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「おうち犬バッキン」最終回を前にして

ついにバッキンが逝ってしまいました。リアルな現場では漫画と違い、もっと大変な状況なのだろうと想像しますが、バッキンも架空の世界の犬ではありますが、生まれて死を迎えるまでの人生(犬生)を立派に全うしました。

私も過去に愛犬の「死」を受け入れた経験があります。が、それはとても辛いものでした。何年も愛犬を思い出しては、誰もいない場所でこっそり泣く日々でした。愛犬が残してくれたものは単なる「思い出」なんかではなく、想像以上に「何か大きなもの」だったように思います。

私は孤独な少女でした。愛犬がそばにいてくれたことで、何度も心が救われたことがありました。私の家族は、犬を飼うというのには無頓着で、あまり良い飼い主ではなかったので(この辺りのことは「コロちゃんが大変」という作品にも少しづつ描いています)愛犬にとっては人間に都合よく可愛がられただけの存在だったのだろうと思います。可哀想な環境下で飼われていたと思います。子供だった孤独な私ですら、愛犬の気持ちなどお構いなしで、自分の都合で寂しい時には抱きしめ、大変な時には愛犬を振り返ることもしませんでした。何故もっと大切にしてあげられなかったのだろうかと反省の気持ちばかりが思い起こされます。今も愛犬を想うと、どうしようもなく、切なくなる自分がいます。

「おうち犬バッキン」は長い間
私自身の心に残り続けました。


時々、当時の読者だった方々から、くぼへメッセージが届きました。何気なく読んでた「おうち犬バッキン」が時間を経て何年経っても頭を過ぎり、あまりにも忘れられないので再び読めないものかと本を探してみたけれど見つからず、偶然、作者くぼのサイトへ辿り着き、もう一度、バッキンを読みたい!という気持ちを切々と綴ったメールを送って来た方がいらっしゃいました。

また、当時、普通に明るいペットの飼育企画漫画だと思い、お子さまと楽しく読んでいたところ、バッキンが徐々に老いて行き、そして「死」を迎えたことに衝撃を受け、読んだ直後からトラウマのように悲しくて悲しくて仕方がなかったといったような反応をされてた方もいらっしゃいました。

私も同じでした。

愛犬を亡くしたのはバッキンの作品が生まれる ずーっと昔の話です。愛犬を思い出しても、もう泣かなくなっていた私でした。ところがバッキンを読んでしまった時に、突然、私の中に愛犬への溢れる想いが出て来ました。私は愛犬と本当のお別れが出来ませんでした。事情があって最期を会えないままのお別れでした。私以外の家族は愛犬の死に目にあっていたのです。私だけが愛犬の死を受け入れられずにいました。お別れが出来なかったのです。最期の姿も見ていません。生きている姿が最後です。再び愛犬に会った時には彼はもう土の中でした。

だから今も愛犬が死んだという実感が持てずにいるのでした。

「おうち犬バッキン」は初めから、あのような展開だったわけではないと思います。おそらく真正面から「死」を描かなくても企画は成立したと思います。説明の中でサラリと愛犬の「死」について触れれば済むことです。むしろ低学年向けの企画作品なので、その方が、あっさりと受け入れられるものになります。なので、わざわざ漫画の中で「死」を強調&表現しなくても良かったのです。

描き進めて行くうちに
くぼが、あのような形にして行ったのでしょう。

漫画家にも いろいろなタイプがいます。くぼは元来、企画物を専門に描いてる漫画家ではなく(そう思われがちですが)「自己表現を持つ漫画家」の一人でした。器用なのか不器用なのか、企画物も、そつなくこなしてしまうので、そのような仕事も多く引き受けてしまうのですが、その際には必ず自己表現も同時に取り入れてしまいます。ただの企画漫画では終わらない。どんな仕事にも(自分でなければ!という表現を)漫画作品としての意味を必ず込めて描きます。

バッキンも、そうでした。


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例えば、この下の ↓ シーン。

子犬の頃、バッキンが初めてのトレーニングで覚えたのが「うんち」でした。田中一家の掛け声でバッキンが初めてトイレで「うんち」を成功させるのです。初めて飼い主と犬とが共同で行った作業です。最終話でも伏線で、それらの事情を紹介しながらの、このシーン。家族で行う最初と最後のシーンがリンクします。


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ギャグ漫画です。もうトコトン、ギャグ漫画です。

田中一家の掛け声でバッキンに奇跡が起きますが、条件反射なのか、日常の延長で、いつものようにバッキンは「うんち」をします。もう笑っちゃうぐらい、でっかい「うんち」です。完全に蘇ったかと思うほどの大量の「うんち」は、これから「死」に向かって行くバッキンの「生」を表していると私には思えます。

まるでコントのような展開。
意表を突いた、とても、
くぼらしい 明るく楽しい
そして、悲しいシーン。


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この作品の主人公は小学2年生だったケンちゃんと愛犬バッキンの「ふたり」です。ケンちゃんに最後の最期に抱きしめられながら、バッキンは静かに息を引き取ります。でっかい「うんち」は、バッキンの残された全ての力を振り絞り、飼い主である田中一家の掛け声に応えるかのように出し切ったのではないでしょうか。

ケンちゃんの腕の中でバッキンは、満足そうに幸せそうな顔をしています。
そして、眠るように静かに逝ってしまいました。

死んでしまった瞬間、ケンちゃんとバッキンは
子供の頃の二人に戻って表現されています。

このシーンは私の心に突き刺さりました。

愛犬が死んだと聞かされた時、私も子供の心に戻ったからです。
小さな小さな愛犬の愛らしい姿が思い起こされて
とても哀しかったのを今でも覚えています。

ケンちゃんとバッキンの、このシーンは
おそらく多くの愛犬を見送ったことのある方達の
あるいは、これから それを迎えうる方達の姿だろうと感じました。


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そして 次の ↓ このシーン。

小さなバッキンが可愛い顔をして無邪気に走って来ます。可愛くて小さくて元気だった頃のバッキンが、たまらなく愛おしい姿で駆け寄って来ます。でもバッキンは、いつものように飛びついて来るわけではありません。自分を追い抜いて走って行ってしまうのです。途中、一瞬 立ち止まってバッキンがこちらをチラッと振り返ります。そして、また走り出して、とうとう行ってしまいます。そうです。本当に逝ってしまいました。

このシーンでは、もう号泣しました。

何年経っても、この1ページの、このシーンを見る度に
大好きだった愛犬を思い出して哀しくて恋しくて切なくて
何度も何度も泣いてしまうのでした。

バッキンがミニバッキンを頭に ちょこんと乗せて走ってる姿を見るだけでも泣けてきます。まだ乗せてるんだ〜(笑)と、泣き笑いのシーンでもありますね。お尻が丸見えなのも、可愛くて可笑しくて、そして、とても愛おしくて哀しい。

みんなの愛犬の姿をも代表してるかのようです。
きっと多くの皆さんが、最後の最期に
愛犬の、このような姿を見てるはずです。


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最終話(1)を改めて読んでみて気づいたことがあります。くぼ自身も気付いていないと思いますが、バッキンでは、危篤状態でありながら、いつもの日常の、いつもの田中一家と愛犬バッキンの様子を描いていました。「いつものように」何でもない日常の中にある「生」です。

ケンちゃんはバッキンに、いつものように声をかけます。
パパもママもお姉ちゃんも一緒になって、いつもの日常を最後まで。

そしてバッキンは、いつものように「うんち」で応えます。
いつも通りの日常。いつも通りの人生(犬生)。
そこには幸せが溢れています。
「生きる」ということは、そういうことです。

こういう表現を自然体で描いてしまう くぼに
私はある人を思い浮かべました。

それは義父です。

くぼの中に義父を見る思いでした。

義父は末期癌で亡くなりましたが、なくなるまでの義父の姿を以前、私はnoteで描きました。「父とプレイステーションとドクターマリオ」の中に出て来る「義父の生き方」に共通するものをくぼの中に見たのです。

いつものように「生きる」こと。
普通の日常を「普通に生きる」こと。

そしてそれは、犬も人間も、
普通に「死」を迎えることにも
繋がっているのではないかと思います。


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最終話(1)は、ちょうど連続投稿200回目の記念の日となりました。
最終話は あと1回 残っています(最終話は(1)と(2)に分かれています)

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最終話を前に、第9話目の最後の更新(5)がフォロワーの ぼんぼるさんにオススメをいただきました。とても嬉しいコメントとサポートもいただきました。「おうち犬バッキン」が多くの皆様に読んでいただけるだけでも嬉しいのに、応援までいただいて心から励みになりました。noteに載せるのは冒険でもありましたので、涙が出るほど嬉しく思いました。

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そして、読んでくださっている多くの方々、スキをポチッとしていただいた皆様、アクションこそなくても、ちゃんと読んでくださった皆様、Twitterやnote外から読んでいただいてる皆様、コメントを毎回、書いて下さった皆様、通りすがりでも覗いてくださった皆様、TwitterなどでRTしてくださった皆様、その他、いろいろな応援をしてくださっていた皆様、本当に本当に、ありがとうございました!

残り、あと1回です。


登場人物の ↓ おさらいをしながら
最終話(2)の更新を楽しみにしていてください。

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最終話(2)の更新予定は
「明日」か「明後日」になります。


ただいま文字入れ奮闘中ですので(汗)
間に合えば、明日。少々、手こずったとしても明後日です。


最終話(1)ではバッキンが逝ってしまいましたが、でも田中一家とバッキンのお話は、それで終わりではありません。愛犬が死んで「おしまい」というのは現実的ではありません。リアルに犬を飼うということが、どういうことなのかを最後まで描き切るというのが「おうち犬バッキン」という作品の使命です。


最終話(2)には「おうち犬バッキン」の
本当のラストが用意されています。
そこを飛ばさず、どうか
本当のラストを見届けてください。


引き続き 最後の最後まで
お付き合いください!!!


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「おうち犬バッキン」
マンガ:くぼ やすひと
ご案内:久保マシン(C)くぼちー


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はじめての犬を飼うところから老いて愛犬とのお別れまでを感動的に描いています。成長する愛犬と家族の物語を読みながら<犬の飼育方法>も一緒に学べます。初めて犬を飼う方、すでに飼ってる方にも参考になる情報満載です。

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