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子育てと介護

私は排泄講座で、
ヒトとして同じということだったりすることと
サポートが必要という立場から伝えるとわかりやすかったりするので、
よく介護の話を引き合いに出します。

尿意についてがそうで、
赤ちゃんも痴呆の方も、わからない、尿意を感じない
のではなく、その状況認識が分からないということでは
同じですということで、説明をしております。

尿意は感覚として感じているけども、
それが、なんなのか?
そうなると、どうなるのか?
がわからないだけ。

つまり、《理解という認識》と《予測という判断》が付かないがゆえに
自分自身での自立した排泄ができないということです。

ということは、《認識》や《判断》が付けばあとは練習したら
出来る(体が動く)というわけです。

子どもでいうと、発達すべてにおいてが、《認識》や《判断》の連続で
出来る(体が動く)、それが基本となっています。

なので、認識するために経験し、判断できるように繰り返し練習していく。
それがつまり成長ということですね。

でも、子育てと介護、明らかに違う点があります。
これを理解しないと、どちらも同じようなサポート(介助)をしてしまい、
特に子育てで介護の視点でサポートをしてしまうと、成長を阻害することになります。

その違いとは、
これから学び《できるようになるできない》と
老化でどんどん《できなくなるできない》の違いです。

例えば離乳食で言うと、とろみの工夫です。
介護食でもとろみの工夫があるんですが、同じ意識でやってはいけないんです。

介護食のとろみは、飲み込みやすくするための工夫なので、
《できなくなるできない》をできるようにしているんです。
のどに詰まらせないように防ぐ意図があります。

しかし、離乳食は違うのです!
飲み込みやすくしたら、丸のみを助長させます。
丸のみは、口腔の発達にも、腸の環境、排便にも影響が出てきます。
じゃあとろみの工夫はなんなのか?

(こういうのもkuccaの食講座(単発)やkucca大学(軸コース)で学べます)

口の中に滞在させやすくして、もぐもぐかみかみができるように
するための、そして舌触りを良くするための工夫なのです。
《できるようになるできない》をできるようにする工夫なのです。

難しいかもしれませんが、かなり違うベクトルなのです。
ぜひ考えて欲しいです。

子育てとは、何をするべきことなのか。
親は子に何をサポートすべきことなのか。

良かれと思ってしていたことが、間違っていることもあります。
そしたら正せばいいだけ。

子育てと介護からの視点でも、多角的に思考するってことはこういうことかを、気づいていただければ幸いです。

Kuccaモロイの考えに賛同いただければサポートお願いします。 頂いたサポート費は、排泄育児に特化した本の出版費に充てたいと思っています。よろしくお願いいたします。