終わるというより残る


お久しぶりです.
MAKKURAGEのBa.の首巻です.


今月11月はライブが無いですが,少し忙しい日々を過ごしており最近一段落しました.
近々皆さんに喜んでいただけるような何かしらを発信出来ればと思っております.



話は変わりまして,先日この前の対バンでとても感銘を受けたバンドが活動休止をしてしまいました.
僕の好きなバンドのほとんどは解散か活動休止,または初期とは違う形態への変化が行われていますが,リアルタイムで衝撃を受けたのは久々でした.

解散や活動休止というものは,勿論悲しいものです.しかし,現代での音楽はサブスクリプションサービスにより,当時の曲がCDが無いと聴けないということは少なくなりました.
今はバンドが消えてしまっても,その世界は残り続けるという認識でいます.元々CDという形でも残ってはいますが,CDも経年劣化しますのでそのまま残ることは無かったわけです.

しかし,サブスクリプションサービスが終わってしまえば無くなってもしまいますし,CDを買っておけば良かったと後悔しております.悲しいですね.

何より,そのバンドの世界がこれ以上発展されず,そのままの形で残っているということは,ある種の美しさと共にとてつもない寂しさがあります.美しいが故に寂しさが際立つのでしょうか?
僕は彼らの残されたままの,成長もしない,腐りもしない,綺麗なままの世界を観ることしか出来ない事が悲しいです.
僕の敬愛するthe cabsやTHE PINBALLS,ヒツジツキなどは当時の匂いや雰囲気を保ったまままだ居続けるのです.


解散や活動休止の背景は結局世界の当事者しか分かりません.
僕らは綺麗な実をつけた樹しか見れませんが,その樹の栄養の源である大地やその下のシステムがどうなってるかは分からないのです.

その世界の規律が分からないこと,その規律を自分自身では変えることはできないこと,そして自分が何とかできたかもしれないと考えてしまうような傲慢さ,更には世界に僕1人を残されてしまったような寂しさを感じる自分勝手さや傲慢さが嫌になりますね.


少しネガティブな話を書きすぎました.
MAKKURAGEの世界は今のところ特に不協和は発生してないので大丈夫(だと思っています)です.


もう少しだけ彼らの曲を聴きながら感傷に浸ろうと思います.ちなみに僕はピコロコが一番好きです.

では,またどこかで.

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