羽生善治さんに学ぶ「直観力」
拝啓 奥さんへ
棋士の羽生善治さんによると、棋士は「直感」と「読み」と「大局観」を使いこなしながら対局に臨んでいるそうです。一般的に経験を積むにつれ、直感と大局観の比重が高くなります。これらはある程度の年齢を重ねることで成熟していく傾向があります。「習うより慣れろ」といったところでしょうか。「読み」は計算する力、したがって若手のうちは読みを中心に考え、年齢とともに「たくさん読む」ことよりは、徐々に大雑把に判断する、感覚的に捉える方法にシフトしていくそうです。これは将棋だけに限らず、あらゆることで使える方法だと思います。
直感は、磨くことができる
「直感」とは、一瞬にして回路をつなぐものです。カーネギーメロン大学の金出武雄先生によると「論理的思考の蓄積が、思考スピードを速め、直感を導いてくれる。計算機の言葉でいえば、毎回決まったファンクションが実行されているうちにハードウェア化するようなものだ。それまでは毎回発火していた脳のニューロンが、その発火の仕方がいつも同じなので、そこに結合が生まれ、一種の学習が行われたということではないか」ということです。
将棋の世界には、「長考に好手なし」という言葉があります。長く考えたからといっていい手が指せるわけではないのです。むしろ、長く考えているのは迷っているケースも多いからで、創造的に考えていることは少なくありません。そこで、迷宮に入り込むことなく、「見切って」選択できるか、決断することができるかが、自分の調子を測るのに分かりやすいバロメーターになるそうです。絶対の自信はなくとも思いきりよく見切りをつけられるか、それは、直感を信じる力にも通じているのでしょうか。「見切り千両」という言葉もあります。これも、日常生活の参考になるアドバイスですね。
直感を磨くためには、無駄と思われることが大いに役に立つことがあると羽生さんは言います。たぶん無駄だろう、どうせ役に立たないけれど、というくらい気楽な気持ちでやっていたほうが、たとえ直接的ではなくてもヒントになったり、何かのきっかけになったりします。つまり、無駄はない。無駄と思えるランダムな試みを取り入れることによって、過ぎたるは猶及ばざるが如しを回避できるのではないかと考えるわけです。
「他力」を活かす
将棋では、対局中、相手の集中力によって自分の集中力が呼び起こされることがあるそうです。脳が共感するとでもいうのでしょうか。お互いにピンポンのボールを打ち合っているうちに、リズムが合ってくるようなものらしいです。心理学ではミラー効果というそうで、相対した相手と同じ動きをしているうちに、心理的にも同調することができ、安心して相手の話を受け入れやすくなったり、相手に好意をもったりすることになるそうです。
羽生さんが言うには、「自分が何を選択するのも大事だが、トッププロ同士で一番のかけひきは、いかに自分が何もしないで相手に手を渡すかだ。そして相手の出方を見てから指す。その対応がいかに柔軟にできるか。自分で流れを構想したからといって、それでよし、ということはない。」
それは、武術に似ています。相手の出方、相手の力を利用するということです。こちらから何かしようとするよりも、相手が動く、その力を自分の力に変える。ある意味協働して流れを築いていきながら、タイミングを見て、ここぞというときには相手が投げ返すことのできないような一手を繰り出す。それが勝負どころです。「他力」を活かすことが大切なのです。
健全な粘り
あきらめるか、あきらめないかを決断するのは、本当に難しい。
そのとき羽生さんは、その状態が自分として健全か不健全かで考えるそうです。単なる悪あがきで、どう頑張ってもまったく勝ち目がないどころか、意味のないところを延々と粘るというのは、不健全なことです。一方、あんまりさわやかにすぐあきらめてしまうのも、これまた次にいい影響を与えません。
そこにちょうどいい粘りというようなものが、何かあるような気がします。それは極めて感覚的なものではあるし、毎回必ず同じレベルのものではないのですが、そういうものを試しながらやっていくのが、健全な進み方ではないでしょうか。
健全とは要するに自然に続けられることです。そうでないのは、やはり不健全で、無理があります。どこかに歪みがある。短い時間のことならいいですが、長くは続きません。羽生さんのスタイルは、夫にはしっくりくるものがあります。
自己否定はしない
将棋は、突き詰めていくと、自己否定につながりがちだそうです。なぜならば、すべてを自分で決断して臨む勝負だからです。何を選ぶにしても選ばないにしても、いずれにせよ自分の責任です。
当然ミスもすれば、おかしなこともたくさんします。それらをすべて自分のせいだ、自分の責任だと突き詰めていくと、結局、自分はダメだということになってしまいます。
いや、もしかすると本当にダメかもしれないが、そこを深く考えても仕方がありません。自分自身の出来がいいとか悪いとかいうことは、もういかんともしがたいことでしょう。だからそこはもう割り切っていくしかありません。短期的には否定的で、長期的には楽観的に考えるのが良いでしょう。
人は、棋士は特に、過去の自分の選択に対しては基本的に楽観的になって、未来の起こっていないことに対しては悲観的になる傾向があります。もちろん、未来に対して用心することは、未然に予防するとか、危機を察知する意味では大事なことですが、それも度が過ぎるは健全ではありません。
そういった傾向があることを承知しているからこそ、そこで意識的に行き過ぎた悲観をほど良いところまで引き戻す作業をしなければいけません。
これを読んで「羽生さんのような天才でも自己否定することがあるのだな」と思いましたが、逆に、人間としての親しみを感じました。「自己否定はしない」それは難しいことかもしれませんが、羽生さんからの教訓として胸に刻みたいと思います。多謝。
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