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久留米絣シリーズ開発ストーリー「伝える」

「畳を後世に」

私たちはこの使命を果たすべく、日々考え、日々努力を重ねています。

その中で、他の分野の方の取り組みを学ぶことを大切にしています。

今回は福岡県筑後エリアに受け継がれている「久留米絣(がすり)」の
織元を訪問して学んだことを綴っていきたいと思います。

”夢も希望もなかった産業”がなぜ世界から注目されるようになったのか。

1.久留米絣の噂

古くから日本国民に親しまれてきた綿織物。
しかし、福島県の「会津木綿」で残る織元は2軒のみ。
三重県の「伊勢木綿」に至っては1軒のみとのことです。

そんな状況の中で、福岡県の「久留米絣」は30軒近く残っているとの噂を聞き、その秘訣を学ぶために先日訪問してきました。
(いつも移動はコツコツ貯めたマイルです)

その前に、そもそも「絣(かすり)」とは何か。

糸を先に染めてから織り、柄を出す綿織物のことを言います。
昭和初期まで普段着として着られていた着物で、
かすったような柄に見えることから「絣(かすり)」と名付けられました。

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引用:久留米絣協同組合

福岡県久留米市を中心とした筑後エリアで生産されているのが久留米絣。
今回はその内の1社「下川織物」さんを訪問してきました。

2.かつては夢も希望もなかった

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博多でレンタカーを借りてそこから約1時間。
「下川織物」さんは福岡県八女市にあります。
(八女市は「八女茶」やホリエモンの出身地としても知られていますね。)

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事前に連絡はしましたが、「畳屋をやっています!勉強させてください!」と伝えると、代表の下川富彌さんが快く受け入れくださいました。

御年80歳ながら背筋がピンと伸びているのがとても印象的です。

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下川さんは語ります。

息子が跡を継ぐために帰ってきた時は夢も希望もなかった。
安価な海外製の流入、そして伝統工芸としては誰も興味を持たない。
しかし売れなければ継続できない。

そんな厳しい状況の中でなぜ今まで残っているのか、
そこには三代目である息子さんの活動がありました。

3.「伝える」ということ

作ることだけに専念してはいけない。
知ってもらうこと、伝えることを大切にするべき。

①インターネットを活用した情報発信

 ブログ、Facebook、Instagram、YouTube、Twitter、Tumblrという6つのツールを使って毎日リアルタイムに発信。

②工場見学の受け入れ

オンラインでの情報発信だけでなく、実際に見てもらい触れてもらって久留米絣の良さを伝える。

③久留米絣を使ったビジネスモデルを発信

着物、洋服、雑貨、インテリアなど久留米絣を使った商品のビジネスモデルを紹介して、企業を志す方を支援。

④海外プロジェクトへの参加

海外のデザイナーや服飾系の学生に久留米絣の良さを伝えて、
一緒にものづくりをするプロジェクトに積極的に参加。

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海外での活動の様子を説明する下川代表

もちろんすべてを一人でやるわけではなく、職人気質で発信が苦手であれば、発信が得意な人をチームに入れればいい。

とにかく「伝える」ことをしないとその斜陽産業に新たな道は切り開けない。

この「伝える」という言葉には周囲とのコミュニケーションや行動という意味が含まれていると感じました。

下川代表は私に強くこう言いました。

「畳の魅力をみんなに伝えなさい!そして畳のファンを作りなさい!」

4.畳コースター「久留米絣シリーズ」

ご案内いただいた下川代表に、久留米絣を使った畳コースターを作らせていただきたい旨を伝えると、快く受け入れていただきました。

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一緒に選んでいただいたのが久留米絣を代表的するこの柄。

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畳コースター「久留米絣シリーズ」の完成です!

久留米絣に学び、久保木畳店の挑戦はこれからも続きます。



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