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自己紹介#1:写真の未来に寄り添うことを決めたわけ

はじめまして。大阪を拠点に写真を軸とした活動をしている窪山と申します。このnoteでは2009年より運営している写真ギャラリーのこと、2019年からはじめた「しゃしんのまど」の活動のこと、そして2つの活動を通じての気づきなどを中心に書き綴っていきたいと思います。最近の趣味は、DIYと猫あそび、息子のためと言いながらちゃっかり色んなおもちゃを買うことです。

さて、このnoteでは基本的に活動報告をメインに運営していきたいと思っていますが、最初の記事は、自己紹介を兼ねて私個人の話を濃い目に書かせていただきました(実際長くなってしまったので何回かに分けて投稿します...)よかったらお付き合いください。

※2022年7月に一部内容を修正しました。

「写真の未来に寄り添う」こと

写真ギャラリーを始めて10年を迎えた2019年、「しゃしんのまど」という活動をはじめました。「写真の未来に寄り添う」ことをコンセプトに、様々な分野の写真と関わる活動をしています。このシンプルな活動指針に至るまでは実はけっこう時間がかかっており、10年ほどかかってようやく自分でも納得した指針が見つかりました。

それぐらい私にとって「写真との寄り添い」は身近なもの。育った環境が今後の人生にも影響を与えるとよく言いますが、私の場合、写真がそれに当たるのかもしれません。過去に遡っていけばいくほど、フィルム時代の写真プリントから受けた影響は大きかった、そう感じます。

ここ数年、講義やインタビューで呼んでいただく機会が増え、自分の活動のことを人前で話すことが増えてきました。その際によく質問されることが「なぜその仕事をやっているの?」という素朴な問い。そのシンプルな答えに対して、長い間うまく答えれない自分がいました。

「ギャラリーをはじめた理由」について語ろうを思うと、イベントや講義では時間が足りません。だから、自己紹介をする際は「ギャラリーを始めたきっかけは、いろいろなご縁とタイミングが重なって...」とサラっと流すことがほとんどでした。でも、最近気づいたのは、聴く側にとっては、ギャラリー自体の活動のことよりも、ギャラリーを運営する私がこれまでどのような経緯や想いで写真と関わってきたのか、その「いろいろ...」の部分に興味を持っていることが多いようです。

そろそろ本題に移りますね。
自分なりに活動を振り返ると常に「写真」がそばにあった。そんなお話です。


写真に興味を持つきっかけ

2009年より作家さんの作品を取扱うコマーシャルギャラリー「ブルームギャラリー」を運営しています。この「表現としての写真作品」に惹かれのは案外遅く、社会人になってからでした。私にとっての写真の入り口はどちらかといえば、もっと身近なもので、母方の実家に残された家族アルバムとアナログカメラに感銘を受けたことがきっかけです。
祖父母が亡くなり、母たちが遺品整理をしている際にでてきた大量の思い出の品の中のひとつが、家族アルバムとカメラでした。おじいちゃんが大切にしていたカメラを誰が使う?そんな話し合いの中で、なぜか「親族の中で一番カメラを使いそう!」という謎な理由で私の元へ。ひょこっと現れた言った方がよいくらい、自然な形で譲り受けることになりました。それはギャラリーを始める少し前のOL時代、まだ写真のことを何もわかっていない、ど素人な時代の出来事です。

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祖父母の家は、福岡県太宰府市にありました。里帰りで毎年帰っていたので自分にとっても故郷と呼べる場所で大好きな土地です。しかし、肝心の祖父とは一度も会ったことがありません。私が生まれる前に亡くなっており、祖父の存在は写真と思い出話の中にでてくるエピソードくらい。ほとんど人となりを知りません。ただ、それでも身近が存在として感じるのは、家族アルバムの中の祖父はいつも温和で優しそうな表情をしていたから。実際に想像通りの人物だったようで、写真が趣味で自宅に暗室をつくり、プリントしては近所の人たちに配る。そんな気前の良いおっちゃんだったようです。


転勤族の家庭で育つ

もうひとつ、私が写真に興味を持つきっかけを掘り起こすと、自分が育った環境が大きく影響しているように思えます。

私は転勤族の家庭で育ちました。戸籍上、福岡県出身ではあるものの、太宰府で生まれてすぐに福岡を離れ、長崎・大分・愛媛と幼少期は2〜3年ペースで西日本を転々とし、小学校4年生で関西に転勤してからはようやく落ち着きました。以後はずっと関西に住んでいます。だからなのか、幼い頃の記憶は色んな場所の思い出が混じり合っており、結構あいまいで、幼馴染と呼べる友達もあまり多くはありません。ただ、記憶としてはっきり覚えているのは、仲良くなった友達と別れる寂しさがある一方で新しい友達との出会える楽しみを毎回持っていたということ。転勤は割と好きだったタイプのようです。その性格は大人になっても変わらず、良くも悪くも飽き性の私は、今でも2〜3年周期で新しい環境に身を置きたくなります。引っ越しや模様替えが大好きで、定期的にギャラリーもレイアウト変更をしたりしています。
ただ、転勤で唯一嫌だったことがあります。それは転校初日の全校集会。転校生は大概一番右側の列に座らされ、みんなの前で「転校生です」と紹介されます。すると全校生徒が一斉に振り返り、ジロジロと見られるその視線がとても嫌でした。今でも人前に出るのが苦手で「できるだけ目立ちたくない、できるだけ存在を消したい」そう思ってしまうのですが(笑)、それはきっと当時の苦い経験があるからだと思います。


写真館で家族写真を撮る

私の家は、転勤の度にその地域にある写真館を探し、毎年家族写真を撮る。そんな習慣がありました。今でもたまに台紙写真を見返すことがありますが、写真館のカメラマンの腕に比例するかのように、各地域で撮った家族写真の表情に大きな違いが見られます。

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これまで撮影した家族アルバムを見返すと、愛媛県に住んでいた頃の家族写真はダントツで良く、今もお気に入りの写真です。そこに写る家族全員の表情は緊張しながらも良い表情をしています。一方で奈良に住んでいた頃の写真はほんと最悪でして...(笑)、全員の表情が堅いし、アングルもイマイチ。特に姉と私は年々嫌々撮らされている感が増しており、表情からも不機嫌な様子がすぐわかります。撮影時期が思春期と重なったこともありますが、案の定、家族アルバムを撮る習慣は徐々に消え、アルバムも途中でストップしています。今となれば、露骨に不機嫌な表情をする私と姉の姿は、最高の失敗写真として良い思い出ではありますが、家族アルバムという存在は、当時の思い出を蘇らせてくれる大切な存在です。
ちなみに、一度途切れた家族アルバムは、息子が生まれたことをきっかけで再開しました。思い出を共有する方法として写真データも良いですが、たまに見返す家族アルバムの良さを知っている以上、どうしてもカタチある存在としての写真(プリント)に惹かれる自分がいます。まだ始まったばかりの家族アルバムですが、息子が嫌がるまでは毎年撮り続けていきたいと思っています。

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沖縄との出会い

時代はグググっと先に進みます。自分で写真を撮る時代のお話も少ししたいと思います。今も昔も作品としての写真は全く撮りませんが、記録やメモとしては写真はものすごい量を撮ります。その中でも一番写真を撮った時期は大学3年生の頃で、ほとんどは沖縄で撮りました。私は大学で生活環境学部という衣食住を学ぶ学校に通っていました。授業をいかにサボるか?そんなことばかり考えていたダメダメな学生で、卒業論文のテーマも決まらず、逃げるように遊びにでかけたのが沖縄。それがはじめての一人旅でした。

ただ、沖縄とは言っても私が訪れたのは沖縄市(コザ)。何を勘違いしていたのか、沖縄県の中心の都市は名前の通り沖縄市(実際は那覇市)と思いこみ、ネットで見つけた女性1人でも安心して泊まれるコザの宿に予約、その宿は、沖縄に移住してきた方が運営しており、週末にはオーナーのご夫妻が夜のコザに連れていってくれたりしていました。

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コザの夜に繰り出し当時の衝撃は、今でも鮮明に覚えています。夜の街で見かける人がほとんど外国人。しかも週末となると沢山の大人たちが集まりライブハウスやパブでお酒を飲みながら踊ったり歌ったりしている。大人が本気で遊ぶ街。表現に満ちた街。ほとんど海外経験がなかった私にとって「異国にきてしまった!!」それくらいの衝撃でした。

その時の興奮は余韻として残り続け、一旦関西に戻ってからも頭の中をめぐり、ついには大学のゼミの先生にこう宣言することになりました。

先生、卒論のテーマが見つかりました!
沖縄市に移住した人たちの調査をしてきます!!


それから3ヶ月間、コザに滞在しながら毎日出歩き、インタビューする日々。「この街の魅力は何ですか?」なぜ「コザに移住したのですか?」そんな話を昼夜関係なく聞き回っていました。その間、海も観光地もほとんど行かず、取り憑かれるように街を歩きまわり、当時持っていたデジタルカメラで街の隅々を撮るかのようにかなりの量の写真を撮っていました。

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街と関わる仕事に憧れる

沖縄の話はまだまだありますが、それはまた違う機会にあらためて書こうと思います。転勤族でこれまで色んな場所を転々とし、色んな街を見てきたこともあって、全国に好きな街、あまり惹かれない街というのがあります。その中でも、私にとってコザに滞在した時の経験や影響は、今でもあり、自分の活動の軸になっている部分も大きくあります。何より、当時撮った写真を振り返ると、私の熱量が半端なく、音楽イベントやフェス、アーティストが描いた壁画、鮮やかに彩られた個性的な看板などなど、街をトレースするかのように沢山の写真を撮っていたことにあらためて気付かされます。

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沖縄滞在ののち、就職活動の時代に入ります。大学卒業後の進路を考えるにあたり、わたしは建築関係や住宅メーカー、インテリア会社などで働くことを選びませんでした。どちらかと言えばもっとソフトな部分で街と関わる仕事に就きたい!そう思うようになっていたからです。「街全体を使って遊ぶ」こと、「特定の街に惹かれて集まってくる人々と一緒に面白いことを企てる」こと。そんな仕事に憧れを抱くようになっていました。ただ、現実はそのような仕事を見つけることはできず、一旦金融関係に就職した訳ではありますが、街や人と関わる仕事にいつか関わりたいと気持ちは、ずっと持ち続けており、今はありがたいことに、写真の活動を通じて色んな人や街と関わる仕事ができている。そして「しゃしんのまど」の活動は、写真を介して地域と関わることを目指しているので、今後はもっと深く関わっていくだろう。学生時代にやりたかったことが少しずつ叶いはじめているのは、ギャラリーという場があったからこそ。色々模索しながらも場所を10年以上運営してきて本当によかったなと今更ながら思います。

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自分の故郷とは

少し話を戻すが、フィールドワークを通してコザで出会った人から感じた地元愛や故郷への想い。それは羨ましくもあり憧れでもあった。私には特定の「故郷」と呼べる土地がないから余計にそう思うのかもしれない。転勤族で定期的に居を移すこと自体は嫌ではなかったが、同じ地域に住み続け、幼馴染がいるという環境を持つ友人が少し羨ましかったりする。ただ、特定の故郷はないにせよ、私にも「故郷」と感じる場所がいくつかある。それは太宰府だったり沖縄だったり、今住んでいる大阪だったり。滞在している年数に関係なく「ふるさと」と感じる場所が複数存在する。その共通点は以下の2つであろう。

・その地域に「戻ってこられる場所」があること
・出迎えてくれる「誰かさん」がいること

それが、私にとっての故郷。故郷はたくさんあってもいいと思っているし、もっと増やしていきたい。


キーワードは『持ち運べる』

そんな私の価値観と相まって、今運営している「ギャラリー」も「しゃしんのまど」の活動も『持ち運べる』をひとつのキーワードにしている。実際、拠点を大事にしながらも、活動自体はあまり縛らないような基準で物事を決めている。バスケで例えるとピボットするかのように(実は高校時代はバスケ部でした)、軸足は常に拠点に置きながらも、片足を全方向に動かしながら新しい出会いの着地点を探っていく。来てもらうことも嬉しいが、私たちも積極的に出向く。その出会いがいつも楽しみだったりする。

今、連日新型コロナウィルス関連のニュースが溢れており、私ももれなく展覧会の延期や活動自粛などの対応を迫られた。当然経済的な部分での影響もないとは言えないが、運営自体を見直すことにはならなかった。もともと「拠点」と「出向く」を前提に活動してきたので、むしろボトルネックでもあったオンラインサービスの認知が広がったことで好転している部分も多い。一方で「場所を構える=来客を待つ」。そのような形態で場所を運営していくことの難しさと時代の終焉をあらためて感じる。これから必要となってくるのは拠点の「在り方」。その場所で何をしたいかよりもどう在りたいかを考えることが大事になっていくだろう。


「持ち運べる」=「戻って来られる拠点がある」

「持ち運べる」と「戻ってこられる」。私にとってこの2つは常にセットとして考えている。なので、今はこの両者をどのようにスムーズにつなぐか、関わる人や場所、情報などのネットワークを少しずつつ開きながら日々試している。今最優先で考えているのが「戻ってこられる拠点づくり」様々な写真の未来に寄り添うために、大阪の拠点である「ブルームギャラリー」や「アトリエしゃしんのまど」をもっと「誰かさんにとっての故郷」にしていきたい。

国内外のお客様にとって、作家さんにとって、地域にとって、様々な分野の写真にとって、たまに帰ってきても出迎えてくれる場所、戻って来られる場所。そんな故郷としてのお店づくりを目指している。


続きはまた次回

「ギャラリー」や「しゃしんのまど」をはじめるきっかけ、まだ全く話せてませんね、すみません...。でも、活動の根っこにある写真と私との関わり方を知ってもらうことが今後の活動の理解にも繋がればいいなという想いもあるので、次回も懲りずに自己紹介の続きを書いていこうと思います。少しでも興味を持ってもらえたら嬉しいです。ではまた、近々続きを投稿します!


※最後になりますが、よかったらこのnoteをフォローしていただいたり、しゃしんの窓の活動を応援していただければ嬉しいです。少々サボりぐせがあるので、続きを書く後押しになります。また、今後はさまざまな地域の写真アーカイブ事情を取材したり紹介する形で、皆様の応援の声を還元できたらと思ってます(^ー^)






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