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学習参考書の愉悦 第四回『大学入試 横山雅彦の英語長文がロジカルに読める本』

受験英語は何のため?

 学習指導者には、それぞれ指導観・教科観というものがございます。
 たとえば私は、すべての学習は「〈いま・ここ・私〉が何者なのかを知るために〈いつか・どこか・他者〉について知る」営みだと考えています。英語については、さしあたって〈私〉を構成している日本語とは異質な〈他者〉の言語を学ぶことで、自己がいい具合に相対化されることが肝要なのだという立場です(実は日本語もある局面で〈他者〉として立ち現われることがあるのですが、それはまた別のお話)。

 学校の先生方とは事情が違うでしょうが、塾・予備校で英語を教えている人たちは、「入試に通らせてなんぼ、点数を上げるための知識やテクニックを教えるよ」派と、「英語ができれば試験が解けるのはあたりまえ、英語を身につけさせるのが仕事だよ」派にざっくり大別できます。
 「知識やテクニック」タイプは、80年代から90年代、受験世代の人口が多かった時期の予備校講師によくいたイメージです。いまではあまり流行らないので、数も減ってきたのではないでしょうか。とはいえまだまだ「受験第一主義」(とは言わないまでも、内実はそんな感じ)を標榜する講師もいると思います。教科は違いますが、スタディサプリで日本史などの講義をしている伊藤賀一さんは、自身のウェブサイトで「講師に似ている職業として、プロレスラー 芸人 ホスト 俳優 教師の順に考えています」と言っています。似たような立場をとる英語講師も少なくないはず。想像ですけど。
 いまは「英語を身につけさせる」タイプの方が多数派でしょう。どうやら、団塊ジュニア世代の受験生が殺到した“予備校バブル期”に講師たちがテクニック論を押し出しすぎた結果、「予備校では小手先の受験テクニックを教えている」というステレオタイプが形成され、そのカウンターとして増加した「まっとうな○○(教科名)を教えます」的なスタンスが主流になっていったようです。
 
 ユニークな態度を表明しているのが、代々木ゼミナールで英語の教鞭をとる富田一彦さん。著書『試験勉強という名の知的冒険2 キミは何のために勉強するのか』(2012、大和書房)の中で、「正規教育における英語の価値を考える時、その実用性を云々するのは、実ははじめから筋違いである」と断ったうえで、こう述べます。

 中学校以上の教育の目的は何か。それは「ある閉じたルール体系を与えられた時、それに従って思考し、対処し、その体系の中で正しい結果を導く能力を養う」ことに尽きる。(中略)これが学力の正体である「抽象化」だ。それは、大人になってそれぞれの社会のシステム(会社であれ役所であれ他の職種であれ)の中に入った時、そのシステムの本質を素早く見抜いてそこからルールを抽出し、それを上手に使って生きていくのに、直接的にではないにしても役に立つからである。
 一番わかりやすい例として数学を取り上げよう。数学というのはある公理系の上で整合的に成り立つことがらを、数字と論理を使って証明していく作業である。(中略)自分とは直接関係のない「系」を受け入れ、そのルールに従って得られる結果を求めるという経験は、将来どのような職業に就こうと生かしうる(中略)。
 実は、英語を学習する意味も同じである。「音声と文字を持つ」という以外、日本語と何の共通点もない外国語という系の中で、そのルールに従って話され、書かれたものを解剖し、またパーツを論理的に組み立てていく、という作業は、将来外国語などまったく使わない人間にも有効な訓練である。そういう知的訓練のチャンスを合理的に与えるために、英語という科目は存在している。別に「将来英語を使って生きていく」ためでは全くない。

 英語の学習を通じて習得される技能が真に必要なものであり、極論すれば学習した英語なんて忘れ去っても構わない、というのが富田さんの立場。いやー、ここまで言い切っちゃう人はなかなかいません。
 
 話を戻しますが、「英語をまっとうに身につければ入試の点数もとれる」という立場の人たちにも、さまざまな“派閥”がございます。
 大きく分けると、「受験英語は一生使える実用的英語力のタネになる」派と、「大学は学問をするところ、ならば受験英語は大学で論文を読む準備」派の2つ。
 多数派は前者です。中でも“四技能”をめぐってはさまざまな主義主張がぶつかり合い、2020年の大学入試改革についての議論はさながら魑魅魍魎の跋扈する妖怪大戦争……なんてことは諸先生方に失礼になるので口が裂けても言えません。かしこい私はお口ミッフィーでこの場をしのぎます。
「受験英語は大学で論文を読む準備」派は、数は多くないものの高い志を持った雄がそろっている印象です。
 今回は、その中でも際立った特色を持つ横山雅彦さんの参考書を紹介します。

『英語長文がロジカルに読める本』

 横山雅彦『大学入試 横山雅彦の英語長文がロジカルに読める本』(2013、中経出版)は、おなじ著者の『横山ロジカル・リーディング講義の実況中継』(2000、語学春秋社)の後継にあたる一冊。その後、「客観問題の解法編」「記述問題の解法編」が刊行され、三部作になりました。
 ところが……実は現在、「理論編」とでも呼ぶべき本書は出版社在庫切れ重刷未定、事実上の絶版になっています。著者のツイッターから推察するに、中経出版がKADOKAWAに吸収されたときにフクザツな事情があったようで、今後も重刷がかかることは期待できません。
 この連載では、なるべく新品が手に入る本を紹介しようと思ってたんですけどね。どうしても紹介しておきたい一冊なので、取り上げることにしました。

 横山さんの受験英語観について、本書ではこう書かれています。

 大学受験とは、言うまでもなく、大学に入る準備です。要するに、みなさんは受験勉強を通して、大学の講義を受けるための「予習」の仕方を学んでいるのです。
(中略)
 本気で学問をしようと思うなら、「学」の如何を問わず、英語で文献を読むしかありません。だからこそ、入試科目には必ず英語があるのです。「翻訳があるじゃないか」と思うかもしれません。しかし、論文なり文献が翻訳の対象となるためには、それなりの評価を受ける一定の時間が必要です。翻訳を待っていたのでは、とても最先端の学問はできません。もちろん、名訳とされている古典などは、日本語で読めばいい。その能力を試すのが、現代文だといってもいいでしょう。
 入学試験とは、ひと言で言うなら、「入学後に講義やゼミの予習ができるか」を問うものです。それが大学入試のすべてであって、それ以上のものでも、それ以下のものでもありません。

 このように、横山さんは「学問のための受験英語」派の中でも、もっとも強固な信念を貫いている指導者だと思います。別のページには、こんな記述もあります。

 予備校講師になる前、僕は英会話の講師をしていましたが、そこで教えていた天気やショッピング、道案内などの「日常会話」を、僕自身はじつはいちども使ったことがありません。つまり、それらは、僕にとっての日常会話、実用英語ではないのです。
 人によって「日常会話」や「実用英語」は異なります。
(中略)
 受験英語が実用的でないなんて、無責任で間違った考えを、どうか真に受けないでください。受験英語は、大学生にとっての実用英語です。そのことを、しっかり肝に銘じてほしいとおもいます。

ロジカルであるということ

 本書のテーマは、タイトル通り「英語長文がロジカルに読める」ようになることです。
 では、ロジカルとは何か。横山さんは、「英語の『心の習慣』」だと説明します。「ロジカルであること」は「英語的であること」と同義であり、ロジカルでない英文は存在しない。だから、「ロジカルとは何か」を学べば英語の文章が読めるようになる、というのが横山さんの提唱している「ロジカル・リーディング」です。

「ロジカルであること」を「英語的であること」と言いかえただけではその内実が見えてきませんので、ロジックとは何かという話に移っていきましょう。公式サイトには、「英語の『ロジック』を、もっともわかりやすく表したのが、ディベートで用いられる『三角ロジック』であり、ロジカル・リーディングは、それを英文読解に応用したもの」と書かれています。

 もしかすると、三角ロジックという言葉には聞き覚えがあるかもしれません。私の手元にある中学校の検定教科書『現代の国語1』(平成28年度版、三省堂)にも、「三角ロジックで論理的思考力を鍛えよう」というページがあります。

 三角ロジックの「三角」とは、「クレームclaim・データdata・ワラントwarrant」という三要素を表しています。この三つをそろえて三角形を完成させることがロジカルに書く/話すということであり、これらを区別して受信することがロジカルに読む/聞くということになります。
 クレームとは「意見」や「主張」のことです。ただし、なんでもクレームになるわけではなく、論証責任burden of proofを含んだ文であることが条件になります。そして、どのような文が論証責任を含むことになるのかを明確に定義したところが、長文読解の方法論として広く知られたパラグラフ・リーディングとの違いであり、ロジカル・リーディングのキモの部分です。ただ、それまで解説すると長くなるので、ここでは割愛。
 データとは、クレームのもととなる「事実」のこと。
 そしてワラントとは、なぜそのデータがそのクレームを支えていると言えるのかという「根拠」にあたります。
 前回紹介した小論文の書き方で言うと、クレームは「ポイント」に相当し、データとワラントが合わさって「サポート」になります。
 ためしに日本語で、具体例を作ってみましょう。

・挨拶をすることは大切だ。(クレーム)
・挨拶を交わすことで、相手に対して安心感が生まれる。(データ)
・安心感はスムーズな人間関係に不可欠だ。(ワラント)

「挨拶で安心感が生まれる」だけでは主張のサポート足りえず、「なぜ安心感が生まれるのがいいことなのか」というワラントで支えなければいけません。これぐらい常識的なワラントであれば省略されることも多いのですが、そうやって隠れてしまったワラントを推測してみるのも大切な思考訓練です。
 箇条書きではそっけないので、ひとつながりの文章にしてみます。

 挨拶をすることは大切だ。なぜなら、挨拶を交わすことで相手に対して安心感が生まれるからだ。円滑な人間関係を築く上で、安心感は不可欠なものである。

 さらに、実際の文章ではさまざまなレトリックによって説得力が高められています。

 生きていくうえで人間関係は避けて通れないものだが、その中でも、挨拶は大切なものだ。挨拶を交わすことで、私たちの心の中に相手に対する安心感が生まれる。子どものころ、私の父はいわゆる転勤族で、私たち家族も、父の仕事の都合で数年に一度は遠距離の引っ越しをするのがあたりまえだった。転校は、いくら繰り返しても慣れるものではなかった。新しい学校の見慣れない教室に行くたびに、緊張したものだ。転校して間もないころ、朝の教室で「おはよう」と挨拶してくれる同級生の、なんとありがたかったことか。自分のことを受け入れてくれたんだ、と感じて、ほっとしたのを覚えている。やはり、円滑な人間関係を築くにあたって、安心感は必要不可欠なものだといえるだろう。

 ボリュームはずいぶん増えましたが、言いたいことはひとつだけ、「挨拶は大切だ」というクレームです。残りの部分は、それを支える「挨拶は安心感を生む」というデータと、「人間関係に安心感は不可欠だ」というワラントで構成されています。
 ところで、「人間関係に安心感は不可欠だ」というワラントも、それはそれでまたひとつのクレームだと言えるでしょう。この新たなクレームを説明するために、さらなるデータとワラントが必要になってきます。こうした連鎖的な三角形がすなわちパラグラフ=段落であり、その積み重ねが英語の長文です。
 こうやって三角ロジックを追いかけながら読む訓練を徹底するのが、横山雅彦のロジカル・リーディングであり、その基本的な理論をトレーニングできるのが、『英語長文をロジカルに読める本』なのです。

木のロジックと森のロジック

 本書の特徴として、上記の三角ロジックの流れをマクロの視点=「森のロジック」とした上で、一文を正確に解釈するための英文法をミクロの視点=「木のロジック」として取り上げている点があります。関係詞や比較など、形がややこしくなりがちで受験生が苦手としやすい項目にも切れ味するどい解説を加えているので、長文読解と同時に単文を解釈する力も鍛えることができるのです。
 さらに、「ワラントを養おう」というページで、入試の英文ではしばしば省略される=「常識」とされている背景知識を解説しているのも特徴です。

想定読者層

 著者の英語観からもわかるとおり、本書が想定しているのは主に「難関大」と呼ばれる大学を志望する学生たちです。難関大になればなるほど、入試では構成のかっちりした論文(またはそれに準ずる文章)が出題されるので、ロジカル・リーディングで“よく切れる”ようになっていくのです。
 ですから、三部作のうち「理論編」であり「入門編」の役割を果たす本書とはいえ、並んでいる英文は決して平易ではありません。いずれも読むには骨が折れるでしょう。しかし、ある程度以上のレベルで英語ができるようにならなければいけない受験生にとっては取り組む価値のある一冊です。

代替本はあるのか

 ……という具合に、いい本なんですけど、いかんせん出版社在庫切れ重刷未定なんですよねえ。シリーズの続刊だけが書店に並んでいて、肝心の本書は新品で手に入らない。なんとか中古で、と思ってAmazonで検索してみたら、値段のつり上がり具合に目ん玉飛び出ました(2018年8月現在)。

 う~ん、なんとか本書の内容を代替できる本はないものか。
 あります。よかったですね。

 まずは、三角ロジックについて英語の文章を題材に学べる本。これは『ロジカル・リーディング ~三角ロジックで英語がすんなり読める~』(横山雅彦、2017、大和書房)が出ています。

英文を題材にした本を読むのはちょっと荷が重い、という一般読者なら、日本語で三角ロジックを運用する練習ができる新書『「超」入門!論理トレーニング』(横山雅彦、2016、筑摩書房)を手にしてもいいでしょう。


『完全独学! 無敵の英語勉強法』(横山雅彦、2015、筑摩書房)はタイトル通り英語の「勉強法」についての本ですが、「木のロジック」=文法の解説も書かれています。

ワラントにあたる背景知識は、『大学受験に強くなる教養講座』(横山雅彦、2008、筑摩書房)で詳しく読むことができます。


 一冊にまとまっていない点が短所に見えますが、逆に考えると、知りたいことを純粋に読めるのが長所だともいえるでしょう。いずれにせよ、難関大志望の学生にとって、ロジカル・リーディングは一度学んでおくとよい視点だと思います。

『ビジュアル英文解釈』にしろ『英語長文がロジカルに読める本』にしろ、到達度も高いですが要求される前提レベルも高い本でした。そろそろ、「もうちょっと基礎レベルの参考書は紹介しないのかよ」とツッコまれる気配がなきにしもアラブ首長国連邦の首都はアブダビ市。
 次回は英文法の、それも入門者向けの本を紹介したいと思います。

筆者紹介
.原井 (Twitter: @Ebisu_PaPa58)
平成元年生まれ。21世紀生まれの生徒たちの生年月日にちょくちょくびびる塾講師。週末はだいたい本屋の学参コーナーに行く。ビールと焼酎があればだいたい幸せ。

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