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世界初「ミオシリン」の発見の裏側

こんにちは。
窪田製薬ホールディングス広報の市川です。

窪田製薬は、”世界から失明を撲滅する”ことをミッションとし、目に関わる創薬、デバイス開発を行っています。創業者の窪田については(こちら)にまとめてありますのでご覧ください。

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窪田博士は眼科臨床医として緑内障、白内障、網膜疾患などの執刀治療経験を持つ。慶應義塾大学の眼科学研究の過程で緑内障原因遺伝子であるミオシリンを発見、神経変性網膜疾患の分野での功績が認められ「須田賞」を受賞。(窪田製薬コーポレートサイト_マネージメントチーム)

社長の窪田の人生において、初めて世界にインパクトを与える結果となった遺伝子「ミオシリン」。ミオシリンとは一体何なのか、なぜ窪田がミオシリンを発見できたのかについてまとめていきます。

「ミオシリン」ってなに?

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ミオシリンとは、緑内障の原因遺伝子の一つです。
緑内障は、日本の失明原因の第一位を占めており、日本社会において重要な課題の一つとなっています。
緑内障の疾患遺伝子は、現在少なくとも6個の存在が確認されており、その内で明らかにされているのは、「ミオシリン」を含めて2個のみです。

緑内障は、いくつかの種類に分けられていますが、一般に多いのは”開放隅角緑内障 (かいほうぐうかくりょくないしょう)”です。

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緑内障は、眼圧という、”目の圧力”が高くなることによって、じわじわと少しずつ、視野の外側から見えなくなる病気です。

開放隅角緑内障は、眼圧上昇は軽度なので、症状がかなり進行しないと自覚症状がありません。視野障害の進行なども通常はゆっくりです。眼圧が正常レベル(20mmHg以下)である「正常眼圧緑内障」も、開放隅角緑内障に含まれます。

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ミオシリンは、特に若年発症(35歳以前)の開放隅角緑内障患者に比較的多く見られており(36%)、成人発症の開放隅角緑内障の患者では3~5%に変異が見られます。また一部の晩期発症型家族性開放隅角緑内障の原因にもなっていることもわかってきました。現在ミオシリンは、様々な機関で研究が進められています。

まさかの発見と周りの反応

慶應義塾大学で研究を始めたばかりの窪田は、これからどんな困難が待ち受けているかも知らずに、毎日ワクワクしながら実験をしていました。

所属した清水研究室は、世界的な遺伝子解析のプロジェクトに参加していることもあり、ライフサイエンスの精鋭が集まっていました。設備も最先端の分析機器が何台もあり、ハイテク工場のようでしたが、清水教授の方針は「来るもの拒まず」であり、右も左も分からないその他大勢の駆け出し臨床医もあふれている研究室でした。

窪田は、網膜の病気に関わりのありそうな遺伝子に絞って、ほとんど一人で研究を始めました。当時の遺伝子解析では、遺伝子を分離する時に、2枚のガラスで挟んだゲルを使っていました。ガラスに少しでも汚れがあるとレーザー光線がうまく通らなくて実験が失敗してしまう、そのため遺伝子解析装置をくる日もくる日も磨いていたといいます。

1995年の冬のある日、午後10時すぎにひとりでにコンピュータのモニターを眺めていると、どの臓器にも発現せず、網膜のみに発現している遺伝子がディスプレイに現れました。一瞬、身を乗り出しましたが、それまで、失敗に次ぐ失敗を重ねていたので「何かの間違いでは…」と、にわかには信じられず、その後、数日かけて行った確証実験により、ようやく探し求めていた遺伝子を発見したという実感が湧きました。

遺伝子の配列がタンパク質のミオシンに似ているため、この遺伝子に「ミオシリン」という名前をつけました。試験管洗浄を初めて9年、実際に研究に着手してから実に5年が経過していました。

当時の窪田は、ただ細胞を観察するだけでも非常に強い関心を持っていました。「もし、この細胞を見続けていて、一瞬でも細胞が表情を変え、ニコッとするのを見つけたら歴史に残る大発見になるな」とさえ思いながらも夢中で観察していたそうです。ひたすら変化のない、細胞を見続け、そこに興味を持ち続ける日々。「ミオシリン」の発見は、思いがけない発見でしたが、世界で初めての発見としてあらゆるメディアで取り上げられました。

のちに米国の研究グループStoneがミオシリンと同じ遺伝子を見つけていたことが判明しました。彼らはちょうど同じ時期、独自の手法でミオシリンを見つけ、独自の名前までつけて学会で発表していました。全く新しい物質として発表された両者は、その後、権利を廻り様々な議論を生みましたが、幸いなことに、国際遺伝子学会の客観的な判断により、今では「Ryo Kubota」の名前が正式な発見者として刻まれています。

世界から失明を撲滅する

幼い頃から父の都合で転勤が多かった窪田は、動物が大好きでした。目を見るだけで気持ちが通じたような気持ちになりとても嬉しかったといいます。
次第にその「目」の魅力に非常に強い関心をもち、臨床医として研究開発に没頭。その後は、眼科医として実際の医療現場にも従事しました。

そこで目の当たりにした”失明”という想像を絶する失望。

窪田製薬はこの壮大なテーマに対し、これからも研究開発に取り組んでいきます。

「世界から失明を撲滅する」
窪田製薬ホールディングス

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