事業承継起業塾:6月のオフライン研修と、7月の事業承継人材育成研究会参加(事業承継起業塾に入塾して⑤)
6月のオフライン研修に参加
5月の衝撃的な絶叫声出し合宿に参加して、6月のオフライン研修(声出し合宿)にも参加。この時は、70万円を投資した手前「まだ、何とかなる筈だ」と塾に淡い期待を寄せていた。で、同じように6月22日、10時に四谷の教室に到着。ちらほらと、前の研修で見かけた仲間もいた、そして何より驚いたのが、新入塾生が結構な数いたことだ(新メンバーは赤いストラップを付けている)
10時に講師到着。信じたく無かったが、見慣れたシルエット。まさかの、石丸登場。私の淡い期待は音を立ててガラガラと崩れた。
いや、それでも信じたい。前回とは違う内容だろう。その期待も僅か1分で消し去られた。先月と同じような、サウナが趣味だとか、自宅の風呂で湯温を50度かなんかに設定して、それを口に含むと目が覚めるとか、後は、娘がどうたらこうたらという、どうでもいい話。そしてその後、驚いたことに本の朗読を始めた。意味不明である。それが、2時間ほど続いた。
確かに用事があったことは事実だが、正直内容によってはまだ残ることもできた。ただ、あまりの内容の無さと、前回と変わり映えがないことに落胆し、私は午前中でその声出し研修の会場を後にした。さようなら、四ツ谷。
繰り返しにはなるが、私は石丸のことは嫌いではない。むしろ好青年だと思っている。ただ、彼の話を金を払って聞きたいかというと、嫌だ。それだけだ。
頼みの綱、希望だった7月の承継人材育成研究会
その時には、塾生の中の横のつながりを通して、各所で個別のLINEグループが立ち上がり「なんかヤバそうですね、この塾」という雰囲気や実際のコミュニケーションが活発化していた。
それもその筈でカリキュラム上は、3ヶ月目から事業計画の策定と承継先探しというフェーズに入っている中で、私は事業計画を書き終えて、提出したものの、読まれた証跡(スプレッドシートの閲覧リクエスト※あえて設定した)すらないし、フィードバックも無い。
そして「当然にあるものだと考えていた」承継元の企業のリストなどが共有される雰囲気が全く無いのだ。
その上で、淡々と、大して内容の変わらない講義が同じ講師から、同じタイミングで実施される。ただ、それだけだ。その時点でも「カモられた🦆」と70%考えていたが、人間とは不思議なもので、カモられたことをすぐには認めたく無いのである。
なので、まだ未経験だったコンテンツ、最後の頼みの綱であった「承継人材育成研究会の見学」という会合に望みを託した。承継人材育成研究会とは、代表の植木さんの人脈で、さまざまな事業領域の経営者を集め、事業承継に関しての登壇や交流を行う会だ。建て付けとして、あくまでも研究会に塾生が参加させてもらう、という形なので、ダイレクトにでは無いが経営者とコンタクトを取って、事業の手伝いなどを通して、間接的に、あるいは中長期で事業の承継を狙うことは可能だと、事務局から説明があった。
私は、これだと思った。
その時から、特製の名刺(エレベーターピッチ用途)の制作に入った。経営者と挨拶を交わす際に、30秒程度で「何をやりたいのか」を分かりやすく、視覚を通して伝えるために。
海外事業に対する思い
私は2013年から2年に渡り、シンガポールへの駐在を経験している。ある金融機関のプロジェクトに参画させていただくこととなり、そのチャンスを得た。当時は、日本のIT業界が東南アジアを「宝の山」かの様に捉えており、続々と、大して英語もできないくせして、なんちゃってグローバルビジネスマンが量産された。そんな中で、手前味噌だが私はビジネスレベルの英語の使い手で、実際に現地でドブ板営業も行い、ゼロベースから数億円規模の案件を受注して、現地で仕事を生み出し、収益を生み出し、それに伴い雇用も生み出し、税金も払い、たくさん駐在員はいたが、どいつもこいつも無駄にインドネシアやらタイにアホみたいに出張して、1円も売り上げが立てられず、生産性ゼロどころか歩くコストみたいな奴しかいなかった。夜はカッページというキャバクラビル、休日は日本人会で宴会。なんのために海外に来たのか分からない奴らだらけだった中で、
私だけが収益を生み出すマシーンとなっていたので、ローカルスタッフからは「ILYはゴッド(神)だ」と呼ばれていた。ゴッドと呼ばれていたことそのものでは無いが、日本人が海外で、その国に貢献することの何とも言えない達成感や心地よさを感じた。今度は、自らの事業でそれを、再び実現したい。そんな思いが海外事業にはある。
エレベーターピッチ(名刺サイズ)の制作
イギリス留学時代に同じ時を過ごした親友がいる。今、彼はシンガポールに住んでいる。その親友からシンガポールでライブコマースのプラットフォームを開発&提供して成功している企業を経営している社長を紹介してもらい、3人チームで将来仕事をしようと、約束をした。昨年のことだ。
それを実現するプランを作った。日本市場が縮小していく中で海外市場を目指す企業は多い、仲介する事業者もいる。ただし、仲介コストやコンサルティングフィーが高く、また頻繁な出張コストも中小企業にとっては負担で、事業開発が進めにくい。また、ガッツリと工場を作るなどとなった場合には、簡単に撤退もできないリスクも伴う。
なので、上記のライブコマースを活用した、テストマーケティング支援と、プロダクトのローカライズ、また販路の獲得、要するに日本の中小企業の海外進出支援を行う事業を考えた。
その事業概要と、私の自己紹介が表面。裏面に、立ち上げメンバーとして、友人と、シンガポールの経営者の紹介を入れて、基礎の文章は作り、デザインは塾で知り合ったWebデザイナーの子に仕事としてお願いした。ちなみに、価格は良心的で納品も素早かった。エレベーターピッチ用の名刺を100枚印刷して、研究会の日を待った。デザインありがとう。そうだなぁ、名前を書くと問題だから、SENDAI。とでもしておこう。ありがとう、SENDAI。
承継人材育成研究会:当日(7月19日)
そして、当日を迎えた。会場は渋谷。少々遅れてしまったが、会場到着。見慣れたメンバーの顔も多い。最初の登壇者はBATONZ社長の神瀬さん。神瀬社長の話も、掛け値なしで良かった。事業承継とは、私もM&Aに関わるビジネスパーソンの端くれとして思うが、やれEBITDAマルチプルだ、ROEやら、ネットキャッシュやデットやら、そんなくだらない話では無いのだ。承継を願う社長がその事業を立ち上げた背景、夢、ビジョン、その社長のもとに集まった、思いを同じくする幹部社員の思いや家族を丸ごと引き取るのが事業承継である。だからこそ以下のリンクにある様に「信頼関係」の醸成がものを言う。
中山エミリのご主人が事業承継をされた話や、地方のサイダー工場の承継など、面白い話を聞けた。この時にBATONZをつぶさにチェックして、気になる案件を見つけて売り手と交渉し、合意にいたれば晴れて事業を承継できるイメージが付いた。
「待てよ、それでは、この塾に70万円も払った意味は?」
それは考えないようにした。
その他のビジター経営者の挨拶
植木さんがマイクを取って、その日に訪れていた経営者一人一人が挨拶をしていく。不動産、物流、コンサル、さまざまな方がいらした。一通り、挨拶が済んでから、勝負だ。名刺交換、エレベーターピッチの連発だ。と緊張感が走る。(勝手にだけど)
オウケイウェイブの杉浦社長は、本当にいい人だった。私の話を熱心に聞いてくれた。本当はもっと話したかったが、待ち行列がヤバい状態で痛いほどの視線を後列から感じたため、その後に連絡を入れようと考えて引き下がった。
後は、相変わらず合同会社銀座の太田社長も良い人だった。良い感じで相槌を入れてくれて、オフラインでお会いするのは初めてだったので、これも勝手にだが、親近感が増した。
その他の方も基本良い方ばかりだった。中でも物流会社の方が「最初はVCや借金なんかに頼らず、自分の資金で起業することをお勧めする」という言葉には重みがあった。そう、VCだの有限投資事業組合など乱立したが、その満期を最近迎えるファンドが多く、二束三文で売り飛ばされるベンチャー企業が仲介会社に列をなしていると聞く。株式会社、法人はその文字通り、法が形成する「人格」であり、株式は体の一部と同義だ。その体の一部を安易に外部に渡してはいけない。
一点だけ、不動産会社の社長だったと思うが「そんな事業やりたいやつ沢山いるから”せいぜい”頑張って」という様な趣旨のことを言われたのにはムカッと来た。ただし、まぁそんなもんだろうなとも同時に思い。逆に、燃えた。いっぱいいたって、実際にやる奴は1%、そして続ける奴はその中の1%、始めて、続ければいいんだ。
そして、これは事務局にも感心されたのだが、すごい勢いで名刺交換をして、その日に訪れていた経営者全員と名刺交換をして、ピッチを行った。逆に、モジモジしっぱなしのメンバーもいた。こういう時に、事務局や塾長が気を利かせて、塾生と経営者を引き合わせればいいのに。と思った。ただし、その態度を見てある考察に辿り着けたので、まぁ、良しとしよう。
そして、懇親会会場へ
植木さんと相当に関係性が深いのだろう。植木さんの話によくよく登場するファスティングマイスター学院の中武学長も参加され、懇親会会場へ。渋谷の”てけてけ”だったと思う。概ね参加人数は事務局も含めて、40人くらいだった様に思う。席は個室では無くて、よくサークルやなんかが新歓とかをやってるこんな場所、だだっ広い会場だった。
正直、嫌な予感は的中して、隣の島にお揃いTシャツ(水色)でやんや騒いでるベンチャー企業っぽい団体が居た。会場に着いた当初はそれほどでも無かったが、酒が回って水色Tシャツベンチャーズがうるさいのなんのって。正直これは碌な懇親会にならないなと、直感的に感じた。
で、上座に固まる経営者達、一生懸命酒やつまみの好みを聞いて、居酒屋の店員にオーダーを出し、乾杯の音頭までの段取りを整える「塾生」。乾杯の音頭が済み、談笑をする上座の経営者達。てけてけの飲み放題のコースのシステムなのであろうが、2杯目からは店員が用意してくれず、温泉に据えつけてあるシャンプーポンプのような容器に、満タンに入ったトリスと、大量の氷と、水、ソーダが配布される。俺の前に。
で、酒が無くなったと思ったら上座の経営者に合図を送って「ハイボールっすか?」「焼酎水割り?、あ、ソーダ?」みたいなやり取りをして、ひたすら飲み物を作る俺(塾生)。
いや、おかしいだろ。経営者とコミュニケーションを積極的に取ってチャンスを自ら掴め。って言ってたじゃん。で、何とか会話をしようにも、とにかく会場がやかましい。前に座っていた神瀬さん(BATONZ)1mくらいの距離だったが、全くと言っていいほど声が聞き取れない。そして、俺は酒作りと、隣の塾生仲間との会話に勤しむことを決めて、その場で何かを得ることは諦めた。
その中でもグループインベスターズの半田さんだけは塾生と一緒に座り、一生懸命コミュニケーションを取っていた。良い方なんだろうと思う。
そして、ラストオーダー。からの解散
酒は結構飲んだが、酔わなかった。渋谷マークシティの下から井の頭線の乗り場を目指した。名刺交換はしたし、やることはやった。でも、何だろう?このきっと何も起こらないだろうという感覚は。塾のコンセプトとは社会問題である後継者不足を解決するために、起業家を養成し半年で、事業を承継させるための機関を作ることだった筈だ。
では、どうして折角経営者と接する場所が、あのやかましい居酒屋なんだろうか?どうして、経営者達は上座に陣取って、自分たちだけで会話をして、本来主役である塾生が一生懸命、酒を作って、つまみに気を配らなければいけないんだろうか?
その時に察した。この塾は事業承継起業を目指す起業家を養成したいのでは無くて、情弱な塾生を利用して自分たちの名前を売っているのでは無いかと。塾の運営に関して、強い疑問を持つようになった。
そして、その日に限って仲間である、GAFAと外資のメーカーがその場にいなかった。なんでだよぉぉぉぉぉぉ。
帰り道の、渋谷の喧騒の中で妙な寂しさと悲壮感を感じた夜だった。
(続く)
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