褒めて育てるの本質
褒めて育てるって結局どういうこと?
高校生、小学生を持つ母でも時折考えることである。
私自身、あまり人から褒められたい!という一心で
なにかを一生懸命することはなかったし、今でもない。
そうなると、私に相当の自信があるからとか、
そもそも自己肯定感が高いからではないかと言われるが、
そういうことではないとは思っている。
もちろん褒められることは嬉しいが、
それが何かをする際のモチベーションにはならないということ。
そんな私なので、正直あまり褒めることが上手ではない。
褒めることが大事だとは思っていない節もある。
しかし、いろんなところで見聞きするのは
『褒めて育てよ』というキーワードである。
なるほど!確かに子どもには大事だなと心底思って
苦手だとか思っている場合ではないと、長男の小さい頃は
そんな私でも頑張って子どもを褒めていたこともある。
しかし何も変わらない。
何も変わらないというのは少し語弊があるかもしれない。
何も変わらないじゃなく、双方にピンとこない。
もちろん褒めれば子どもは嬉しそうにやっているが、それも数秒の事。
私はどんどんセリフのように褒めていく。
これでいいのだろうか、、、、
甘えと甘やかしの線引きに悩むお母さんをたくさん見てきている。
私も同じく悩んだ1人。
これは案に甘やかしを増長させているだけなのじゃないか?
育児本には、褒めれるだけ褒めるなどということも書いてあるし、
子どもは無条件に受容すべきとも。
でも何かが違う。
そうじゃない。
褒める目的って何だろう。
母になって15年、間もなく16年の私が考えて出した、今の答えは、、、、
褒めるの本質は、子どもに自信をつけるとか
なにか作用させる魔法の言葉ではなく、
『ここに存在していいという安心保証』のためなのではないかと思った。
つまり、安心感を生む場を作る合言葉なのではないかと。
そう解釈すると、すべてが腑に落ちた。
褒める言葉自体に何か魔法があるように感じるが、
そうなると私のようにセリフをただ言っているだけ。
こどももただ受け取っているだけ。
でも、無条件に作り出される安心安全な場所は自分のBeingを守れる。
守ってもらえる。
それが、褒めて育てよの真意なのではないかと。
私みたいに、褒めるのが苦手は母もいる。
どうやって声がけしたらいいかわからない人もいる。
でも、褒めるというのは案にその子の行動や言動を称賛するのではなく
安心を与える場づくりである。
そう思うと、やれることは多岐にわたる。
なんだか褒めるべき!と思っていた肩の荷も下りる。
そう思うと、私にできる褒めるはやっぱり快不快を感じてもらい
その不快を受け止め、快を共有することにつながる。
あ、やっぱり排泄育児だね、、、、、
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