなかったんですわ」と。ネズミも見つかると食われた時代だったとか。
「今は戦前に戻ってる」とか言うようなことを言う記事には
「(11歳で終戦を迎えた)ワシでも当時の世の中や政治のことなんてわからへんかった。これ言うてる人はワシより年上かいな?」「或いは誰かに吹き込まれてまんのか?」とボヤく。
その人は当時の政治情勢を肌で知る人ではなく、そこにリアリティは存在しないので、「応仁の乱の前夜の京都に似てる・・・と言ってるのと同じように聞こえますわ」・・・と。
「戦争はあきまへんで」と言うものの、旦那さんを戦争で亡くした101歳の女性がテレビで「戦争さえなければ主人もまだ生きてたのに・・・」と語ってるのを見て
「アホぬかせ。戦争がなくてももう死んどるやろに。」
と突っ込む。
あぁ、もう少し話をしたかったと今になって思います。
今の日本は民主主義で、戦争をするかしないかは国民に委ねられます。
平和を脅かすのは政治家ではなく国民自身。
我々と世の中とのつながりは、SNSよりまずは選挙権。それに向けて必要なのは教育と知識。
国民の三大義務は教育・納税・労働であり、我々は大人になっても、納税と労働を通じて多くを学ぶことができます。
気付かないうちに偏った情報を入れ込もうとするメディア、世論やSNSと向き合う冷静さと客観性を保つための知識は、日常で身につけて行けるはずです。
先の大戦に踏み切る判断を下したのは時の政権ですが
「それは政治家の暴走を誰も止められなかった」
なんて話をそのまま信じるほどお花畑ではありませんし、今も昔もそのすべてを政治の責任にしている人ほど能天気でもありません。
選挙権を持ちSNSと関わる人間として、メディアやネットからの情報をちゃんと見極める知識とスキルを、試行錯誤しながらも身に着けていきたいと思います。
それにしても玉音放送の内容って、こんなに切ないものだったのね・・・。
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