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子育てに正解は無い、の本当の意味

子育てに正解は無い

このフレーズには耳にタコができて、
そこからもう苔が生えているくらい聞きすぎたものかと思います。

もはや、自分の都合の良きように解釈されている言葉でもありますが、
最近どうも、これは実はとても面白い意味を含んでいる言葉なのでは?
と思うようになりました。

つまり、正解はあるっしょ!ということ。

子ども3人との子育てを通し、
また、長年我が子とお客さまの排泄育児に携わる中で実感、
わかってきたことからお話しします。
*****

子育てに正解は無いという、この本当の意味は
『子育てに正解はあるけどそれは人それぞれに正解がある』
ということなのではないかということです。
正解は1つではないということも言えると思います。

私がSNS等で
『我が子へのアプローチ、間違っていなかっただろうか』
『これでよかったんだろうかと心配になります』
というような発信をすると、いろんな方から
『モロイさんでも心配になるんですね』
という声を聞くんですが、そりゃそうですよ(笑)

でもこれがつまり、子育てに正解は無いの真意であり、
私の見解で言うと、この心配になることが
子育ての正解であるってことなのかなと思うのです。

あ~わからん!って思うかと思います。
それは私の文才が無いだけ。

つまり、下記図を見ていただくと、少しわかるかと思います。


とある事柄に対して
あーでもないこーでもないと繰り返して積み重ねた結末に
ある1つの結果がついてきますよね。

でも、それをセットで考えたピンクの中すべてが、
私の考えで行くと、全部まるっと『その人の子育ての正解』
ってことなんです。
結果はどうあれってことです。

でも、一般的には、そこは置いといて、
黄色い部分の枠の中の〇の方が正解であって
うまくいかないバツだったらそれは不正解となってしまう。

でも、子育てとなると、その方程式は果たして、いかがなものだろうか
と思ったのです。

私としては、子育てにおいての正解は、
このピンクのもくもくの中においてのことであり、それを指しているはず。
あーだこーだの方法だったり、その結果の内容すべて。
その良し悪しは一旦置いといてほしい。

故に、子育てに正解は無いを間違って捉えると

無い=なんでもいい
無い=追わなくていい
になってしまうこともあるのではと。

更に、結果にフォーカスして考えてしまうと
▶黄色い部分の枠の中の〇の方が正解
▶うまくいかないバツだったらそれは不正解

これが子育ての方程式になってしまうと、私がいつも懸念している
結果にコミットしすぎて子どもを評価できない視点が根付いてきてしまう。

そして、上記の方程式が正しいとなってくると、
みな正解だろうと思う〇を求めるようになります。

そうなると、ピンクのもくもくの《方法》に意識が行ってしまう。
やもすると、HOWTOを求め、検索ジプシーに。

そもそも、この〇か×かの評定基準も
子育てにおいて考えるとあやふやなものではないかと思うのです。

親の感覚、周りのさじ加減、風潮、世の中の流れといったもので、
左右されがちです。

そして、黄色い枠の結果が怖いから、ピンクのもくもくを試行錯誤して
あーでもない、こーでもないと一生懸命にすることが、無駄に思え、
更にダサく思えて、挑戦するということが、もっと手前の実践をすることができない人が量産されているのではないかと。

でも、だからこそ、子育てに正解は無いというフレーズが
まことしやかに出てきたのかもしれません。

本当は、ある意味不正解は無いから、がんばってやってこ~
の意味だったのかもしれないですね。








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